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黒い原風景

 目を閉じると、暗闇の中に顔が浮かび上がってきます。

 それはいつも笑っています。

 幼い私を抱きかかえ、とても幸せそうな顔をしています。

 それは若い頃の母によく似た顔をしていますが、決して母ではありません。AIで作った画像みたいな、本人の要素で構成された別人の顔です。

 闇の中で微笑むこのモノクロの女性は、いったい誰なのでしょうか。







 2ヶ月前のことでした。
 通勤のためにバスに乗っていると、妊婦さんが乗ってきたんです。

 優先席はお年寄りで埋まっていたので、僕の座っていた席に座ってもらおうと思って、立ち上がって「どうぞ」って声をかけました。

 そしたらその女性、「ありがとう」って笑顔で言いながらこちらに歩いてきたんですけど、その顔が母に⋯⋯あの女性にそっくりだったんです。

 それがとても怖くて僕、固まっちゃったんです。「どうぞ」って言ったのに全く動かない僕を見て、女性は困惑しているようでした。

「あの⋯⋯大丈夫ですか?」

「あっ、すみません!」

 隣に座っていた学生さんの言葉で我に返った僕はすぐにその場から動き、女性に席を譲りました。

「ごめんね」

 そう言って席につく女性の横顔を、僕はどうしても意識せずにはいられませんでした。

 見れば見るほど似ています。母の関係者でしょうか。親戚の集まりでは見たことはないと思いますが⋯⋯

 気になって仕方がありません。
 話しかけてみましょうか。

 でも、いきなり知らない人に話しかけられてもビックリしますよね⋯⋯どうしましょう。

 そうだ、いいことを思いつきました。

「あの⋯⋯何ヶ月ですか?」

 僕が訊ねると、女性は一瞬ビックリしたように見えましたが、優しく微笑みながら「8ヶ月です」と答えてくれました。

「かわいいですね」

「えっ」

 人見知りなのに慣れない会話をしてしまったせいで狂った会話をしてしまいました。

「すみません、間違えました」

「えぇ⋯⋯」

 困惑している様子の女性。いけません、このままではなんの手掛かりも得られないどころか、この人と周りの乗客に変人だと思われてしまいます。

「あの、男の子ですか?」

「あっ、ああ。男の子ですよ〜」

 また驚きながらも、朗らかに答えてくれました。よかった。

「お名前はもう決まってるんですか?」

「はい、ケルベロスちゃんです」

「ケルベロス!?」

 なんということでしょう、心臓が止まりかけました。
 僕の名前もケルベロスなのです。若い頃の母にそっくりな女性の息子が僕と同じ名前⋯⋯偶然にしては出木杉くんです。

「すみません、あなたのお名前も聞いていいですか?」

「えっ私!? 私の名前!?」

 人のビックリフェイスも3回目ともなると飽きが来ますね。

「バーミヤンですけど⋯⋯」

「やっぱり⋯⋯」

「えっ?」

「あ、なんでもありません! すみません!」

 年代は違うとはいえ、同じ名前でそっくりな顔⋯⋯なんだか悪い予感がします。

「すみません、最後に旦那様のお名前も⋯⋯」

「あの、なんなんですか? あなた」

 しまった、怒らせてしまいました。

「えっ? 人間ですけど?」

「は? ふざけてるんですか?」

 しまった、余計に怒らせてしまいました。

「ふざけてませんよ。人間だから人間って言ったんですぅ〜」

「てめえ殺すぞ」

「ひぃっ!」

「殺す」という言葉が出ました。やっぱりなにかあるに違いありません。もしかしたらこの人はドッペルゲンガーで、本当に僕と母を殺すつもりなのかもしれません。

 しかし、僕にも言い分があります。

「席譲ってやったのになんだおめーその態度は」

 だってそうじゃないですか。

「席譲ってもらってから私の怒りが爆発するまでの経緯を省略しないでください。いきなり私が爆発したみたいじゃないですか。ボム兵じゃないんだから。殺すぞ」

「2度も言った! 親父にも言われたことないのに!」

「あんだとコラ」

 ダメです。もはや何を言っても通じなさそうです。

 ピコンカチカチカチカチカチカチカチカチ

 僕は降車ボタンを連打しました。

『お客様、何度も押さないでください。壊れたら弁償ですよ』

 運転手さんまで僕を脅迫してきました。なんなんだこのバス、狂ってる!

 キィーーーーーーーーッ!!!!!

 バスが止まったので降ります。こんな狂った空間にはもう1秒もいたくありません。

「あばよ」

 運転手さんにそう言ってosiccaを精算機に押し付け、バスを降りました。

 怖かったので、僕はすぐにお寺に行くことにしました。あのドッペルゲンガー親子の謎を解きに行くのです。







 ということがあって、昨日お寺に行ってきました。そうですね、2ヶ月空いているということになります。

 あの後、会社に仮病の電話をしたらしこたま怒られまして、気分が沈んだのでクラブに行ったんです。昼間だったので誰もいませんでした。ていうか開いていませんでした。

 なのでクラブの前の道で1人で「ズンズンチャカチャカ」とか言いながら踊ってたんですけど、4時間それやってたらお腹が減ってきちゃって、近くの回転寿司屋さんに入ったんです。

 今ってアプリで何が欠品してるか見られるんですけど、平日だったので見ずに行ったんですね。そしたらもう⋯⋯

 シャリしか回ってないんですよ。全部売り切れちゃったそうで。
 怖くないですか? こうなったら普通店閉めません? 店長狂ってますよね? いや、従業員全員狂ってるか。

 でまあ寿司ネタ以外は全部あったのでポテトとかうどんとか茶碗蒸しとか唐揚げとか食べずにシャリだけ80貫食べたんですけど、お店を出た瞬間すごい眠気が襲ってきて。

 もう立っていられないくらいの眠気だったのでその場で屈伸して、家まで歩いて帰ったんですね。20キロくらい歩きましたよ。

 で、寝ました。

 で、昨日起きて、お寺に行ってきました。だから2ヶ月も空いてたんです。ドゥーユーアンダースタンド?

 で、最寄りのお寺に行ったんですけどね、ピンポン押してもスキンヘッドの人しか出てこなくて、怖かったから出直したんです。

 だって、スキンヘッドの人って怖いイメージあるじゃないですか。しかもそのお寺の人、サングラスしてたし。あの見た目で怖くないのはサンプラザ中野くんだけですよ。

 で、家でヨーグルト食べてからまたそのお寺に出かけたんですけど、ピンポン押してもさっきのスキンヘッドの人しか出てこないんですよ。怖かったので帰ろうとしたらその人に腕掴まれて「なんなんですかあなた!」って言われたんです。

「こっちのセリフですよ!」

 僕がそう言うとその人は首をかしげて固まってしまいました。

 え? だってそうですよね? 僕みたいな黄色シャツ黄色スーツ黄色ネクタイより、どう見てもスキンヘッドサングラスの方が「なんなんですかあなた!」ですよね? 首をかしげるようなことじゃないでしょ。

「あの、私ここの住職なんですけど、なにか用事があってこられたんじゃないんですか? もしピンポンダッシュ目的だったら八つ裂きにして焼き鳥にしますよ」

「僕は人間なので焼き鳥にはなりませんよ」

「そんなことありませんよ。おーい、京助!」

「はーい!」

 ドコドコドコドタ

 すごい勢いで誰かが走ってきます。坊主さんでしょうか。

「京助、ただいま参上いたしました!」

 坊主さんでした。この人の部下なのでしょうか。

「おい京助」

「はい!」

「ニワトリの真似しろよ」

「コッ! コッコッコッコッコッコッコッコッ⋯⋯コケコッコーーーーッ!」

「ほら、鶏でしょ?」

「ほんとだぁ」

 お寺って楽しいところですね。この人になら相談出来るかもしれません。

「で、ご用件は?」

「はい、実は⋯⋯」

 僕はバスでの出来事を全て話しました。

「ふむふむ⋯⋯見える、見えるぞぉ!!」

 住職さんが目を瞑って何かを念じています。

「こ、これは!!! ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯!」

 住職さんは目を開けると、その場に倒れ込みました。

「大丈夫ですかボス!?」

 京助さんが心配しています。僕は他人なので全然心配してません。

「で、何が見えたんですか? あの人と僕達の関係は?」

「他人の空似です」

「えっ? 名前も同じなんですけど」

「いや、ケルベロスなんて日本にごまんといるでしょ」

「バーミヤンは?」

「さんまんごせん」

「へぇ〜」

「では、お布施を」

「お布施?」

「お代を」

「お代?」

「お金です」

「お金?」

「お金っていうのはですね⋯⋯」

「それは分かります。なぜ支払わなければならないのかと聞いているんです」

「そんなこと聞かれてませんけど」

「ニュアンスです」

「ニュアンス?」

「ニュアンスっていうのは⋯⋯」

「それは分かります。なぜ支払わないのかと聞いているんです」

「そんなこと聞かれてませんけど」

「とにかく早く払ってください。9億円」

「PayPayで」

「はい」

 ペイペイ!

「ありがとうございました。またお越しくださいませ」

「また来ます。絶対に」

「社交辞令なんだけどな⋯⋯(ボソッ)」

「なんか言いました?」

「言いました」

「なんて言いました?」

「忘れました」

「お前やべーな」

「お前もな」







 ということがあって、朝帰りでした。

 で、寝たんですけど、ある夢を見たんです。

 バスで見たあの女性が赤ん坊を抱いてこっち見てるんです。

 でも、笑ってないんです。すごく怒ってるんです。

 夢で見るのは初めてだったので、僕は焦りました。早く夢から覚めてくれと願うことしか出来ませんでしたが、めちゃくちゃ頑張って願ったので少しずつ視界がぼやけて現実に戻り始めました。

 全部消えかかったころ、あの女性が口を開きました。



「お前、口臭いよ」



 僕の記憶はここまでです。



 なぜかというと、さっき起きたばかりだからです。



 本当に臭いかどうか、ちょっと臭ってみてくださいよ。



 はァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

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