見出し画像

【読書会報告】プラトン『饗宴』朗読読書会 #7

こんにちは、『猫の泉 読書会』主宰の「みわみわ」です。

プラトン『饗宴』朗読読書会 第7回目のご報告です。
6月19日の朝、総勢二名で、第七章の途中から終わりまで、交代で音読して、感想や気になることを話し合いました。以下、話題になったことについて、メモ書きです。

プラトンが、アテネの悲劇詩人で饗宴の主催者であるアガトンをガンガン追いつめる様子を感嘆しながら、朗読しました。

■第七章 ソクラテス、アガトンと対話する
これまでの話は何だったの!?という感じでソクラテスは壮大な「ちゃぶ台返し」をして、それから、アガトンを対話で誘導して壁際まで追いつめます。われわれ『猫の泉 読書会』メンバは、この様子を、「ソクラテスの壁ドン」と名付け、詳しく読み込んでいくことにしました。

〇ソクラテス論法に振り落とされるな!
われわれ『猫の泉 読書会』メンバは、ソクラテスの議論は誘導がちょっと強引に思いました。

例えば、「そもそもAですよね?だったらBですよね?」って論理を展開するのだけれど、そもそもの「Aですよね?」の意味がわれわれは、よく分からなかったり、同意できなかったりしました。

「そもそもAですよね?だったらBですよね?」ってソクラテスから問われるアガトンさんは、どうやら根っからのソクラテスのファンのようです。

いや、そもそも、この『饗宴』はプラトンファンクラブのオフ会でもあるようです。

だって、アガトンさんたら、ソクラテスに問われると、何であろうとも、「ハイ! おっしゃる通りですっ!」って顔を赤くして即答してしまうんですよ?(←ちょっと妄想入ってます)
アガトンさんたら、ソクラテスのいう事をうのみにしないで、少しは落ち着いて考えたらいいのにね。

そういう風に、われわれ『猫の泉 読書会』メンバが、同意できなかったり、意味をつかみかねたところをまとめます。

〇ソクラテスの言う「なにかのエロス」とは所有格を指すのか、関係性なのかわからない。
読解力の問題かもしれませんが、「何かのエロス」は下記の二つのことと思います。
・持ち主が示されるエロス(所有格?):「アフロディテの息子」という「エロス」のイメージ
・関係で生じるエロス:恋人のエロス、友情のエロス

しかし、わたしはエロスを「状態」と理解していたので、「なにかのエロス」を関係性として考えるのは間違っているル様に思いました。

つまり、ソクラテスの言う「何かのエロスは、その何かを欲するか?」という問い自体が全く受け入れられなくなります。
わたしにとっては「欲している状態」がエロスなのですけれども…?

〇ソクラテスはさらに「エロスがそれを欲するってことは、エロスはそれを所有していないってことだよね?」と言います。

わたしは、ケーキブッフェに行った時のことを思い出しました。
古代ギリシアには、当然、ケーキブッフェは無いから、ソクラテスにはわからないと思うのですが、すでにお腹いっぱいでも、取り皿にもっとケーキを盛りつけたくなることがあります! 
すなわち、すでに所有しててもさらに欲しくなることはあるものです。
ケーキブッフェに行ったときの経験によるものです。
だから、ソクラテスの前提には賛成できません。

ところが「将来にわたって所有し続けることを望むことが、欲するということ」というソクラテスのコメントをきっかけにして「食べ物を保存する冷蔵庫、お金を保管する銀行も、衣服を気楽に手に入れられるユニクロ」などが全く無い古代ギリシアにおいては、「すでに持っているのにもかかわらずもっと欲しい、と考えることは難しかったのかもしれない」と気が付きました。

現代の大量生産/消費を前提とした生活のほうがオカシイのかもしれません。そして、オカシイかもしれないけれど、あるにはある、ということを言いたいです。

〇ソクラテスの「よいものは美しくあると思うだろうか?」

理想はそうですが、そうとは限らないことを感覚的にわたしたちは知っています。

それとも、もしかすると「よいもの」と「美しくある」の定義からはじめなければならないのかもしれません。
機能美と言うものが存在していることは知っています。
でも、その反対に、良くてもそんなに美しくないものもあるということを感覚的にわたしたちは知っています。


〇ソクラテスの追いつめ方は、いまいちフェアではないような気がする

・アガトンがうかつにソクラテスに向かって毎度「はい、その通りです」と言っちゃうのは、ソクラテスのことが大好き♪だからなのでは。

・たまたま利害の絡まない他愛のない話題だから、かちんとくる人がいなかったのでは?

・つまり哲学は彼らにとってむしろ、つかみ合いにならないで済む適切な社交的世間話だったのでは?

・このソクラテスファンの輪の外でも、ソクラテスは言いたいことをあけすけに言って、毒杯を飲む羽目になってしまったのかもしれない。
であるなら、われわれはソクラテスの聡明さを尊重しつつ、相手を精神的に追い詰めないモノの言い方を修得できれば理想的な議論ができるのではないか? ではどうしたらよいだろうか?

〇饗宴の現場で、拍手や野次はあったのだろうか?

・ソクラテスにやられっぱなしのアガトンに加勢したり、反対したりする声はなかったのだろうか?

・それとも、対話する人以外は、口を挟まないのがルールだったのだろうか? (アガトンが追いつめられるスピードが、とても早くて、誰も助けられなかったのかと…しのびない)

・この本は、もともとアリストデモスから聞いたアポロドロスが話すという体裁なので、饗宴の本筋以外の情報は抜けおちているのかもしれない。

■本日の一冊:『饗宴』 (プラトン/中澤務(訳)/光文社古典新訳文庫)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?