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竹宮惠子「大泉サロン解散は城章子と佐藤史生のせい」発言を推理する


『一度だけ大泉の話』を読んで、一番疑問に感じたのが、この部分です。

ささや(ななえ)さんのアパートで会って、夜、並んで寝ている時、ネコちゃん(山田ミネコ)が聞いたんです。
「あんなに仲が良かったのに、どうして竹宮さんや増山さんと別れたの?」
(中略)
山田ミネコさんは、私が曖昧なので、竹宮先生に聞いたそうです。
「大泉のみんなは友達じゃないの、なんで?」と。(ここは、ささやななえこさんの話)。
そして「大泉が解散したのは城さんと佐藤史生さんのせいだ」と竹宮先生に言われ、で、ネコちゃんは城さんに聞いたそうです。
「大泉が解散したのは丈君と佐藤史生さんのせいだってね? 竹宮さんがそう言ってたよ」

『一度だけ大泉の話』萩尾望都箸 河出書房新社 P254-256

それで城さんは竹宮さんに電話して「大泉が解散したのは、あなたの(萩尾さんへの)嫉妬のせいでしょうが!」と激怒するわけですが。
解せないのは竹宮さんがなぜ、そういうことを言ったのか、その理由です。

竹宮ファンの私は、長年コラムや著書やインタビュー動画などで、竹宮さんを見てきましたが、自分のせいで起きたことを「他人のせいだ」などと濡れ衣を着せるような人でないことは知っています。

そこで、こういうことがあったのではないかと推理してみました。
時系列に沿って検証してみます。

・1970年10月
 竹宮惠子さんと萩尾望都さんが増山法恵さんの借りた長屋で同居を開始。
 のちに大泉サロンと呼ばれる。

・1971年2月
 佐藤史生さんが大泉に来る。

・1971年6月
 竹宮さん、大泉のメンバーに、
 『風と木の詩』のために描いたクロッキーブックを見せる。

・1971年秋
 城さんはその頃、高校を卒業をして地元の銀行に務めていた。
 竹宮さんに手紙を出したら、大泉に遊びに来るよう誘われて、
 休暇をとって上京する。

・1971年11月
 萩尾さん、『11月のギムナジウム』を別冊少女コミックに発表。

・1972年7~8月
 城さん、竹宮さんにアシスタント兼メシスタントとして呼ばれ、
 銀行を辞めて上京。2ヶ月間、竹宮さんの元で働く。
 この頃、萩尾さんがいないときに竹宮さんから、
 「私が好きで集めている家の中のものを、萩尾さんがすぐに
 漫画に描きそうで怖い(※)」と告白される。
 ※いわゆる『カメラアイ』です。
 この時期、竹宮さんは萩尾さんに対して激しい嫉妬の感情を覚えていた。

さて、ここからは、その頃に起きたエピソードを再現したシーンです。
あくまでも、事実をつなぎ合わせた推理であって、物証などはありません。

萩尾さんへの嫉妬に苦しむ竹宮さんに、佐藤さんがこんなことを言った。
「竹宮先生、萩尾先生が風と木の詩のアイデアを盗作して寄宿舎漫画を描いてるみたいですよ」
竹宮さんがイライラしているところへ城さんもやってきて、「竹宮先生は萩尾さんと同居しているから、どうしても似たようなものを描いてしまうんじゃないですかね。竹宮先生がいつぞや仰っていた萩尾先生のカメラアイの件もありますし…」と佐藤さんに同調。
竹宮さんが「どうしよう」と悩んでいたら、佐藤さんと城さんが「別居するしかないでしょうね。そうすると大泉解散ってことになってしまいますけど」と答えた。

・1972年11月
 城さん、竹宮さんたちがヨーロッパ旅行から帰国した頃に、同人仲間の
 岸裕子さんとともに大泉へ行く。
 そのとき萩尾さんは、ひとりだけポツンと放置されて仕事をしていた。

・1972年12月
 大泉サロン解散。

・1973年3月中旬
 萩尾さん、『小鳥の巣』を別冊少女コミックに発表。

 萩尾さん、竹宮さんと増山さんにOSマンションへ呼び出されて、
 寄宿舎漫画の盗作について質問される。
 後日、竹宮さんが萩尾さんのマンションへやってきて
 「スケッチブックを見ないで」
 「マンションに来られると困る」
 「せっかく別居したのに前より悪くなった」
 「節度を持って距離を置きましょう」
 という内容の手紙を置いていく。

 城さん、萩尾さんから、
  「どうも私、あの人たちにとって迷惑な存在みたいなの。
 何が悪かったか分かる?」と聞かれたが、
 「あなたの記憶力とカメラアイのせいで何でも覚えてしまい、
 漫画に描いてしまうからよ」とは言えず、
 「さあ、人のことは分からない」と惚けてしまう。(『大泉本』P344)

・1973年10月 
 竹宮さん、少女コミックに『ロンド・カプリチオーソ』連載開始。
 竹宮さんによると、
 この作品は萩尾さんへの激しい嫉妬心をモチーフにしたものだそうです。

・1974年5月
 萩尾さん、『トーマの心臓』を週刊少女コミックに発表。
 その頃、城章子は竹宮さんと萩尾さんの両方の仕事場に
 アシスタントに行っていたが、あまり竹宮さんの所へは行かなくなる。
 萩尾さんが理由を聞くと「増山さんがいるから無理。でも私は
 (萩尾さんの仕事場がある)田舎は嫌。ネオンが好きだから
 (竹宮さんの仕事場がある)都会に住みたい」と言う。
 同時期、城さんは佐藤さんから「ケーコタンがモーサマに嫉妬して
 大泉を解散させた」と知らされる。
 また、『トーマの心臓』が『風と木の詩』の盗作という噂が流れていた。

・1975年
 城さん、山田ミネコさんから、
 「大泉が解散したのは城君と佐藤さんのせいだってね。
 竹宮先生からそう聞いたよ」と告げられ激怒。
 竹宮さんに電話して、
 「大泉が解散したのは、あなたの嫉妬のせいでしょうが!」と電話を切る。

 萩尾さんが理由を聞くと「私と佐藤史生さんは大泉の頃から竹宮さんと
 萩尾さんの仕事場に出入りしている。双方に出入りしているから、
 余計な事を言ってるんじゃないかと勘ぐってるのかもしれない」と言う。

・1978年
 城さん『見果てぬ夢』発表(『別冊少女コミック1月増刊号』)。
 この作品は、萩尾さんに嫉妬する竹宮さんをモデルにしたものと
 言われています。

・2016年
 萩尾さんのところへ竹宮さんから自伝本『少年の名はジルベール
 (以下『ジル本』)』が送られてくる。
 城さんは封筒の中身を確かめた後、自宅に持って帰る。
 このとき、竹宮さんはファンクラブ会長の村田さんに
  「手紙を添えた」と伝えている。
 大泉本にそういう描写はないが、ジル本を送り返した際の短文の文面が、
 「萩尾は、もうあなたとは関わりません」という返信だったことから、
 同封の手紙の存在が浮かび上がる。
 おそらくは城さんが萩尾さんに黙って処分したものと推察される。

つまり、竹宮さんが萩尾さんへの嫉妬でスランプに陥っていた時期に
城さんと佐藤史生さんが余計なことを言ってしまった。
それが大泉解散の直接の切っ掛けになった。
だから、竹宮さんは、山田ミネコさんに「大泉が解散したのは城さんと佐藤さんのせい」と言ったのでしょう。

竹宮さんも城さんに「大泉解散は、あなたの嫉妬のせい」と言われた時は、「いやいや、その嫉妬の火に油をかけて炎上させたのは、あなたでしょ」と憤ったことでしょうね。

平常時の竹宮さんなら「萩尾さんとは同居していて、クロッキーブックも見せ合う仲なんだから、多少は似てくることもあるでしょ」という具合に、盗作疑惑については取り合わなかったでしょう。でも時期が悪かった。

城さんもあとで、大泉解散の原因になった自分のあの時の発言を思い出したかもしれません。
でも『覆水盆に返らず』とスルーを決め込みました。
だって、その件が露見したら、自分が竹宮さんと萩尾さんの仲を、引き裂いた元凶のひとりだということが明るみになってしまいますからね。

以上、これはあくまでも知り得た事実から導き出された私の推理です。
それを立証する確たる証拠があるわけではありません。
ただ、そう考えると全て辻褄が合うのです。

ちなみに、私は城章子さんや佐藤史生さんに個人的な恨みはありません。
ご本人の耳に届いたら悪しからずです。
ごめんなさい。

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