グズグズな倫理学

選択肢が二つある場合、どちらか一つは正解だと考えるのは、選択式テストを受けて、頭まで似たような構造になった者の発想だ。必ず正しい答えがあるはずだというのは、世界に対して倫理学的に命令を下すことだ。答えがあるはずだという発想そのものが危険性を持っている。二つに一つとか、必ず正しい解決法があるとか、神は乗り越えられない困難を課すことはないとか、そういった発想は、きわめて危険なものを孕んでいる。

それは敵を倒すための理屈であって、勝ちそうな者、勝った者の論理なのだ。強者の論理を正しいと思う倫理学は世界から戦いをなくすことはできはしない。「殺すなかれ」いう格率の前で、例外規定として殺すことの正当性を語る倫理が常に求められてきた。戦争のみならず、死刑制度もそうだ。

(中略)

倫理学の構図を善と悪の二元にわけ、トロッコを右に切るか左に切るかのように、二つに一つ、どちらを選ぶのかと、緊張感を高めて人心を動かそうとする手法は、見世物のような状況を生み出す。もちろんそのようなやり方の方が、人びとの心を戦いへと導きやすい。戦いを防ぐのは、ためらいがちな、グズグズとした優柔不断さの方だ。決然たる即断は戦いの場面にこそ相応しい。私は「銃後の倫理学」を語ろうとは思わない。

(山内志朗『目的なき人生を生きる』角川新書、2018年、pp.4-7、強調筆者。)

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