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友達は推しですか...?


――にゃこちゃんは人が大好きだけど
とてもドライだよね。

人生で幾度となく受け止めてきた言葉。良いのか悪いのかさっぱりだけれども、とにかく忘れたころに降ってくる。そしてとても的確な指摘だと思う。

私は、他人に大事にされることが怖い。

友人に心配されるようなことがあると、「お願いだからそんな感情のリソースを私に割かないで!!もっと素敵なことに使ってよ!!」って叫びたくなる。
恋人関係になった相手が私のために時間を尽くしてくれても、「そんなに私の存在の優先順位を上げないで…!きっともっと素敵な世界があるのに…
。」って苦しくなる。

自分が人に良い影響を与えられるのならそれはとても幸せだけれども、何か少しでも負の感情を与えてしまうような存在でいてはいけない。

なんて小学生の頃からぐるぐる考えていたような気がする。そしてそれは今も変わらなくて。


もちろん彼女らが喜んで私のためを思ってくれていることは否定しないし、本当にうれしくて仕方がない。だからこれはあくまで私のエゴで押し付けることは無いけれど、私はひっそり喜びと苦しさを抱えてしまう。


同時に私は他人を好きになれる才能にとてつもなく恵まれている。
よく言えば能天気で楽天的。嫌なことは引きずらないし忘れちゃう。
自分と人とを比較することもないので嫉妬や羨ましさなんて感情は稀な存在。
嫌なところも見つけるけれど、その5倍は相手の素敵なところを見つけてしまえちゃう。
出会って何度かお話しする機会のあった人なら、容易にその人の尊敬するところを10個でも20個でも挙げられる自信がある。

たくさん尊敬できる部分を見出してしまえるから、それが好意につながるのだと思う。一緒に過ごす人のことは大体、重すぎるくらいに好き。大好き。
しかもそのまま相手に感情のシャワーを浴びせてしまうから本当に重い。


でもね、私が周りの人たちにしているように感情をぶつけられたら重すぎて苦しくなるんだ。だから少し距離を置いてしまうし、本当に大切にはできない。常に相手のためには動けない。

――自分を愛する程度にしか他人を愛せない
なんてよく聞くけれど、本当にその通りだと思う。私はに他人に愛を与えらるだけのキャパがない。それでもみんなのことが大好き。幸せをずっと願ってる。

きっと私のやってることは一方的に愛をぶつけるだけの自己満足。友達ではなくて少し距離のある推しとそのファンのような関係なんじゃないかなぁなんて思ってしまう。

少し、哀しい。周りにいるのは本当に大好きな人たちだから。いつかみんなが自分を大切にしてくれる感情をそのまま受け止めて、返せるだけの人になりたいよ…。


嬉しすぎて空飛べそうです。焼きプリンを食べます。