現代のリベラリズムは衆愚政治である
新自由主義の経済学者ミルトン・フリードマン氏が、経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエク氏の著書『隷属への道』の序文において現代のリベラリズムを痛烈に批判している。
共産主義としてのリベラリズム
1912年にアメリカに生まれたフリードマン氏は自由主義(リベラリズム)の経済学者として知られる。しかしフリードマン氏の「リベラリズム」は現代におけるいわゆる政治的なリベラリズムとは全く別ものである。彼は次のように言う。
『隷属への道』は基本的には共産主義・全体主義を批判する本である。しかしフリードマン氏はこの本が現代にとってこそ重要であると言う。何故ならば、共産主義は資本主義社会においても公然と生きているからである。
フリードマン氏は次のように言う。
国民から税を徴収して莫大な予算を立てるには名目が必要である。フリードマン氏によれば、かつては「中央集権的計画」「使用のための生産」などの言葉で大規模な予算とそれに伴う徴税が行われたという。共産主義が崩壊して久しい現代ではもはやこれらの言葉は聞いたことがないだろう。
しかし社会主義の恐怖は別の衣装を着て現代にも現れている。現代では別の言葉を使って同じように政治的予算のための徴税が行われる。1994年に書かれたフリードマン氏の文章に挙げられる例は現在ではほとんどは消え去っているが、まだ生き残っているものもある。彼は次のように書いている。
そして現代ではコロナ対策や東京五輪、あるいは大阪万博だろうか。日本政府はコロナ対策の名目のもとに好きな票田へと資金をばら撒いた。こうした政府による資金投下についてフリードマン氏は次のように述べている。
日本政府はかつてコロナ対策のために人々を旅行に行かせることが重要だと主張した。面白い冗談である。それでも自民党が与党から外れることはない。
政治的予算には常に綺麗な名目と本当の受益者が存在する。少々頭の足りない人々は綺麗な名目に騙されてしまう。問題は、有権者のほとんどがそういう人々だということである。
衆愚政治としてのリベラリズム
例えばグローバリズムにおける移民政策も同じような目的で行われた。シリア難民が、あるいはシリア難民のふりをした別に難民でも何でもない人々が、ヨーロッパではタダ飯にありつけると吹聴したメルケル氏の甘言によって地中海で溺れて死んだ。反対したイギリスはリベラルな人々によって「反知性主義」と罵られた。
受益者は誰か? 安価な労働力が命を懸けて自分のところに来てくれる多国籍企業である。ユニクロの柳井氏が移民賛成であるのは当たり前のことである。ユニクロのホームページには「世界を良い方向に変えていく」というタイトルの移民賛成の言論が載っている。また産経新聞のインタビューでも答えている。
フリードマン氏は次のように語っている。
本当の自由主義
あらゆる名目であらゆる予算が積み上げられ続けている。とりわけ西洋では「環境」やら「倫理」やら「人権」のためだと叫ばれている。
彼らの言う通りにすれば「世界は良い方向に変わる」だそうである。そういう名目のもとに税金は召し上げられる。その資金を政治家たちは好きに使っている。フリードマン氏は次のように言う。
世界を自分の思う通りにしようという思い上がりのことをいつから自由主義(リベラリズム)と呼ぶようになっただろうか。ハイエク氏はこの意味で『致命的な思いあがり』という題の本を書いている。
「致命的な思いあがり」についてフリードマン氏は次のように述べている。
本当の自由主義を思い出すべきなのではないか。そしてそれは現れたのかもしれない。
そうでなければ、綺麗な言葉によって飾られた政治的な腐敗のために、あるいは東京に打ち立てられた便器のために予算は積み上げられ続けるだろう。
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