お腹の中のお小さい方が外に出た日の話

お小さい方シリーズ第6弾。

 これは第6弾であり、続きものの話である。もしよければ最初から目を通していただければありがたい。とはいえこれ単体でも読めなくはない。今回は出産レポートなので。

 リンクはもう面倒で貼らないので、各自過去の記事をご参照いただきたい。

 実はこれを書いているとき、すでにお小さい方はこの世に生まれ出て8ヶ月が経過している。
 光陰矢の如しである。

◎予定日をぶっちぎって陣痛開始

 苦しい苦しいと呻いていた前駆陣痛もおしるしも、いつかは終わりがやってくるものだ。
 ハチャメチャにお腹が下がり、お小さい方の頭も骨盤の中にガッツリはまり込んで動きが気持ち穏やかになっていた4月6日の夕方。
 強めの前駆陣痛が始まっていた。
 その前日は予定日オーバーランしたがゆえのエクストラ妊婦健診で、いわゆる内診グリグリの儀に処されていたものだから、この痛みについては若干覚悟していたところではあった。
 前日までは余裕ぶっこいてTwitterのリプライ欄でも「まだしがみついてるわ」などとほざいていた私ではあったが、流石にこれはちょっと痛いということで軽く焦りはじめる。

 痛い痛いと脂汗をかきながら陣痛間隔を見るに、自分としては8分間隔。これは病院では?と夕方電話してとうとうかかりつけに。

https://twitter.com/nekoarukiman/status/1511658569942585356?t=yfOKKg5l2-u7uZKgKTtivQ&s=19

 歩いて分娩台に移動しNST、しかしそこから3時間程度測定するも、これは11分間隔ねという慈悲のない返答をされる。しかもこのまま泊まると自費診療のため一泊5万円というますます慈悲のないお言葉が助産師さんから告げられ絶望する。
 じひはじひでも医療費の自費は無慈悲である。やめてくれ。

 そんなわけで5万円は払えないということで帰宅。時刻はすでに22時。なおこのときの検査代は産後に別途請求されたが自費診療かつ夜間帯だったのでそこそこ痛かった。あと腹も相変わらず痛かった。ツイートではこれよりまだ痛くなるのか?と途方に暮れている様子が見られる。

https://twitter.com/nekoarukiman/status/1511694748016582657?t=1JEDNElI5HNqL00gpxiOEw&s=19

 しかし今にして思えば別に行ったことが必ずしもマイナスだったわけではない。何故ならばこのあと、23時を回ったあたりで私は痛みの限界に達することになる。
 流石にこれ以降ツイートは残っていないのでおぼろげな記憶を頼りに書くが、確かその頃には派手なうめき声を上げ、角材で腹を殴られるような定期的な痛みのせいで歩行困難な状況で、「絶対陣痛だ!悪いけどもう一回病院行って!」と周囲に依頼した気がする。
 夕方荷造りしたバッグを持ってとんぼ返り、義実家の皆さんが送迎してくれたの、今にして思えばほんとありがたいんだけど当時はそれどころではない。
 病院の前につくが最早歩けないので車いすで運ばれる私。それを見たナースセンターの助産師さん、「あ、これは…(察し)もういいや分娩室入ってくださーい!」と高らかに宣言。戦闘開始である。

 なお自己計測5分間隔だったが、分娩台に上がったときはまだ7分間隔であった。嘘やん。自宅待機というか義実家待機のときですらグワーッ!!と爆散するニンジャのような声を上げていたのに、まだ当分爆散させてはもらえないのだ。アイエエエ!陣痛!?陣痛ナンデ!?
 そしてここから深夜帯の孤独な戦いが始まる。


◎分娩室にて

 さあ本陣痛でございますという話ではあるが、コロナ禍であるがゆえにその病院では配偶者の立会は許されていなかった。地方都市で最後の砦となる大病院であるがゆえの弊害である。
 実際入院中の同室にも1時間半以上離れた距離の遠方の自治体から搬送されてきた方が2名いたりしたこともあって、個人的には納得しているしいいのだが、しかしそれでも激痛の中で置いていかれるのは少し寂しい。
 深夜帯でありまだ分娩も始まらないだろうという気配を感じている助産師さんも、やってくるのは定期的な見回りのときだけである。4分間隔くらいまでは非常に孤独に耐えていた印象が未だに強い。
 実際出産前のローブみたいなものを着せられているとはいえパンツはまだ脱がなくていいと結構頻繁に言われていた。そうそう生まれては来ないと告げられるようだった。

 産後、陣痛の痛みの記憶は急速に風化してしまうと聞いてはいたが実際にそうで、今は最早確かこうだったような、ぐらいのやんわりした思い出しかない。
 ただ5〜4分間隔になるまで空の色を見て、夜が明ける、痛い!!まだなのか!?みたいな断片的な思考を持っていたとか、隙を見て天井近くのモニター見て、分割画面に同じ40w3の人がいるなとか、隣の分娩室の叫び声もすごいなとか、ていうか外の助産師さんたちの会話もすごいテンパってるな、分娩室4つフルで埋まったんか〜とか、えっ、その上で緊急カイザー入ったんですか?とか、そんなことは思っていた。
 確か様子見に来た助産師さんが結構笑ってくれたので覚えているのだが、4分間隔くらいのとき「痛みどうですか?」と聞かれて「風速30メートルに耐えながら金属バットで腹をフルスイングされるような痛みです」と呻くように返答していたので、きっとそうなのだろう。
 なお陣痛がもっと進行してくると、フルスイング後に力いっぱいすり潰されるほどの痛みに変わる、とメモに書いてあった。
 とにかく人生最大級の痛みであることについては間違いないと言える。
 気絶するように睡眠に落ち、激痛で無理やり起床させられるのが5分おきにやってくるのは筆舌し難い苦しみだ。しかも一晩中それが続くのだ。

 産後の生理痛も大概だが、立って歩けて行動できて、薬で痛みがなんとか抑えられるならまだマシかも知れない、と思う。思うようになった。恐ろしい。
 
 子宮口8センチを超えた当たりでお産は後半に突入する。その頃には空はすっかり白んでいた。
 そろそろかな、と一人が言うと助産師さんたちが続々と集まってくる。多分メタな話をすれば日勤帯のスタッフたちも出勤して引き継ぎしてきたのだろう、顔ぶれが一気に変わり若干余裕の色も見える。機械類の取り付けも始まる。たしか一つは定期的に血圧を測る装置で、あとは点滴関係だ。
 その時ベテラン助産師さんからの強い指示が飛んだ。
 「ルート確保して、3本」
 怪訝そうに中堅スタッフが聞き返す。
 「3本ですか?早くないです?」 
 「〇〇さん確か点滴すごく難しかったはず。血圧高めだし2本は確定、1本予備。今の処置が後の勝利につながるよ!」
 それを聞いて、あっそうだった!と全員の同意が飛び交い慌ただしくなる分娩室。不本意とはいえ長期入院しててよかった、情報が早い。
 そして両脇についたのが救急経験あり、ルート確保に定評のある中堅看護師2名。若手看護師からも最もルート確保が上手とされる方々だ。
 「1本入りました」
 「もう1本オッケーです!」
 早い。陣痛で呻き倒し、じたばたする私を意に介すことのないルート確保、痺れてしまう。やはり最前線では暴れまわる患者が多いからなのだろうか、冷静沈着である。
 かっこよすぎて正直感動したし、今も事あるごとにネタにしている。

 さてここから本番…と言いたいところだがなんと凄まじい勢いで血圧が急上昇する私である。
 降圧剤が入るものの150、160とバシバシ上がっていく。とはいえ痛さでよくわからん。子宮口が全開になるまでのいきみ逃しの苦しさの中でもうずっと早く終われ終われと願いながらも、なかなかその時は来ない。
 しかしある時不意に目の前がチカチカし始め、陣痛の痛みに加えて吐き気と猛烈な頭痛が加わり始める。なんだこれは。なんなんだこれは。陣痛の痛みはすごいってよく聞かされたけど、こんなエクストラな辛さがあるのは聞いていないぞ!
 全身エマージェンシー状態で「頭めっちゃ痛くて気持ち悪いっス……」と消え入るように宣言すると、助産師さんたちがものすごく心配して血圧を確認する。
 降圧剤マックス、血圧180。とりあえずいまこれしかできんわとばかりに枕元に桶を置かれる。つらい。降圧剤そんな入ってて下がらないのか。

 それからどれだけ経っただろうか。
 何十回目かのいきみ逃しをしていたところ、とうとう破水だ、と明確にわかる感覚が起きる。
 あれほんとにばつん!って言うんですね。

 で。それからは爆速であった。
 あっさり子宮口全開、そして私の血圧は瞬く間に200を突破し、大慌てで医師が呼ばれての吸引分娩に。
 多分医療現場としてもそれなりの修羅場だと思う。こちらはわからんが。
 うおお知らんもういい加減出てきてくれ!と必死に掛け声に合わせていきむ。

 「吸うよー!」

 がぼん、という音が体内で聞こえた。
 多分骨盤今やばい形状してる。

 「出てきた!もういきまないで!!」

 一発で?!頭一発で出てきた!吸引分娩すげえ!
 そんなことを思いながらはっはっはっと必死に酸素を吸う。肩が通った時が更にヤバい。体轢き潰されてないかこれ!

で。

 赤さん、産まれました。

 正直ここから記憶ほとんど曖昧なので、もう何書いていいのか……とりあえず目に覆いかけられて安静!!と命じられて2時間位動けなかったのかな、放心状態。
 股は裂けて6センチ縫ったそうな。

 なんかずっと書きっぱなしになってて気持ち悪かったのでここまで投稿する次第だが、実のところは産んでからのほうが圧倒的につらかった。
 体ボロボロだったりとか産後うつとか、破壊と再生が大量にあった。でも辛すぎたせいか、もう今はあまり思い出せない。
 強調とか入れてないので読みにくいけど堪忍してください。とりあえず妊婦編はここで締めることとする。

 赤さん8ヶ月、現在9キロ。
全員元気に生きています。

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