不安誘発系彼氏



 大事にするから、と告白されて、事実、かなり大事にされている。不器用な彼は不器用なりに目一杯優しい。ぎこちなく車道側を歩いて、ぎこちなく手を取る。

 けれど彼は、ぎこちないばかりではない。

 例えば電車で、私が他の人にぶつからないように壁になってくれたり、少し肌寒いと思ったらさりげなく上着を貸してくれたり、小さな怪我をしたら慌てて絆創膏を貼ってくれたり、そういう行為にはぎこちなさがなくて、本来から優しい人なんだと思う。

 だから、ちょっと、たまに、不安になる。





「彼女さん、結構ふつーの人なんだね」

 デート中にばったり会った、彼曰く彼の「良い友達」である彼女は意地悪く笑っている。綺麗で可愛くて甘い匂いのする女の人は私の耳元で「釣り合ってないね」と半笑いで囁いた。
 硬直しそうになるのを堪える。先を歩く彼は気づかない。彼女の顔を見ると、厭らしく笑っているくせに、どこか泣き出しそうに見えた。

 ああ、そう

 ふい、と彼女から視線を逸らして前を歩く彼のうなじを見つめる。彼はこの子に「ぎこちなくない」優しさをあげたんだろうな、と予想がつく。
 背が高いからうなじでさえ見上げながら、私は彼の名前を呼び止めた。さっきまで笑みをたたえていた彼女が、少し焦ったように眉を寄せた。けれど、パッとキラキラした「恋する乙女」の顔に切り替える。あざといな、と思った。

「なに?」

 いつも通り、子供に尋ねるみたいな優しい声で私の方を振り返る。純日本人のくせに、色素の薄いせいで茶色に見える彼の瞳が、私と彼女をうつす。
 私の隣に立っている彼女は、睨みつけるように私のことを見ていた。けれど、そんなことは知らないふりをして彼の方に手を伸ばす。

「手、繋いでもいい?」

 突然そんなことを言ったから、彼は驚いたようだった。隣に立っている彼女も、小さく「ハア?」と言った。
 彼は目をまぁるく開いて、それからパチパチと瞬き。そして、リトマス紙みたいに勢いよく顔を赤くした。

「手!?!?」

 彼の声が裏返る。さっきまで2人をうつしていた瞳には、もう私しかいない。隣の彼女が泣き出しそうな顔をしたのがわかった。

 ごめんね。でも、最初に吹っかけたのはあなただから。私も一応プライドとか意地とか、独占欲とか。そういうのあるの。許してね。

 彼は本当に困りきったみたいに眉を下げて、けれど口の端は釣り上がっていた。普段は私からこういうことを言わないから動揺してる。そして、ちょっと嬉しそう。
 彼は「友達の前なんだけどぉ?」と間延びしたみたいな声で私に言う。私は「たしかに、ごめんね」と引き下がろうとする。そしたら彼の方から慌てて私の手を取る。私の隣にいたはずの彼女は、いつのまにか逃げるみたいに後ろの方に立っていた。

「手ぇ、つなぎたかったんでしょ?」

 ぎこちなく、車道側に立つ。そして私の手を握る。
 子供を甘やかすような声でいて、親に甘える子供みたいな声だと思った。

 彼のこういう不器用な甘さは、見たことないんじゃない?と横目で彼女の方を見る。
 彼女は口を歪めて、目を細めて、睨みつけるようにしている。けれど、人は涙を堪えようとするとああいう顔になるって知ってるから、睨まれたことへの苛立ちよりも憐憫の方が先立った。
 私の憐れみの視線に気づいたのか、彼女はわかりやすく怒ったような顔をした。それから、息を吸い込んだ。

「……っ、ごめんなさい、私ジャマだよね」

 帰るね、と悲劇のヒロインみたいな声でそう呟く。
 心配されたい、とか。引き止められたい、とか。そういう感情が滲み出したみたいな切ない声だった。彼もなんとなくそんな空気を悟ったのか、慌てたような声を出す。

「ジャマなんかじゃないよ全然! むしろなんかごめん」

 気まずいよな、と彼は私の方も窺う。私が「そんなことないよ」と言う前に、彼女の方が「そんなことないけど……」と尻すぼみの言葉をこぼした。
 彼は困ったみたいに笑いながら、けれどきっぱり言い切った。

「でもさぁ、なんか、自慢の彼女だから紹介したくなっちゃったんだよな」

 ニコニコ嬉しそうに笑いながらそう告げる。眩しいくらいの笑顔に目を細める。視界の端では彼女が苦虫を噛み殺したような顔をしていた。かわいそうに。

「そう、だよね、や、素敵な彼女さんだもんね」

 今にも泣き出しそうな顔でそう笑う。流石に可哀想になってしまって、つい「私なんか全然、○×さんの方が魅力的な女性だと思いますよ」と口から溢れた。本心だけど、私がこれを言っても傷つけるだけなのに。
 案の定彼女はいよいよ辛そうな顔をして、下唇をきゅっと噛んだ。オーバーキルだ。やりすぎた。
 繋いだ手をつい離そうとしたら、彼の方からぎゅっと握ってきた。自分から手を繋ぎたいと言った手前振り払うのも変だから、結局繋がれたまま、私はどうしようもない気持ちで彼女のことを見つめていた。

「私、用事あるし帰るね!!また2人で遊ぼーよ」

 彼女は無理やり声を張ってそう言った。わざわざ「2人で」って言ったのは私へのあてつけかもしれない。
 彼女が逃げるように背を向ける。どんどん小さくなっていく背中を見つめていたら、彼が「なんか今日あいつ忙しなかったなあ」と呟いた。「なんかあったのかな」「今度相談乗ってやるか」とまた天然物の優しさを発揮しそうだったので溜息が出る。

「私、あんたのその優しさは良くないと思う」
「え、なになに?嫉妬?めずらしい」

 本気の注意だったのに、私が嫉妬したと思って嬉しそうにしている。この鈍さがより良くない。
 あの女の人もある意味では被害者だよな、と思いながら繋いでいた手を振り払う。彼は「あぁっ!?」と情けない声を上げた。

「怒ってるの?」
「怒ってるよ」

 怒ってるって言ったのにヤキモチを妬かれたのが嬉しいのかニヤニヤしている彼を見て思わずため息が出る。

 ほんとに、いつか刺されそう。
 そういう意味で不安でしかない。

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