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目的地の話

今、地下鉄の歩行空間にあるベンチに腰を掛けて、左右に歩く人たちを眺めている。

キャリーケースを転がす海外旅行客、ギターケースを背負った成年、子供連れの家族、高級な食品を買いに行くであろう身なりの整った貴婦人、待ち合わせだろうか、周りの人の様子を見回す中年男性。それに近づく若い女性。明らかに釣り合いのとれない、それはおそらく恋人ではない偽りの二人。軽く会釈をして人混みの中に消えていった。

こうやって人は人の隙間を掻い潜り、ぶつからず肩を合わせることなく、互いの目的地に向かっている。それぞれの目的地は違うが、それは目的があるから人は歩くのであって、大して目的がない人はまず動かない。つまりは家から一歩も出ない。いや、出たくないから目的を持たないようにしているのかもしれない。

休日ならば限りなく外には出たくない。限りなく布団に埋もれて寝ていたい。二度寝をはじめ、三度四度と意識を失い、また蘇生してスマートフォーンを確認してまた意識を失うを繰り返し、陽が傾き豆腐屋のラッパで目覚めて「あゝ今日が終わる」と呟き、煙草に火をつけ一服したのち気だるく窓を開ければ真新しい風が室内に入りこむ。澱んだ重い空気と冷たい風が混ざってゆく。室内が浄化されていくのがわかる。浄化され気分も晴れた人は謎のやる気を漲らせ「よっし!」などと呟いて目的地をコンビニと定め外に出て歩き出す。そんな空想をいつも、いつも頭で浮かべては消し去っている。

今、地下鉄の歩行空間にあるベンチに腰を掛けて、左右に歩く人たちを眺めている。

何故ベンチに座っているのかといえば、向かいのミスタードーナツの開店を待っている。
私の目的地はドーナツだった。

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