吠えぬ負け犬
天才を詰る凡人の話です
1,500字程度です
自分には才能がないと歌う歌。
自分は負け犬だと歌う歌。
自分は人をなぞるしか能のない無能だと語る歌。
それに同調して、天才のひとかけらを齧ったつもりになって自己満足に浸るクソみたいな有象無象。自分の無力感だとか、虚しさだとか、寂しさだとか、そういうものをテーマに作る歌はよく売れる。みんなが抱えている感情だからだ。天才が一般人の持つ感情を丁寧に綺麗にときに激しく書き立てる。大衆の深層心理にある劣等感を揺さぶり、掻き立てる。死にたさとか侘しさとか、どうしようもない感情は誰にでも覚えがあるから。
みんな気付いていないのだ。
アレは、天才が俺たち凡人の模倣をしているに過ぎないのだと。自身の抱える細やかで繊細な感受性を、我々凡人にわかるように噛み砕いてわかりやすく例えてくれている。クソみてぇに大衆に優しい、素直で愚鈍な誰の耳にも気持ちのいい、バカみてぇなクソオタクのために意味深な言葉を羅列した音楽に、乞食みてぇに群がって。
天才の金儲けのために、あくせく働いた凡人は喜んで金を差し出す。天才は「金儲けなんかのために創作をしたくない」とほざき、凡人はその矛盾と天才ゆえの苦悩に自分の感情を重ねて天才になったつもりになる。
馬鹿だ。全員クソみたいに大馬鹿だ。
金儲けをしたくないならしなきゃ良いだろ。凡人から搾り取った金で、どうせ新しい音楽を作る。新しい音楽で、もはや盲目となった凡人を酔わせてまた金を毟る。この世はどうせ資本主義なのだ。えらいやつが労働階級をいたぶって、金を毟り取って、胸を威張りながら「これはあなたたちのためにやっているのであって、利己的な理由ではない」なんてほざくのだ。「本当はお金を取りたくないけど、そうしないと社会は回らないから」とそれらしい理由を取り付けて金を奪い取るのだ。
世の中は、昔からそう回っている。
芸術だけがその範疇外なわけがない。
今日も凡人の俺が書いた曲の再生数は二十三のまま動かない。二十三のうちの十、いや十数回は自分だ。自分がアルバイトで稼いだ金で、生活費を削りに削って作った音楽はコーラにメントスを入れるだけの頭の悪い動画にすら及ばないのだ。ほんの一ヶ月で八百万回も再生された動画。そんなのはネームブランドに依存した音楽だ。俺がおんなじものを作ったって、きっと一ヶ月で八百万も再生されない。コメント欄で新曲だと大騒ぎするクソ共、偉そうに考察を垂れるクソ共、手放しで歌を称賛するクソ共。全員クソだ。バカだ。誰も、この歌を本質的にはわかってない。この音楽を、自分に都合のいい大衆のための音楽に成り下がらせているのはお前らだ。クソ共め。クソ共が買うからこいつは金稼ぎのために音楽をするんだ。お前らはバカだ。こいつはお前らの同意者でもなければ、賛同者でも、代弁者でもない。お前らを金儲けの道具にしてるクソだって、なんで気付かねえんだ。馬鹿共め。
今日もまた四分と十四秒を聴き終えて腹が立つ。
こんなに賛美されておいて。こんなに評価されておいて。こんなにいろいろな人を馬鹿にしておいて。なにが孤独だ、無力感だ、劣等感だ。そんなことを言うのは贅沢だ。凡人の無能感を天才が搾取して、コケにして、ふざけてる。
「クソが」
誰かへの悪態は、吐き出すと、ひどく惨めだった。
広告のつかない真っ暗な画面に映る、ひび割れた液晶にうっすらと映る自分の顔が、泣きそうに見えて腹が立った。泣けば虚しいだけだろう。自分が負け組だなんて、知っている。そんなこと。
認められたいのも、愛したいのも、それを夢と語るのも、何もしなくても叶ってくれよと泣くのも、全部俺だ。お前みたいな天才にそんな歌を作られたら、俺は、どんな感情を歌にすれば勝てるんだ。お前みたいな天才が、俺みたいな凡人の感情に寄り添うんじゃねえよ。そんな感情も、天才が詩を書けば、天才がメロディを添えれば、それだけで評価されるだなんて証明してくれるな。
「クソが」
こんなところで劣等感だけを育てる自分が、一番クソなのはわかってる。そんなことはわかってる。誰かを批判してばかりで前進しようとしない自分が一番バカなのは、わかってる。
無性に自分が嫌になって、もう全部捨ててやろうかと思ってギターを手に取った。先々月、チマチマバイトしてやっと買った五十万のギター。床にでも叩きつけてやろうと思ったのに、五十万が頭にちらつく。天才ぶるには、俺はやっぱり凡人すぎる。落ちかけたギターを捕まえ直して膝の上で抱えた。さっき聞いたメロディを指でなぞれば、腹が立つくらい気持ちの良い音がして、死にたくなった。
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