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ゴミを部屋に置いたまま忘れてしまうと土に還ってしまい、何を拾ったのかわからなくなってしまいます⑥


  わたしたち猫キャットには特に気に入っている映画がふたつあります。ジャック・リヴェットの「セリーヌとジュリーは舟でゆく」(1974 仏)と、ニコラス・ローグの「パフォーマンス」(1970 英)。この2作は「日常のすぐそばに背中合わせで潜んでいる、暗い影のような非日常」という点で共通していて、「セリーヌとジュリー」ではふたりの主人公が、ある屋敷の中で、自分たちの日常と全く違う時間がループしていることを知ってその異世界へ飛び込むし、「パフォーマンス」では、ギャングが身を隠すため逃げ込んだ古い屋敷で、ヒッピーとして暮らす落ちぶれたロックスターと出会う。つまり別の社会に属するもの同士が互いに非日常と対峙するのですが、私たちにとっては、大学からほど近い国分寺の駅前に、そんな非日常がありました。

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Performance(1970)

 国分寺駅は、ムサ美からバスで約20分。JR中央線の、副都心と都内最大級の繁華街とを併せ持つ新宿駅から、多摩地域最大の人口を擁する八王子市の中心、八王子駅までをつないだ中間地点にあります。特別快速の停車駅の割にはゆったりとした雰囲気で、北と南に商店街を構えた中央線沿線によくある作りの駅前だけれど、中野、高円寺、吉祥寺のような猥雑感は少なめ。中古レコード屋、古本屋、古着屋などもほどよく集まっているし、K子の家とUちゃんの下宿も武蔵小金井方面にのびる線路を挟んだ北と南にあったので、馴染み深い駅でした。

 1991年頃、国分寺駅前には、Uちゃん御用達の古くてマイナーなエロティックホラーやSFの揃ったレンタルビデオ屋の他にも、ポマード頭で小脇にセカンドバッグ、尖った革靴の紳士達がたむろする、ラタンの椅子と棚とコルクボードのある喫茶店、ここは70年代のテレビドラマに出てきそうな雰囲気。耳の垂れた愛嬌のある犬のような顔をした、元ボクサーが経営するお団子屋さん。荘厳なクラシック音楽とアンティークな調度品のなかで、プラスチックの桶でできた青く美しい半円形のランプシェード(おそらく手作り)がひときわ目立っていた、古い名曲喫茶。パンチパーマのご婦人たちが、真夏に店の前の炎天下の路上に座り込み、大声で喧嘩しながら接客してくれる布地屋。ここは、とても古くて変わった模様の布地が通路にぎゅうぎゅうに詰まっていて、奥に進めませんでした。ご婦人たちも入れなくて外にいたのでしょう。など、白昼堂々と非日常的な異世界を垣間見せてくれる印象的なお店がいくつもあったのです。でも、そんな中で別格の、国分寺駅付近が全てこのお店の存在によって特別な空気を纏っているように感じられたのが、Anouchka(アヌーシュカ)でした。

 日本で初めて英国婦人服の古着を扱ったこのお店のことは、大学1年生の時にK子が「すごい店があるよ」と教えてくれていたので、最初から、とても緊張して足を踏み入れました。Uちゃんはその数年前の浪人生時代からこのお店を知っており、自宅と駅の行き来で前を通るたびに憧れと羨望の混ざった眼差しで眺め、時には意を決して店内に踏み込み白いエナメルブーツを恐る恐る試着させてもらったりもしたそう。

 焦げ茶色の古い木のテーブルには、小さなレジと黒電話。横の壁には、他の古着屋では見たことのない60年代、70年代の海外ファッション誌の切り抜きが、惜しげもなく貼られています。一枚一枚、丁寧にさりげなく、年代や国名が手書きで記された小さなタグが付けられ、反対側の壁の高いところにも、さまざまな組み合わせのアイテムが吊るされているのですが、どれを見ても、普段行っている他の古着店とは何かが違う気がする。店内にピンと張り詰めた静かな空気は、美術館や博物館にも近い。どうしてこのお店が突然日本のこの場所に現れたのか不思議になります。ここでしか嗅げない特別なお香があり、置いてあるすべての物にもその香りが漂っているのですが、買ってしまうと使っているうちに、染み込んでいたそのけむりの匂いが消えていくのがもったいなくて、これは何というお香なのか私たちは長いこと頭を悩ませました。「メリットのシャンプーで洗うとこんな香りがする」とか「スペインの香水『マハ』が何となく似ている」などの情報を持ち寄ったり。ずっと後に、K子がこの香りを発見して家で焚いているとわかった時は「どーして!」と問い詰めてしまったほど。とにかくこのお店にはすっかり魅了され、時々勇気を出して入ってはみるものの、冷や汗をかきながら見ているうちに目が眩むような感じになってきて、結局、息を止めてぐるっと一周するだけで、ソロリとつま先立ちで出てきてしまうことが多かったのです。

 Anouchkaに行くときは、まずは近くの他のお店、線路の反対側のB4Dという古着屋さんでベルボトムを物色したり、珍屋でレコードを見てから、Anouchkaの上階の朝日屋洋品店で物欲をあらかた抑え、姿勢を正しアンティークアヴェニューの階段を降ります。アンティークアヴェニューとは、国分寺駅前の古いマンションの半地下にある小さなアーケードで、がらんどうのような部屋にアールヌーヴォーやアール・デコのライトが天井から吊り下がり、たくさんの古い鏡や看板、ランプ、ステンドグラスが無造作に置いてある骨董品店の並びに、Anouchkaもあるのです。マンションは坂の途中に建っているので、アーケードへ入るには坂の上からだと階段を降りるけれど、下からだと地続きで、時空がちょっとねじれて感じます。半地下なので少し暗いのですが、風通しが良くどこかひんやりと威厳に満ちた感じ。Anouchkaの店の屋根にはあっさりした書体で店名が書いてあり、入口は薄い水色に塗られた木わくのガラスドア、そのガラスにも金文字で店名。ショーウィンドウと店内に陳列されているすごい品々が外からも見えています。店の奥の壁は大きな一枚の鏡になっていて、鏡の脇に金色ノブのついた小さな白い木のドア、そこが試着室。私はずっと、この小さなドアが気になって仕方がありませんでした。試着をさせてもらう勇気が出たのはだいぶ後になってからで、ようやく何回か入ることができたのですが、入っても試着室の全貌はよくわからず、外に出てくるともう、どんな部屋だったか思い出せないし、結局今でもわからないままなのです。もしやあのドアの向こうにも「セリーヌとジュリーは舟でゆく」の屋敷の扉や「パフォーマンス」に出てくる階段下の小さな白いドアのように、何かが隠されていたのではなかろうか?

 Anouchkaの試着室の奥には隠し通路があって、それが60年代末のイギリスと直に繋がっていたんだとしてもさほどおかしくはなく、国分寺駅前にあった非日常的ないくつかのお店とも、その通路のさらに先の異世界で繋がっていて、国分寺の駅前一帯が、Anouchkaを中心とした謎の別階層に存在していた、という考えも、あながち間違っていないのではと思っています。


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CELINE ET JULIE VONT EN BATEAU(1974)


 


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Anouchkaのショーウィンドウ 撮影 Uちゃん




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