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「普通」を押し付けられる辛さ

自分が世間一般の普通になれないことは小学生の高学年ごろから感じていた。
周りに比べて精神的に幼く、感情のコントロールが難しかった。

段々と成長するにつれ、
周りより容姿が劣っていること
メンタルが弱いこと
頭が悪いこと・・等々
例を挙げればきりがないが

自分が「普通」という基準より何ランクか下にいることがハッキリと理解できた。
10代まではそれでもまだ何とかなると思い、日々をなんとなく暮らしていた。
いつか普通に恋愛をし、彼女ができ、仕事をして家を持ち結婚して子供ができて、父や周りの大人たちのように暮らす日が来るんだ、と。

20代になり、何となくは通用しなくなっていた。


自分の普通は、世間の普通とは大きく乖離していた。
努力したつもりでも、世間はそれを努力とは認めてくれなかった。
同年代の「大人」たちは、当たり前のように順応し努力し、立派な「普通」になっていく一方で
自分だけがどんどん取り残されていった。
何とか普通に取り残されないようにもがいてみた。

「普通」の大人たちは自分の努力を鼻で笑った。
それは努力じゃない、「当たり前」だ、と。
お前のしていることは世間一般の人たちはみんなしている、普通の行為なんだ。

うすうすわかってはいたことだった。
無能な自分がどんなに抗ったところで、普通にはかなわない。
ましてや、普通の人が努力して得られるような結果を、こんな無能がどうやって手に入れることができようか。

30代になり、あきらめた。

分相応という言葉が骨身にしみた。
普通の仕事なんて到底できやしない、結婚どころか恋愛だって夢のまた夢。
だったら最初から期待しない。
俺の人生こんなもの。

あきらめた途端、周りの矛先が自分に向いた。

「お前いつになったら一人暮らしするんだ」
「いつまでも親のすねかじってちゃダメだろ」
「結婚はどうするんだ」

「普通でいい。何が難しいんだ。」


あなたたちの普通からすれば、怠惰で何の目標もなくダラダラと過ごしている落伍者かもしれない。
でも、これでも精一杯生きているつもりだ。

ちゃんとした就職だって、結婚だって、将来のことだって考えてきた。
でもどれもうまくいかなかった。
失敗ばかりしてきた人間の気持ちを考えたことがあるのか。
あなたたちのように当たり前に普通になれた人間に、落ちこぼれの気持ちなどわかるはずもない。

別にあなたたちの人生を邪魔するつもりは毛頭ない。
変な気をおこすこともないだろう。

だから「普通」を押し付けないでくれ。
あなたたちに言われるまでもなく、自分の人生が底辺まっしぐらなことくらいとっくの昔から気が付いている。

あなたたちの精神安定剤にしないでくれ。

そっちで勝手に「普通」を高めあっててくれ。
自分は自分の普通しか持ち合わせてないんだ。

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