信じることと裏切られること

仕事でちょっと興味深い出来事がありました。


実は、会社に無関係のシステムトラブルがあったんですが、トラブル原因を探ろうともせずに年配の部下がネコチャンのせいにしてきたのです。

ちなみにその部下には嫌われているらしく、ここぞとばかりに「そもそもあんたは机が散らかっている」とかあーだこーだと、全く無関係なことをいくつも引っ張り出されてくどくど攻撃されました。

どうして(´;ω;`)ウッ…



ネコチャンは、理不尽なことや筋の通らない事だけは大嫌いなので、さすがにブチ切れてああそうですかと、その業務を突き返しました。(今回の業務はその人も責任者の一人)

すると再びその人が同様のトラブルに巻き込まれる。

同じトラブルで散々ネコチャンを人格攻撃してきたのに、自分が同じトラブルに見舞われると、けろっと態度を変えて何事もなかったかのように、ネコチャンに対応してくれと泣きつく。
(先にネコチャンに謝れよ!)o。 (♯`・ω・´)ピキピキ

保守会社の人が対応した結果、関係先のシステム上のエラーであって自社に問題がない案件と分かる。


PC関係は、ネコチャンが会社では一番分かる方なので何かあれば頼られる感じです。といっても、ネコチャンは特別なITスキルがあるわけでは無く、ごく一般的なPCスキルで、自社社員全員のITスキルが低いだけなのですが。

まぁ、それ自体は良いんですが、分からないなら分からないなりに説明を聞いてほしいのですが、聞こうとせずに何か問題があるとひたすら人のせいにして攻撃するのが頭に来るのです。
説明したら、必ず「もう年だからわからん」と開き直るし…。

ちなみにトラブルの話を聞いた社長が、詳しく話を聞こうともせずネコチャンを怒鳴りつけました。(そもそも、物事を詳しく聞かずにすぐ怒鳴って周りのせいにしてうやむやに対応する癖がある)

自社に責任がないことだとキレながら説明する。

何も言わずにその場を立ち去る社長。

(怒鳴ったこと謝れよ…)o。(  ˘•ω•˘ )


本来自分も出来なきゃいけないことなのに、他人に丸投げしといて何かあったら他人のせいにする人って結構いるよね…。

そもそも自分が出来ないことを問題にしないというか。
いつも何かあれば他人のせいであって、自分は悪くない。


タイトルにある、信じることと裏切られることの関係性ってこれと同じような氣がするんだよね…。

判断を他人に委ねておいて、なにか問題があると「裏切られた。」
結果が良かったら「信じていた。」

この、「信じる」と「裏切られる」は、表裏一体なのではないかなと思います。


裏切られたというが、信じた自分に責任はないのでしょうか?
その人に判断を委ねた自身に責任はなかったのか?
他人に頼らざるを得ない自分だったことに自身の責任はないのか?

いつまでたっても誰かのせいというばかり。
言い方を変えれば、自分の判断と責任感がありませんでしたと、言っているようなもの。実は、とても恥ずかしいことだと思います。


でもこれって、今の世の中に蔓延している氣がします。
自分では考えず、人には頼って何かあればその人を攻撃する。

今の政治(世論)も、コロナも、見ていてそんな風なこと、感じませんか?
きっと、異常なこの世の中ってそういう集合体の慣れの果てなんではないかなと思います。


過去の自分もそうだった部分があるので、自戒を込めて書いているのですが。
ヒー (ฅ>ω<ฅ;)💦

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