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「死にたい」について

これは「死にトリ」(『死にたい』のトリセツ)」というサイトの中の、「いるネット」というコーナーのために書いたものです。「死にトリ」というのは、サイトの紹介文から引用すると、こんな感じになります。

「死にたい」という気持ちや「生きていても仕方ない」という思いを今私たちが生きる社会への警鐘であると捉え、同じような気持ちを持つ人たちが出会い、つながり、支え合えるようなコミュニティやネットワークを創っていくことを目的に「ネットの居場所」としてつくりました。

原稿を頼まれて、しばらく(だいぶ)考えて、当事者側の視点と援助者側の視点、両方から描こうと決めました。どちらか片方だけの視点で書くということは思いつかなかった。なぜかというと、当事者だった時のことを描かないことには、もうひとつの側からの視点も描けないとわかっていたから。以前にある人に指摘されたのですが、そういう「視点の移動」あるいは「視点の自由さ」が岡本の特徴(のひとつ)であるらしい。嬉しい指摘ですね。

ともあれ、「ちょっと載せてみよう」と思ったので(あまり何も考えずに)載せてみます。誰かのどこかにひっそりと響いてくれたら嬉しいです。

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 こんにちは。※※さんからバトンをもらいました、岡本です。

 神奈川県在住で、もう15年ぐらいになりますが、若者向けの就労支援施設で相談員をしています。「就労支援」というとハローワークみたいなのをイメージされるかもしれませんが、ぼくがいるところは、ハローワークみたいな直接的な求人紹介はそんなになくて、もっとじっくりと、これからどうしていくかを一緒に考えていくようなところです。

 それと別に、ぼく自身がひきこもり経験者ということもあって、副業的あるいはライフワーク的に、ひきこもりというものにずっと携わっています。最近はコロナの影響でめっきりですが、ひきこもり関係の講演や執筆とかやったりしてます。でもそっちはあくまで副業ポジション。「ふだん何してるんですか?」と聞かれれば、「若い人を対象にした支援ですね」と答えています。

1.なんでこの仕事に就いたのか?
 ひとことで言うと、「なりゆき」です。もう、ものすごくたまたま。「なりたくてなったのではなくて、たまたま辿り着いた場所がここだった」という感じです。近親に福祉関係の人もまったくいないですし。

 大学では文学部でしたし、「社会福祉」なんて、単語すら知りませんでした。社会福祉士とか、精神保健福祉士なんて資格があることも知らなかった。だから、いま自分がその2つの資格を取って働いているというのは、ちょっと(かなり)意外だったりします。

 ここでちょっと昔話を。ぼくが高校生の頃は、東西冷戦が終結して、ベルリンの壁が崩れて、西欧社会に大きな変革のうねりが起きていた時代でした。必然的に、西ヨーロッパや国際関係論なんかに興味を持ちました。ところが大学では希望の専攻に進めず、大学にいる意味をなくして、授業には出ずに、バイトとサークル活動と中古レコード屋巡りに終始するという宙ぶらりんな学生生活を送っていました。就活も一応やるにはやったんですが、見事に全滅。筆記試験は通っても一次面接で全部落とされるという憂き目に遭って、自信をなくして家に引きこもりました。まわりの人間になんて言えばいいのかわからなかったし、みんなが自分を見下しているように見えた。自分にはこの社会に居場所がないように感じました。かろうじて大学だけは卒業したものの、あの拷問のような就職活動を再開するような気力はもう一滴も残っておらず、25歳までほぼ人との接触を絶ちました。もちろん親との関係は険悪です。祖父母や親戚にも会えない。バイトなんて到底無理。求人誌を開くのが怖すぎて、手に取ることすらできなかったですから。あの頃がいちばんつらかったかな、出口がない感じがして。しかし、こんな経歴の人間が就労支援の業界に入って長く続けられているのだから、世の中まったくわからないものです。

 25歳を迎える少し前に精神科のクリニックを受診して、カウンセリングを受けたりデイケアに参加したりして、すこしずつ社会との接点を取り戻していきました。デイケアのあとに病院の近くのサイゼリヤでみんなと一緒にご飯を食べたのは、いまでも印象に残っています。ミラノ風ドリア290円。「なんだか大学のときみたいだな」って思いました。またこういうことができている自分が嬉しかった。みんなでお茶する。そういうなんでもない、ごくごく当たり前な、日常的なことが大事なんだと思います。

 さて、当時のぼくは25歳。当然、就職を意識しました。働いていない自分は人間失格だと。肩身が狭い。負い目を感じる。いまぼくが日々出会っているみなさんが異口同音にいう言葉です。そうだよね、と思う。

 「まずはバイトから始めなきゃ」。当たり前のようにそう考えた。でも、いきなり働くのはちと無理がありました。タワーレコードのアルバイト募集のチラシを写メに撮って毎日悩んだりはしてみたものの、結局「応募」のハードルを超えられない。とにかく怖かった。あの、できない時ってできないものなんですよね。能力の問題じゃなくて時期の問題、タイミングの問題。いくら気持ちが焦っても、働くまでの「あと一歩」が出ない。

 働く勇気が出なかったぼくは、ひきこもり界隈の活動に精を出します。デイケアに週3日通い、東京の自助グループに参加し、神奈川では新しい自助グループを立ち上げた。グループもなんとか軌道に乗った。端から見たら、「なんでこの人働かないんだろう?」と映ったかもしれません。「自助グループの運営ができるんなら、バイトぐらい簡単にできるだろうに」とか思われて。でもね、働けなかったんです。もう、怖くて怖くて。だから、半ば逃げるようにひきこもり界隈の活動に没頭しました。タワレコのバイト、能力的にはできたと思うんだけどね。でもそういう問題じゃないんだよな。

 年齢も30歳を過ぎて、一悶着あって、知人の紹介でいまの職場に辿り着きました。就労支援の、いまの施設です。最初は超絶断りましたよ。会社勤めもしたことのない人間に就職相談なんて、できるわけがないって。世の中には星の数ほどの職業があるけれど、これだけは絶対に無理だって思いましたね。だから2回誘いを断った。自分の気持ちも正直に伝えた。でも、「そういう経験がある岡本さんだからできることもあるから」とかなんとか言われて、最後は抵抗する気も失せて、「わかりました……やってみます」とお返事しました。

 あれから14年以上経ちます。この間、必ずしも順調に来たわけではありません。途中、何度も転覆しかかった。去年も一昨年も、まあまあヤバかった。でもまあ、とりあえずなんとか生き延びてます。これから先がどうなるかは、あんまりよくわからないですけど。

2.「死にたい」について(自分の場合)
 ひきこもり真っ盛りの24歳頃、ぼくは毎日死ぬことを考えていました。あの頃の記憶だけは曖昧なのでよくは覚えていないけれど、カーテンを閉めきった部屋で、独りぽつねんと床の上に座りこみ、ただただそのことを考えていたような気がします。なぜかはわからないけれど、そういう考えがどこからかひらひらと舞うように飛んできて僕の頭にペタリと貼り付き、気がついた時には毎日毎日、「そのこと」について考えていました。つまりは、銃で自分の頭をブチ抜くことについて。

 この時期の詳細については、書くと話が長くなるし、前に別のところでも書いたので詳細は省きますが、「終わりの見えない苦しみから解放されたかった」という感じが近いです。きれいな死に方なんて興味ない。脳みそ吹き飛ばしてぐしゃぐしゃになって死にたい。毎日続く重だるい後頭部の痛みを取り除きたい。カート・コバーンみたく頭を撃ち抜けたらどれだけ楽になれるだろうか。もうそれ以外に方法が見つからない。そういう日々でした。もし、ぼくが住んでいたのが日本ではなくてアメリカかどこかで、要は机の抽斗の中に銃が入っているような環境に暮らしていたらどうなっていただろう? やっていたかもしれないし、やれなかったかもしれない。仮定の話です。でも、死について考えることができなかったら、相当きつかっただろうなあと思います。だって、それが唯一の救いなのだから。解決法なのだから。自分にとっての唯一の救いを取り上げられてしまったら、そのあとどうやって生きていけばいい? 

3.「死にたい」について(援助者として)
 そういう経験をしているからかもしれませんが、ぼくは自殺という行為を否定しません。というか、否定できない。お薦めもしなければ推奨もしませんが、それ以外に救われる方法がないというのであれば、そういう解決法(Suicide Solution)も「あり」だと思っています。ただその一方で、もしぼくの目の前にいるあなたが自殺を考えていて、死の危険が差し迫っているのだとしたら、やっぱりこう言うと思います。「死なないでほしい」、と。

 なんだか矛盾してますよね。してないのかな? してないといいんだけど。でもね、死を意識するほどつらい思いをしている人に向かって、「死なないでほしい」って、けっこう残酷な言葉がけだと思うんですよ。だって、その人が感じている命を絶ちたいほどの苦しみを、この先も生きて引き受けろって言ってるわけだから。そのことはある程度わかったうえで言っているつもりです。

 それなのに、なんで「死なないでほしい」と言うのか? たいへん身勝手な物言いかもしれませんが、あなたが亡くなったらぼくがつらいからです。悲しいからです。そりゃあ、あなたとぼくは家族でもなければ友人でもないし、実際に会った回数だって微々たるものかもしれない。「しょせん仕事で会ってるんでしょ?」かもしれない。そうです、あなたとは仕事の中で出会っています。そのとおりです。けれど、それであっても悲しいんです。つらいんです。多少なりとも縁あって関わりを持った人がいなくなってしまったら、喪失感みたいなものは当然あります。ぼくはこれまでにお二人の方を自殺で亡くしましたが、「ダメージなし」ってことは全然なかった。ものすごく動揺したし、「相談の中で自分が口にした言葉が彼/彼女を死に追いやってしまったんじゃないか?」って、ひどく気になったし責任を感じました。人の相談に乗ることが怖くなった。その日のやり取りのひとつひとつを思い返して、自分の対応にミスはなかったと確認はできても、それでもけっこうなダメージが残りました。「もっと何かできることあったんじゃないか?」とか、「なんで気がつかなかったんだろう?」とか、いろいろ考えてしまう。ま、それはそうですよね。

 そういう思いをしてきたからというのもありますが、相談員としての勘が働いたら率直に尋ねます。「死にたい気持ち、ありますか?」みたいに。そう尋ねて死を誘発してしまうことはないと(いまでは)わかっているので、わりとストレートに聞きますね。自殺の危険度を測る五段階の階層表(そういうものがあるんです)を引っ張り出して、「いまどの辺?」って聞いたりとか。けっこうみんな、ふつうに答えてくれてます。「えーと、2と3のあいだくらいかな」とか、「4くらいですね。え、ぼくけっこうヤバくないですか?」とか言ったりして。もっとも、これは最初からできたわけではなくて、支援者向けの研修(自殺研修とか、そういうものがあります)を受けて、少しずつできるようになったことですが。

 死にたいほどつらい気持ちがそう簡単に消えてなくなるかといえば、そんなことはないと思います。すぐに解決なんてあるわけない。ぼくたちも解決はできないし。ただ、あなたが、たった独りで抱えている悩みや荷物を一緒に持つことならできるかもしれません。だから可能ならば、ひとりで抱えずに打ち明けてほしいと思います。電話相談でも対面でも、LINEとかのSNS相談でも、手段はなんでもいいです。もっとも、こういうのもタイミングの問題はあると思います。できる時はできるし、できない時はできないものだから。いまは無理でも、「あ、いまなら話してもいいかも」って時はきっと来る。その時に、「あ、そういえばなんかあったよな」と思い出してくれたらOKです。

4.これからの自分について
 最後に、自分の話に戻します。

 よく聞かれるんですけどね。「これからどうするの?」「何かやりたいことあるの?」って。いや、わかんないっす。福祉系だったら「8050問題」はずっと興味あるし、高齢や子どもも面白そうだなって思っていますが、結局は「置かれたところで咲く」しかないのかな、って考えています。たんぽぽみたいなものですね。黄色い花の。たんぽぽって自分で咲く場所を選んでるわけじゃないでしょ。たまたま綿毛がそこに運ばれてきて着地して、そこに根を生やして花を咲かせて、っていう。あの感じが近い気がします。

 ぼくは20代のときから先々のプランというものが立てられない人だったのですが、そこはいまも変わらないです。ときどき人に呆れられますが、ちょっとだけ劣等感を感じつつも、適当にスルーしてます。世の中には先に自分の目標を定めて、そこから逆算して行動を起こしていくことができる方もいらっしゃいますが、ぼくはまったく逆のタイプみたい。もしかしたら、プランを必要としてないのかもしれません。プランがなくても、わりとどうにかなってしまうというか。「そんな呑気なこと言ってたらそのうち落とし穴にはまるんじゃねぇか?」とか、ちょっとだけ恐々としながら、ぼちぼち生きています。


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