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比較文学者「萩尾望都の『残神』は竹宮惠子の『風木』への批判」

週刊朝日に「萩尾望都の『残酷な神が支配する』は、竹宮惠子の『風と木の詩』への批判だった」という比較文学者の書評が掲載されていました。
以下は、一部引用です。

1992年から小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に萩尾望都の少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」が連載されていたが、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと思っていた。
昨年出版された中川右介『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。
萩尾の作品を年代順に読んでいけば、誰でもある時期から描線が固くなったことに気づく。のびやかで丸っこい竹宮と似た描線が、ぎごちないものになってしまう。それはまったくこの呪縛のためだったのだろうかと驚きを覚える。
だから当事者のかたわれたる萩尾自身が、そんな革命は竹宮と増山が考えていただけだと言い、少年愛になど関心がなかったと言うことは、私には長年の呪縛からの解放のように感じられた。
しかし萩尾は「残酷な神が支配する」について本書では何も言っていない。やはりあれは少年への大人によるレイプすら美化してしまった竹宮への批判だったのだろう。その点では、竹宮を祭り上げてきた漫画評論家たちが、改めて批判されなければならないだろう。
竹宮の自伝出版を発端として、萩尾がこの件を明らかにしてくれたことは、漫画史のみならず、思想史的にすら重要なことだったと、私は感謝の念すら覚えるのである。

【週刊朝日】萩尾望都「少年愛には関心はなかった」 竹宮惠子との「絶縁」の真相より一部引用

で、5chで反論がありました。
以下は、少女漫画板の大泉スレからの引用です。

萩尾望都『残酷な神が支配する』小学館

143 :花と名無しさん:2021/07/19(月) 23:10:44.29 ID:LdvRrvLa0
これは酷い。
「風木」の描写のことを短絡的に「少年への大人によるレイプすら美化してしまった竹宮」だとか、「竹宮を祭り上げてきた漫画評論家たちが、改めて批判されなければならないだろう」とまで書いている。

コクトーの「恐るべき子供たち」のことを「これは同性愛者コクトーならではの作品で私にはよく分からなかった」とか。それは作品の一要素ではあろうが、あの作品で同性愛は強く前面には出ていないはず。まるでコクトーのアイデンティティが同性愛者であることだけみたい。

「私にはよく分からなかった」(という)のは、美意識の問題や読解力・抽象能力等、他に原因があると思う。「現代の知識人は少年愛や同性愛が分からなければダメだという同調圧力」とか。そんな話は聞いたことがない。
一方で、三島由紀夫を同性愛者だとする見方に、一部文学者や知識人からの激しい反発もあったはず。現代の知識人(?)ならば、同性愛のみならず人間のあらゆる要素を理解しようとする姿勢を求められるのは当然ではないか。

萩尾さんの描線の変化にしても、色々な原因があるだろう。
変化した後の絵柄のほうが好きという人もいるだろうし。
「少女マンガ革命」の解釈も、大泉本の解釈をそのまま受け入れて矮小化し過ぎ。私は、少女マンガ家の地位向上の実現こそが「少女マンガ革命」だったのだと思っている。実際、増山さんの過去の発言も、それを裏付けている。

当時、二人の間にあったことは双方言い分があるだろうし、第三者の立場から見ても様々な意見があるだろうが、それと作品の評価は分けて考えないと。プロの書評としては、あまりに雑で短絡過ぎる。せめて、最低限の客観性くらいは…。

【竹宮恵子寄りスレ】大泉本を読んでpart6【萩尾望都批判OK】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/gcomic/1626321713/143

なにも付け足す必要がないくらい完璧な反論でした(笑)
典型的な竹宮アンチの萩尾信者が、比較文学者の中にもいるんだなあと驚いた次第です。

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