見出し画像

桜の時 第一話 出会い

毎年、この季節がやってくると私の心に茨が突き刺さるような感覚を覚える。
街は賑やかで、年の瀬を感じずにはいられない華やかなイルミネーションは、人の気も知れずに光はなっていた。人ごみの中、ポケットの中でスマホが鳴っていることに気が付いた。ディスプレイで光る番号は水野浩太からだった。
「はい……」
「おう、元気か?」
いつも通りの大きな声。
「何?」
とぶっきらぼうな返事をした。
「年末は帰ってくるんか?」
「まぁ~、そのつもり」
「ならよかった。佳代子、結婚するんだって。だから、お祝いをと思って。」
と切り出す。松永佳代子は小学生からの同級生だ。今はほとんど交流もなくなっていた。
「そうなんだ。でも私、交流ないし、絶対しないといけないの?」
「仲間だろうよ!」
と浩太はもともと大きい声をもっと張り上げた。浩太は実家も近く、家族同士は私たちが生まれる前から仲が良かった。だから保育園から中学校まではずっと一緒で、高校はお互い目指すところが違って別々になった。仲間意識が強く、幼馴染はみな兄弟と思っているんじゃないかと思うほど熱い男だった。
「私、別に用事があるから、パスするね。」
というと、浩太は電話口でため息を漏らした。
「まだ思ってるの?」
という。その言葉にイラつきを覚えながらも、私は平常心を保つことに専念した。
電車が来ると言って電話を切ると、私は空に向かって息を吐く。
次の日、仕事納めも終わり、社内はバタバタと帰る人の波に呑まれている。席に就けるほど暇ではなかったが、自席に戻ればさほど仕事もなく挨拶を簡単に済ませば会社を出る事ができた。
まだ昼間だったため、変な感覚に陥りながらも、ぼんやりと歩き出した。するとまたスマホが鳴り出す。
また、浩太だ…。
と思いながら、スマホを取り出すと、浩太とは違う番号からだった。私は一呼吸おいて、電話に出る。
「はい。」
「お久しぶりね。頼子ちゃん。」
「お久しぶりです。ご無沙汰ばかりしてしまい、申し訳ございません」
とやけに堅苦しい挨拶をする。
「良いのよ。こちらこそ、毎年、ごめんなさいね。ありがとう」
という電話主は、三好忠明の母だった。きっと、前に送った花とお供え物のお礼だ。
「頼子ちゃん、もう気を遣わないで。私もよくしてもらっているし」
「いえ、私の気持ちですから、お気遣いなさらないでください」
「でもね、もう貴女も新しい人生を歩むことも考えてほしいの」
「えぇ、でもまだ私の中では整理がついていませんので」
「そう、でも本当にありがとう。」
と言って電話が切れた。
 
「今日も暑いよね…」
「ほんとに耐えられないよ」
と言いながら電車が来るのを待つ。都会のほうでは、電車は駅に十分に一本来るのに、ここでは早くて一時間に一本、時間によっては四時間に一本しか来ない。私と同じクラスでいつも一緒にいた吉田真理は、ホームにあるベンチに座りながら項垂れる。例年より高い気温に二人だけではなく、日本中が悲鳴を上げていた。
「この間のエルレの新曲聴いた?」
「まだなんだよね」
「この間、ラジオでかかってたわ。」
なんて話している。私たちは一時間に一本来る電車を逃し、今、四時間に一本しか来ない電車をひたすら待っていた。
私は中学校の時までずっとバレーボールをしていた。だが、高校ではあまり頑張るということをしたくなくなって、楽そうな部活を探していたところに、美術部に入部した。案の定、何もすることもなく、年に一回あるであろう、コンクールに提出する用の作品を作るぐらいだった。
それよりも私は元々好きだった読書に没頭するため、クラスの委員決めの時に決まった図書館委員を理由に図書館で本を読むことに専念した。
 私はクラスでもあまり表に出るほうではなく、その日、一日を授業と音楽と本で過ごすという高校生とも思えない生活で成り立たせていた。
真理とは同じクラスで話が弾んだ一人だ。美術部も同じと言うこともありいつも一緒にいて、音楽の話や将来の話、好きな本の話、お笑い番組の話をしていた。
真理は将来、美大に行き、映像クリエイターになっていろんなバンドのPVを撮ると夢を語った。
私はそんな真理が傍にいると安心する。自分は夢を語るなんてこと、今までしたことなかった。それは、どだい叶えられる夢ではないと思っていたからだ。
「頼子は夢とかないの?」
と真理が私のほうを向いたとき、改札方面から同じデザインの制服を着た男子生徒が歩いてきた。私は見覚えのある顔に思わず声を上げた。
「あっ……」
それにすぐ反応した真理は男子生徒のほうに目を向けた。
「知ってる子?」
「……いや」
「同じ学年じゃないよね?」
「うん、多分上級生だと思う。」
「何で?」
「よく図書室に来る人だから、知ってるだけ」
「へぇ~」
と言って真理は私の脇腹を肘でこつく。すると私たちのベンチの男子生徒が通り過ぎようとしたとき、ふんわりとほほ笑んで会釈した。私は思わず首をすくめた。彼はその先のベンチに座り、本を取り出して読んでいた。
「本当に、話したことない?」
「ない、ないに決まってる。」
「何で?」
「だって、私、そういうの興味ないし、特にタイプでもないし。」
「あぁ、もったいない」
と真理は笑った。私は平常心を保ちながらも、何か勘繰られていないか、噂にでもなったら嫌だと思っていた。
 夏休みに入ると、美術部は部活動も来ても来なくても良くなって顧問の横田先生も趣味のような領域に入る。だから、創作意欲のある子は部活に来ていたけれど、私と真理は、半分遊びに来ているようなものだった。
いつものように図書室に行くと、管理室には、担当の安田先生がプカプカと煙草を呑みながら、こちらに向かって手を挙げた。
「先生、また煙草ですか? 校内禁煙になったって、他の先生が言ってましたよ」
「もう一つ、教えてあげよう。ここは元々、禁煙だ」
と笑いながら煙を鼻から噴き出した。
「知りませんよ。私、チクっちゃうかも」 
というと微笑んだままだった。
先生の担当教科は数学で、私のクラスも担当していた。
私はあまり勉強が得意なほうではなかったが、唯一、数学と理科だけが得意教科だった。
普通科に入った私は、大学を目指す特待コースではなく、普通コースを選んでいた。
親も中学の時の私の成績を鑑み、普通コースを選択したのだ。
普通コースで理系を選択する人はほとんどおらず、目指すは文系の大学、もしくは専門学校、就職と選択肢は広いが大学進学率もかなり下がる。その上、特待コースがやっている勉強をしないというものだった。
イレギュラーな大学に進学したいと言っているのは、私と真理だけだった。
そんな無謀な夢に、担任もあきれ返っていたが、安田先生は私たちの夢を受け入れてくれた一人である。
「今日も、数学の問題、やってく?」
「先生、ありがとう。ついでに本も借りてくね」
とこんな時でないと、先生に微笑まない性格だった。すると、図書室のほうに誰かが入ってきた。ドキッとして私は管理室の小窓から図書室のほうを見る。すると、先生が顔をのぞかせて話す。
「おぉ、三好! 今日も勉強か」
「先生、いらっしゃってたんですね」
「おぉ、まぁ~こちらにも勉強熱心? な子がいてね」
「ちょっと! いいから」
「あっ、いつも図書館に来てる。この間、電車のホームで会いました」
「そうそう、こいつも変わっててね。学年が違うから見ない顔だろうけど」
「いいえ、よくこの管理室で勉強したり、本を読んだりしているのを見てましたから」
「一年生の渡辺頼子だ。こっちは二年生の三好忠明」
「よろしく、渡辺頼子さん」
とホームでした微笑みで挨拶をした。私も軽く会釈をした。すると先生は手をたたいて、三好の肩に手を置いた。
「三好、お前も数学好きなんだから、二人で勉強すればいいじゃないか。大体、お前たち以外、ここには誰も来ないわけだし、噂になることなんてない」
「いや、ちょっと先生!」
と私は話を遮るように割って入った。
「良いじゃないか、それにお互いの勉強にもなる」
「僕は構いません。復習にもなるし、渡辺さんは予習にもなる」
「えっ……」
「ほら、決定だ。じゃあ、放課後に集まろう。もちろん先生も参加はするが、いなかったときは各自自由に勉強すればいい」
というと三好は頷いていた。
「良いかな? 渡辺は」
「はぁ、まぁ……」
と曖昧な返事をしてしまった。
 それから、私と三好、そして安田先生は、毎日のように図書館に集まって勉強をするようになった。
夏休みの学校内は、誰もいないからか暑さの中にひんやりとした空間が生まれた。
久しぶりに、美術部を覗くと、真理が真剣に絵を描いていた。静かに座っていると、真理が気配に気づいて、耳につけていたイヤホンを取りながら振り返る。
「おはよう、来てたんなら、声かけてよ」
「おはよう、だってさ、真剣だったんだもん」
と言いながら借りていたCDと自分が買ったCDを渡した。
「お!アジカンの新譜だ。ありがとう」
と胸に抱きしめる。真理は男っぽい部分があるものの、しぐさが可愛くて笑顔も素敵だった。踊り場には、紙パックのジュースが売ってあり、二人で買いに行って、美術室で飲んだ。
私の高校は住んでいるところから電車で三十分もかかる市名も違う場所にある。周りは自分が住んでいるところと似ているが、それよりも奥地で、いえば途方もなく田舎なのである。周りは山々に囲まれ、コンビニすらない。当然、生徒たちは都会への憧れが強くあった。出席番号も席も近いこともあり、真理のほうから、声をかけてきてくれた。私は友達を作るのが得意ではなかったし、作る努力もしなかったが、真理はそんな私に声をかけてくれたのだ。だから、趣味の音楽の話も、他愛のない話も気が合って、二人はいつも一緒にいた。
「あぁ~次の席替え嫌だな」
「私も嫌だよ……でも、真理はさ友達多いじゃん」
「いないよ。私、友達作るの下手なんだよね」
「えっ…真理、それ本当?」
真理は人に話しかけるのに慣れている感じだった。私のように人見知りではないし、人の話に合わせられるオールマイティな人だと思っていた。
だが、真理は笑いながら自分があまり人との関わり合い方が、分からなかったし、信用もできなかったと話した。だから、信用出来そうで、自分が一緒にいて安心する人を探していたら、私が見つかったことを照れくさそうに言ってくれた。
私も「真理といると落ち着くよ」と言って二人は笑った。
 夏休みも終わり、新学期が始まる。高校に入ってから初めての長期休暇だったため、体は訛っていたが、膨大に出ていた宿題は完成し、もちろん、読書感想文や絵の提出物も終わっていた。部活を美術部に変えてよかったと思った瞬間だった。席替えも終わり、真理とは比較的近い席になった。
「よかった……弁当の時の移動、大変だからさ」
「って、私たち弁当ここで食べないし」
「あっ、そっか」
と笑う。
お昼休憩の時間になり、いつも通り、お弁当を持って図書館の管理室に向かう。安田先生は、自分にも負い目があるからと軽い注意くらいで実質許していた。
「安田っち、おひさ!」
とドアを開けるや否や真理は元気に挨拶をした。安田先生は煙草吸いながら珈琲を飲んでいた。
「こら、安田っちはないだろう?」
「ないかな?私は可愛いと思うけど」
と言いながら古びたソファに腰かけた。いつもの定位置だ。
「明日から、実力テストだぞ。勉強したか?」
「そうだった……むっちゃ嫌なんだけど」
と言っていると、安田先生はフフッと笑って、私たちを見つめる。
安田先生はまだ若く、二十七歳だ。端正な顔立ちでいつもアンニュイな感じが漂っていたため、そういう感じが好きな女子からの人気はあった。独身とは聞いたこともあったが、彼女がいるとかそういうのは聞く必要もないと思って聞いてもいなかった。
「安田っちは彼女とかいないの?」
と急に真理が聞いた。
「何でそんなこと知りたいの?」
「なんだよ、教えてくれたっていいじゃん。減るもんじゃないし」
「減っちゃったらどうするんだよ」
と笑って煙草を呑んだ。
 真理はきっと、安田先生が好きだ。
 十月が来ようとしているのに、まだまだ夏の暑さが抜けず、高校生にもなって運動会の練習とかいうものにも参加しないといけなかった。私はうんざりしながら、目立たない位置に座り、できるだけ走る競技には当たらないように身を屈めていた。すると、甲高い体育の今村先生の声がして、私の名前を呼んだ。
「渡辺、渡辺はいるか?」
 ついに呼ばれてしまった。
私はそんなことを思いながら、小さく返事をして立つ。
「渡辺は走るのは得意だったか?」
「いえ、得意ではありませんし、みんなの足を引っ張ってしまうと思うので、違うの人にしてください」
というと先生は首を振る。
「いやいや、みんなでやってこその競技じゃないか!」
    始まったよ、この熱さ。
とため息交じりの返事をして、結局、徒競走に出る羽目になってしまった。
放課後に残って練習するとリーダーの橋口が言い出し、私はもっと憂鬱になった。すると真理が近寄ってきた。真理は運よく徒競走から免れていた。
「頼子! 今から練習でしょう?」
「まぁ~ね。」
とうつろな返事をした。真理は今日、家の用事があるため先に帰ると言い出した。
「はいよ……じゃあ、また明日ね。」
というと「頑張ってね」と言いながら帰っていった。私は仕方なく、運動場に行くとほかの学年の人たちも練習をすることになっていたようで、トラックは人で埋め尽くされていた。
「よし!じゃあ、部活もあるし、1時間だけしっかり練習するぞ!」
と橋口は張り切る。
    一時間もやるの? 良いってそんなに張り切らなくて…。
と思いながらも走る。すると横から声をかけられた。
「渡辺さん、徒競走出るんだね。」
ハッとして振り返ると、三好がいた。
「えっ、えぇまぁ……その……」
「僕も選ばれちゃって。走るの苦手だったけど、出ることになったんだ」
と言った。何か返事をしなくてはと考えていると、名前を呼ばれてしまった。
一時間みっちりと練習をしてクタクタになった私は、軽く片づけを済ませて、清涼スプレーを体に吹きかけた。
そして今日中に返さないといけない本を持って急いで図書室に向かう。図書室には誰もおらず、管理室にいるはずの、安田先生も今日はいなかった。私は息を整えるためにドカッとかばんを机に置いて、本を返却しながら次の目ぼしい本を探していた。すると図書室のドアが開いた。
「お疲れ様」
「あっ……さっきはどうも」
と変な挨拶をしてしまったが、もう後には引けなかった。
「いやいや、急に声をかけちゃって申し訳ない」
「いえ、私も全然声かけられなかったし、気づかなかったし」
というとチラッと管理室を覗く。
「先生いないんだ。珍しいね」
「そうなんですよね……」
と言いながら席に座り、三好は勉強を始めた。
「君は宿題?」
「あっ……まぁそんなところです」
「よかったら一緒にしない?」
「はい」
ふと、かばんの中に入っていた成績表を見て、そういえば、三好にお礼を言わないといけないことに気づいた。この夏休みに三好と宿題を終わらせたのち、勉強をするようになった。そのおかげか、実力テストの結果が良かったのである。普段、私から話すとしたら、分からなかった問題を質問するぐらいだった。お互い、メールアドレスも知らない。ましてや上級生でもある彼とは住んでいる地域も違えば、何の接点もなかった。
「あの……」
と話しかけると、三好は優しく返事をして顔を向ける。
「三好先輩のおかげで、実力テスト、結構成績よかったです。ありがとうございました」
「いや、こちらこそ、僕も一年前の復習ができてよかったよ。ありがとう」
と微笑む。三好の微笑みに私は少し恥ずかしさがあり、顔をそむけてしまった。二人は勉強を終えて、ふと時計を見る。
「もうこんな時間か、そろそろ帰ろうか」
「あっ! 本当だ。」
時計を見れば、もう七時を指していた。私と三好は片づけをして、下駄箱に行くと見回りの教頭が声をかけてきた。
「まだ残っていたのか?」
「ええ、勉強をしてました。」
「そうか、精が出るな。気をつけて帰りなさい」
「ありがとうございます。さようなら」
と言って校門を出た。あたりは真っ暗になっていた。部活をして帰る子たちも疎らにはいたが、ほぼすべての学生がいない状態だった。初めて三好と一緒に帰ることになった私はやけに周囲を気にしていた。同級生に会ったら、クラスでまた何か噂される。特に田舎の女子高校生は娯楽が少ない分、噂好きでオーバーなことも盛ってしまう。
「もう真っ暗だね」
そんなことを気にもしないでいる三好に私は少しムッとした。
「渡辺さんはどこに住んでるの?」
「えっ……〇〇市です」
「そっか、少し遠いんだね」
「三好さんはどこに住んでるんですか?」
「僕は△△市だから、君より三駅ほど学校に近い」
と言って空を見上げた。
学校から駅まで、歩いて十五分かかる。その道すがらは、真理と帰るか、一人で音楽を聴きながら帰る。
周りはカップルか友達同士で帰る学生だけで、あとは田舎の農作業着姿の人か、たまにいる地方銀行員の人ぐらいで何もない田舎の風景が広がるこの道を、ひたすら駅に向かって歩くしかない。
この時間はもうカップルでさえも歩いておらず、私と三好の二人だけだった。ふと私は三好が持っている大きなカバンに気が付いた。そういえば、三好と出会った時から、プライベートな話どころか、何組で、何を目指しているのか、何の部活動をしているのかさえ知らなかった。大体、毎日のように図書館で勉強をしている三好が運動部に所属するわけがないとばかり思っていた。
「三好先輩は、部活動は何をされているんですか?」
「あぁ、僕はテニス部なんだよ」
「テニス部ってあまり活動はされてないんですか?」
「いや、毎日練習はあるよ。大会もある。練習は一時間ぐらいしたら先生に伝えて、出てきてるんだよ」
「そうなんですね。私、てっきり部活はされていないのかと思っていました」
「確かにそうだね、だって図書室ばっかり行ってるんだから」
と言って笑った。
「そういえば、渡辺さんは何か部活には所属しているの?」
「いえ、私は……幽霊部員というか何というか……美術部に所属はしていますが、絵も描けないし、工作も出来ないし、作品は一つも作ってないです」
「そうなんだ。でもどうして所属しているの?」
その質問に私は答えを迷った。私は小学校からバレーボール部に所属して、それなりに体を動かすことは好きだった。
だから、周りも高校に入ってからもバレーボールを続けると思っていたようだ。
だが、私が入っていたバレーボール部は女子らしいといえば語弊もあるかもしれないが、毎日何かしらの揉め事や争い、嫉妬などもありいじめもあるときもあった。部員内だけの問題だけならまだしも、部活に来なかったり、ミスなどもないのに監督の機嫌でちょっとした暴力もあり、そんなことに怯える毎日をまた三年間も送るなんて耐えられなかった。
ましてや、そこで全国に行ってみんなが日本代表や企業のチームに推薦でもしてくれるのであれば行く価値もあるが、せいぜい県大会出場止まりで、終わるのが目に見えていた。自分が好きなことができて、自分の都合で帰ることができて、休むこともできる緩くて、優しい部活に所属したいという、いわば逃げで美術部に入部したことがきっかけだった。美術部に入部したと以前、浩太に伝えたことがあった。浩太は野球部の推薦で高校に入っていたため、そのまま野球を続けていた。甲子園に出て、プロになることを目指すような体育会系の魂を持っていてる浩太は、「なんだそれ! 大体、そんなことでやめちまうのかよ。この根性なし」なんて私を罵った。私はこの時、生まれ変わったら絶対に男に生まれてやると誓った。だから、三好に言っても同じ答えしか戻ってこないんじゃないかと思うと怖くて言い出せずにいた。すると三好は私の気持ちを汲み取るように
「別の部活動もやってみたかったってところだよね。野暮な質問だった。ごめん」
と謝る。私はハッとしたが、駅に着いたため、三好とは少し距離を置いて歩いた。ホームには誰もおらず、電車も疎らに大人が乗っているだけで学生は私たちだけだった。
三好といるということをとても恥じている私とは違い、三好は私といることを全然恥じておらず、むしろ、私が読んでいる小説に興味津々の様子だった。三好は難しそうな本を読んでいて、私の知らない本ばかり図書室でも借りていった。一度、三好はどんな男なのかを知るため、図書室の本を返しに来た時、借りていた本を見てやったことがあった。すると英文字で「パスカル」と書いてあり、数学者の本を読んでいた。私には理解できない本だと中も見ずに返却をしたことがある。今日も読んでいる本は、「ニュートン」だった。
三好の自宅の最寄り駅に着いて、私は目の前の三好を見る。三好は微動だにせず、降りようともしなかった。
「あの……三好先輩最寄り駅ってここじゃ?」
「そうだけど、今日は遅いから君の最寄まで送るよ」
「いやいや、私の最寄り駅はもっと先ですよ。遅くなりますし、私は大丈夫です」
「君はとても人を気遣う人なんだね。今日は君が読んでいる本を紹介してもらいたいと思って。」
「わ、私が読んでいる本は三好先輩が読むような本じゃないと思います」
と素っ気ない返事をしたとたん、電車のドアが閉まり、三好の最寄り駅を出発してしまった。
「僕は興味がある。君が読んでいる本はタイトルが素敵で美しい」
という三好に促され、私は渋々自分が持っている本を手渡す。簡単にあらすじを読んで三好は微笑んだ。
「これ、図書館の本かな?」
「いいえ、私が家から持ってきたもので……」
「読み終えたら借りてもいいかな?」
「私はその小説をもう読み終えて、二回目に突入したところだった。
「全然、持って帰ってください。私、一度読み終えているので」
「良いの?じゃあ、お言葉に甘えて」
といって丁寧にブックカバーに入れた。ふとブックカバーから出した本はいつも三好が読んでいる難しそうな本ではなく、私が好きな三浦しをんの本だった。
「三浦しをんさんを読むんですか?」
「うん、好きなの?」
「えぇ、しかも新刊ですね」
「うん、これ、もうすぐ読み終えるから貸そうか?」
「良いんですか!」
私はその本をまだ手に取ることは出来ていなかった。何しろ、夏フェスやライブに使ったお金が膨大で、本を買うお金が無くなってしまったのだ。私は思わず微笑んだ。三好の前ではあまり見せない笑顔に三好もほほ笑んだ。
「よかった、初めて見たよ。君の笑った顔。笑っていたほうがいい」
と言われて我に返り、顔を真っ赤にしたとき、私の最寄り駅についてしまった。
「あ、ありがとうございました。では……」
「また明日。今日はすごく楽しかった。本、ありがとう」
というと私はホームに降りた。電車は終点で、折り返して三好は帰っていった。自転車に乗りながら家に向かう道すがら、私の胸の高鳴りが止まらず、ずっと鼓動が大きくなっていた。
 体育大会は高校にもなると簡素なもので、基本的には親も見に来ない。だから、生徒も暑い中、飲み物も自由に飲んで、自分が出ない競技には目もくれずぼんやりと過ごしている。
「はぁ~だるいねぇ」
「本当に、早く終わんないかな」
と真理と私は今日も二人でうだうだと言っている。あの日から、本の貸し借りをしながら、勉強も一緒にやっている三好のことが気になり、私は話ながらも三好を目で追っていた。
「最近どうなの?」
「どうって?」
「私たちの間に隠し事はなしってなってるじゃん!がり勉とはどうなったんだてってこと」
「あぁ~何もないよ。別に本の貸し借りと、安田先生がいうから一緒に勉強をやってるだけで」
「ほほぅ~」
と何かをたくらむ顔で目を細める。私が最近、美術部に行かず、図書館にばかり行っていることを不振がっている。
「たまには、美術部にも来ないと、退部になっちゃうよ」
「それはまずいね。行く」
「そう来なくっちゃ」
と言って二人は笑った。徒競走も終わり、お昼ごろには体育大会も終わった。授業がない日はなんてのびのびしているんだろうと思う。秋のふっくらとした風が美術部に吹いていた。椅子に座りながらぐっと後ろに背中を逸らすと、目の前に逆さまの横田先生が立っていた。わっと声を上げて上体を起こして、横田先生のほうを向く。
「やっときたか。もう退部にしようかと思っていたんだぞ」
と冗談ぽくいう。
「退部はちょっと……困る」
「じゃあ、みんなこれに応募するから、作品を作る準備始めなさい。」
と言って手渡されたのは県内の美術コンクールの作品応募のポスターだった。
「ちょ、ちょっと待って、絵も描けないし、嫌だよ」
「美術部に入部したんだからちゃんと活動はしてもらわないと」
と言われて渋々引き受けた。真理はもともと絵心もあり、将来は美大に行くと決めている。私は安易な気持ちで入ったため、絵心もなくとりわけ工作力もない。
「先生、なんかいい案ないの?」
「絵でもいいし、工作でもいいよ」
「なんでもいいと言われても……困るんだよな」
とペラペラと過去の作品のパンフレットを見ているとちょうど焼き物も展示されてあった。
「先生、焼き物ってどう思う?」
「良いんじゃないか?ほかの部員もやってないし」
「じゃあ、そうしようかな。ウサギとかモチーフにしてさ」
となんとなくイメージの形はできるような気がした。それからはとりあえず、土集めや土を焼く窯などを用意して、ウサギの肩を取り、ひたすら手を動かした。真理は油絵を完成させようとしていた。いつも真理の絵は独特で、世界観がとても素敵だった。私は真理の絵がコンクールで入賞してほしいと思っていた。
 窯で焼く間は、何もすることができないため、私は久しぶりに図書館に行くことができた。管理室に入ると安田先生が宿題の採点をやりながらまた煙草をプカプカとふかしていた。
「先生、久しぶりです」
「おぉ! なんだもう来ないのかと思ったよ」
「なんか美術部が忙しくて」
「お、ちゃんと部活やってたんだな」
「まぁ、とりあえず」
と言いながら図書館のほうに目をやる。いつもいる三好の姿が今日はない。私が気にしているのを察知したように安田先生が
「三好も今日は来てないぞ」
と言った。私は気にしていることを誤魔化すように
「えっ? あっそう」
と素っ気なく答えた。
「三好も部活動が忙しいようでな。ほら三年生が引退したからさ」
という。試合とかには出ているのだろうか。あの日、部活動の話を広げられなかったため、テニスが上手なのか、下手なのか試合にレギュラーで出ているのかどうかなどは聞くことができなかった。
すると安田先生が「あっ!」と声を上げ、机の上に置いてあった本を二冊取り出した。
「これ、三好から預かっていて、渡辺に渡しておいてくれって言われてたの忘れてたよ」
「なんだろう?」
私は三好に貸していた小説と三浦しをんの新刊の存在を忘れてしまっていた。綺麗に包装された包み紙の中に手紙と可愛らしい猫の柄が付いた文庫用のブックカバーが入っていた。
  返却が遅くなって本当にごめん。江國香織さんの本、とても感動しました。本の中に犬の話が出てきたのですが、君は猫好きなのじゃないかと思って、模試の帰りに僕も欲しかったからブックカバーを買いました。もしよかったら使ってください。あと、直接渡したかったけど、君が何組か知らなかったので、返しに行けなかったんです。だから先生に預けてしまいました。もしメールアドレスの交換ができたらいいなと思います。
 
と携帯のメールアドレスが記載してあった。私はそっと手紙を袋にしまい、猫の柄を見ながらブックカバーを手に取ってみた。でもどうして私が猫好きと分かったのか不思議だった。確かに三浦しをんの本の中には猫のもののけも出てくるが、それだけでは猫好きかどうかは計り知れないだろう。そんなことを思っていると、チャリーンという音がして、私が三好に貸していた本から何かが落ちた。
「あっ……これか」
それは以前、祖父と島根に行ったときのこと、ステンドグラスの展示館のような場所で買ってもらった猫のモチーフが描かれているステンドグラスで作った栞だった。これを見て三好は私が猫好きだと気付いたのだ。借りていた本を返却し、図書室のカギを閉めて帰ることにした。今日は真理もバイトがあると言って帰っていった。校門を出てから誰もいなくなった後で、手紙をもう一度読み返す。とても男性の字とは思えないほど、優しくてきっちりとした綺麗な字が並んでいた。三好の厚意に甘えて、ブックカバーは使うとしても、何か返しが必要なのではないだろうか……下手なものを返すのもなんだ、お菓子などにするのも難しい。
だからと言って物を返すと周りから何か思われるのではないかと感じた。きっと私と噂になることは、三好だって困ることだろう。遠目からだがテニス部のコートを臨むことができる。そっと見てみると、いつもとは違う真剣なまなざしでボールを追いかける三好が見える。するとコートから出て何やら手の甲を抑えるしぐさをしていた。みんなはリストバンドをしているが、三好はしておらず、汗でラケットのグリップが滑るようだった。私はお返しをリストバンドにすることにした。ただ、自分がリストバンドなんてつけたこともなかったせいか、どのメーカーのものがいいか、悩む。
自宅に帰ると、父と母が何やら喧嘩をしている様子だった。いつものことだ。もう何も感じなかった。そそくさと食事を終えて、二階に上がってベッドにもたれかかった。宿題は図書室で終わらしたため、三好にもらったブックカバーを借りた本に挟む。しっかりとしたカバーで一生使えそうだった。さて、今日のお礼にメールを送るべきか送らないべきかを悩んだ。三好の性格はもう分かっているつもりだが、まだまだ計り知れず、もしかしたら裏切られて、いじめられたりするのではないかなどを考えてしまう。別にもう一人に裏切られるのは慣れっこだったのにも関わらず、まだ怯えている。本も貸してもらい、ブックカバーももらっているのに、お礼を言わないというのは正直いけないことのような気もする。とりあえずメールの文章だけ作り、保存をすることにした。
 休みの日、久しぶりに真理と一緒に街へ遊びに行くことにした。待ち合わせ場所に行くと、真理は美大を目指すことだけあって、とてもおしゃれに着こなしていた。いつもならお茶をすることもないのだが、今日は特別にすることにした。スターバックスはいつもにぎわっていた。フラペチーノは冷たくておいしい。
「最近、図書室行ってる?」
「昨日は行ったよ。でも返却しかできてない」
「そうか、私行けてないんだよね」
「そうだよね、真理はコンクールに向けて頑張ってたし」
「うん、来週からは行けるかなって感じ。安田っちどう?」
「安田先生はいつも通りだよ。何にも変わってない」
と安田先生のことは何も思ってないように答える。正直、何も思っていないが、真理も毎回、私が図書室に行くことはあまり良いとは思っていないだろう。自分が好きな相手と四六時中一緒に居られるのは、気があるんじゃないかと疑いたくもなる。真理に疑われて友達を失うほうがつらいと思うからこそ、私はあの話をしようと思った。
「あの、真理に相談があるんだけどさ」
「どうしたの?」
と真理は前のめりになった。
「いや、別に深い相談ってわけじゃなくて、あの三好先輩のことなんだけど」
「三好?あぁ~あのガリ勉!」
と手をたたく。
ひととなりを真理に伝えると、真理は勢いよく「メールするべきだ!」と言った。でも私は決めかねていた。中学の時に浩太と一緒に帰っているところを見られて、変な噂を立てられ、その当時に浩太のことが好きだったクラスの女子にいじめられたことがあった。それが、トラウマになって私の心に深く傷をつけた。正直、あの時も一人で帰るつもりだったのに、帰る方向が同じで、後ろから声をかけてこられたから一緒に帰ったまでで、私にとってはとんだとばっちりだった。そんな事件をまた繰り返したくはないからこそ、慎重になっているのだ。真理にもこの話は軽くしたこともあるのだが、忘れているのだろうかと思った。
「過去は過去。前を向いていかなきゃいけないんだからさ。私も先生のこと気になってるけど、踏みとどまってるのは先生だからだよ。もし同じ生徒だったら、もうアタックしてるね」
と真理は言った。私はそれもそうか、と思い友達になるぐらいならいいかと保存しておいたメールを送った。そしてお返しのリストバンドをスポーツ用品店に買いに行って、プレゼントだと思われないようなデザインのものにした。真理は自分のことのように真剣な眼差しで選び、メールの返事はまだかとせっついた。
「よし、お互い頑張るぞ!」
と最後には私と三好との恋を妄想し始める。こんな突っ走る真理も可愛らしくて、少しムッとしながらも笑っている私がいた。
 真理と別れたあと、すぐに携帯が鳴る。慌てて確認すると三好からだった。三好は丁寧に返事をくれていた。本を読み終えた旨を伝え、また図書室に来てほしいと伝えた。するとこれからお互いに好きな本を貸すというのはどうだろうかという提案がきた。私は自分が知らない本をタダで知ることが出来ることにまず喜びを感じて、すぐに承諾をした。
次の日、授業も終わり急いで図書室に行くと、部活終わりの三好がいつもの定位置勉強をしていた。私は管理室にかばんを置くと、三好のほうに行こうとしたとき、誰も来ない図書室のドアが開いた。私は思わず腰を屈めて、机から少し図書館のほうが見えるようにして隠れた。すると、一人の女子生徒が三好に近づいていくのが見える。
「三好君」
と可愛らしい声で呼びかけた。びっくりしたように振り返る三好だったが、何かを話している。生憎、管理室と図書室との間の小窓も閉まっていて、話している内容はほとんど聞こえない。だが、手紙と一緒に何やらプレゼントのようなものを渡している様子が見えた。
私も馬鹿じゃない。告白だということぐらいはわかる。だからこそ、この気まずい空気を回避するために隠れたわけだ。するとドアが開く音が聞こえる。女子生徒は出て行ったようだった。安心はしたが、少しの間、身動きが取れなかった。十分ほど立って頃合いを見計らい、何事もなかったように図書室に入る。
「お疲れ様です。」
いつも通りの登場の仕方は完ぺきだった。すると三好も同じように返事をした。
「あの、先日はありがとうございました」
「こちらこそ、メールありがとう」
と言う。
「本、ありがとうございました。とても面白かったです」
「だよね! 僕もその本大好きなんだ。それに江國さんの本、すごく優しくて泣いちゃったよ」
と言って二人とも本の話の時は笑顔だ。だが、私の目線はテーブルの上に置いてあるプレゼント包装されている袋がとても気になっていた。彼女が渡したのは分かっている。私が見ていたことは三好が知る由もないのに、どうしてか自分が持ってきたお返しを渡すことが出来なかった。私は居た堪れなくなり、その場を離れたくてきょろきょろと辺りを見回すと、管理室のドアが開く音が聞こえる。”安田先生だ!”私は藁にも縋る思いで、振り返ると安田先生の後ろに真理がいた。何やら真剣な顔をしている真理の様子を見て、一瞬で私は真理が今からしようとしている行動が手に取るように分かった。だから私は素早く三好の手を引いて本棚の陰に隠れた。あまりにも素早い行動だったために、三好は何が起きたかがはっきりはしていなかった。向こうから聞こえてくる声に耳を傾けると、やっぱり真理は安田先生に告白をしようとしていた。何も分かっていない三好と事の次第を知る私は本棚の陰に息を潜めながらかすかに聞こえる話を聞いていると、安田先生は深く困った返事をしていた。
「先生が困っているようだね」
と三好は言った。私は静かにするように促す仕草をした。私は真理がフラれることは分かっていた。今まで教育実習できた若い大学生に告白をした生徒を何人か見たことがあるが、悉くフラれている。そんな中、現役の先生に告白をして成功するわけがない。今、私が出来ることは、知らないふりをしていつも通り真理に接し、真理から事の次第を聞いて励ます、またはほかの男に気を向けさせるという二つの選択肢しか残されていないのだ。
 案の定、真理はフラれた。真理は泣きながら管理室を後にしていく。先生は参った様子で真理のあとに管理室から出て行ってしまった。私と三好はそっと立ち上がった。
「あの子、よく君と一緒に居る子だね」
「はい、クラスも同じで親友の吉田真理です」
「うん、先生のことが好きだったんだ。でも、君は知っていたの?」
「真理と私は音楽が好きで、音楽でつながっていたこともあって、あんまり恋愛の相談はしませんでしたが、真理が先生が好きだったことは知っていました。だからこんな日が来ることも分かっていたのかもしれません。巻き込んでしまってすみませんでした」
と私は頭を下げた。すると、微笑みながら、いいよ、言った。三好は用があると言って、先に帰ってしまい、私も勉強をする気にもなれず、美術部にいく事もできずに管理室にいることにした。お返しの包み紙を持ったまま、ぼんやりとしていると安田先生が戻ってきた。安田先生は何事もなかったように私に声をかける。
「おぉ、来てたの」
「は、はい、さっき」
と言って包み紙を乱暴にかばんに突っ込んだ。いつも通り煙草に火をつけて窓の外に煙を出すと、変なことを口に出し始めた。
「僕はさ、恋ってもんがよく分からないんだよな」
「恋?」
「あぁ、何を見て恋をしたっていうのかなって」
安田先生もまた相談相手がいないのかもしれない。私はそう思って、思い切って自分のことから話してみようと思った。
「私も恋って何か分かりません。小学校や中学校の時も、同級生や先輩にも何の感情も抱きませんでした。」
「渡辺もその口か。でも好きだな、興味あるな、ってぐらいは思わなかったの?」
「思いましたよ、でもそれが泣くぐらいとか付き合うとか愛し合うとかよく分からなくて。でもちょっと気になる人が、告白をされているところを見てしまったんです。でも、それが恋なのかはまだ分かっていません。今まで通り接していいのか、控えたほうがいいのかと」
というと安田先生は微笑む。
「渡辺は本が好きなだけあって、話し方がとても小説的だな。すごくいいと思う」
とほめた。
「確かにそうだ。気持ちなんて分かりっこない。俺だって何も分からないまま、ここまで来たんだ」
と言って笑う。そんな安田先生はきっと真理に対しての感情は先生が生徒に抱く感情だったに違いない。堪らなくなったのか安田先生は煙草に火をつけて口にくわえながら外を見る。私も挨拶だけ済ませて、管理室の外へ出て、深呼吸をしながら美術室へ向かった。いつものように美術室のドアを開けると、真理が絵を見つめながらぼんやりとしていた。安田先生との会話はよく聞こえてこなかったから、どうしてぼんやりしているのか分からなかった。
「おぉ! 真理」
と声をかけると、真理は涙目で私を見つめる。
「どうしたの?」
というと真理は泣きながら抱き着いた。
「私さ、安田に告白したの……フラれちゃった」
と泣きわめく。私は事の次第を知っていて、安田先生の気持ちも痛いほど分かっていたからこそ、何とも言えず、真理の頭を撫でて慰めた。
 あの日から私は図書室に行きづらくなって、足が遠のいていた。真理はいつも通りの元気を取り戻したように思えたが、数学の授業は安田先生が担当でその時だけはおとなしくなってしまった。期末テストも近づいて部活もなくなった頃、久しぶりに図書室の管理室は、静寂がうごめくようにしてしっとりと湿気のあった。本当に誰も来なくなった寂しさでいっぱいだった。私はまだあの時に渡せなかったリストバンドを鞄にしまったまま、私は心に三好の存在すらも心にしまい込んだ。少し勉強をしてから、管理室のドアのカギを閉めて、下駄箱へ向かうと聞き覚えのある声が聞こえた。とっさに下駄箱の隅に隠れた私は、帰れないまま盗み聞きをする羽目になってしまった。そっと見ると三好とあの時の、女生徒が立っていた。
「あのときの返事なんだけど、僕は今、好きな人がいるんだ」
「誰なの?」
と少し泣きそうな声で女生徒は震えている。
「誰とは言えないんだけど、その子が好きなんだ。だから佐伯さんとは付き合えない。ごめんなさい」
と言って頭を下げる。すると涙を我慢していた女生徒は泣きながら去っていった。ほとぼりが冷めたころ、何も見ていないふりをしながら下駄箱の隅から自分の靴が置いてある場所に向かう。
「お疲れ様です」
と素っ気なくいつも通りの挨拶をする。すると三好は疲れたような顔を見せながらも、私に微笑みながら挨拶を返す。
「今帰り?」
と三好は私に聞いた。
「はい」
というと三好は一緒に帰ろうと誘う。私は無言で頷いて二人は校門を後にした。しばらく二人は無言で歩く。その沈黙の時間はとても長かったように感じたが、まだ学校から駅の半分の距離しか歩いていなかった。すると沈黙を切り裂くように三好が話し出した。
「渡辺さんは好きな人はいる?」
急にそんなことを言われて私はびっくりしてむせてしまった。
「えっ、好きな人ですか?」
私は沈黙してしまい、答えられなかった。すると三好はクスっと笑った。
「僕もきっとこんなことを言われたら戸惑って、答えられないと思う」
と言った。試されたように思い、私はムッとした顔をした。すると、三好は息を吸って、
「渡辺さん、僕は君が好きだ」
といった。
「えっ!」
突然の告白で私は頭が真っ白になった。今までの人生の中で、人の告白には立ち会ったことは何度かあったが、いざ自分が告白をされるというのは一度もなかった。
振り向かれもしなければ、振り向きもせずに、恋愛とは小説の中でしか経験したことがなかった。だからなんと返して良いか、分からなかった。
「いきなり言われても困るよね。申し訳なかった」
と謝る三好の手を思わず握った。
「こういう時、なんて言えば良いか正直、分かりません。でも多分私も好きです」
と言ってしまった。我に返った私は、慌てて三好の手を離そうとしたが、逆に三好は私の手を握った。
「それを返事ととって良いのかな?」
と不安そうな目で見つめる。私は心臓の高鳴りと、得体の知れない羞恥心でいっぱいになり、顔を赤くしてとりあえず、今できる精一杯の顔を縦に振る仕草で凌いだ。すると、三好は不安そうな顔を一気に緩めた。
「はぁ~緊張した」
「と肩の力を抜いた。
「えっ……緊張?」
「うん、僕は初めてだったよ。こんなに人生で緊張したのは。これは模試を受けて、勉強をしていなかった部分が出た時ぐらいだよ」
と笑った。
「私もですよ。私は初めてピアノの発表会で演奏したときぐらい緊張しました」
「と二人で笑う。
「じゃあ、僕と付き合ってくれるの?」
「私でよければ……」
と照れながら話す。だが、私にはまだ三好を信用して良いものかと少し悩んでいる部分はあった。明日、学校に行って広まっていて、これは結局罠だったなんてことになれば、また学校に居づらくなるし、真理の心中を考えると、今の現状は見せることは出来ない気がした。
「でも、お願いがあります。私はあまり学校で目立つ行動を起こしたくなくて、だからあまり付き合っていることを郊外したくありません。」
今考えると何を恥ずかしがっているのかもよく分からないようなことを、高校生の時は随時気にしていたような気がする。
「うん、分かった。じゃあ、秘密にしよう」
と言って微笑んだ。三好は人に対して怒ったり、声を荒げたりする人間ではなかった。こんなにも失礼なことを言っていることも私は分かっているのに素直になれない自分が嫌いだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?