健忘のこと
だいぶ昔だけど、一度だけ健忘を味わったことがある。もう20年くらい前だ。当時はレキソタン(抗不安剤)とロヒプノール(睡眠剤)とノーマルン(抗うつ剤)の3種類が処方されていたのだけど、このロヒプノールがまずかった。
時期は冬。数年ぶりに友人と再会した流れで、じゃあ久しぶりにスキーに行こうとなった。場所は新潟の湯沢。当時はしばらくの間対人関係をほとんど遮断していた時期だったので、事前の緊張と不安は結構なものがあった。当日は僕が車で越後湯沢まで行き、友人は現地合流。朝早くに家を出発して新潟に向かった。
たぶん、相当緊張していたのだと思う。前の晩は眠れなかった。当然、焦った。明日は朝から車の運転だ。しかも長距離。そのあとにスキーがあって、そこからまた帰ってこないといけない。友人は免許を持っていなかったので、行きも帰りも自分が運転することになる。今夜はしっかり寝ておかなければならない。その「〜ねばならない」がプレッシャーになった。
睡眠剤のロヒプノールを夜中に飲んだ。すこし量が多かった。なんとか眠れた。
遅刻するわけにはいかない緊張感があったから、予定の時間通りに車を走らせた。スキーの道具は前日にしっかり準備してある。行きがけに、隣の駅のTSUTAYAに寄った。借りていたCDだかビデオだかがあって、これの返却があった。無事に返却ポストに投函した。ここまでは記憶にある。
次に気がついた時、僕は高速の上を走っていた。関越道の真ん中あたり。すこし車はふらついていたかもしれないが、クラクションを鳴らされた記憶はなかったので、そこまで逸脱はしていなかったのだろう。だが、どうやってここまで走ってきたのか記憶にない。TSUTAYAからここまでの記憶が。何も覚えていない。怖くなった。初めての経験だった。
動揺していても仕方がないので、なんとか持ち堪えて車を走らせた。慎重に走ったせいかもしれないが、無事に事故なく目的地にたどり着いた。その後の予定もつつがなく終えることができた。当初の目的から言えば大成功だ。
スキーの帰りは友人を埼玉の家まで送って、その道すがら、いろんな話をした。彼にでなければできないような話もあった。初めて「ひきこもり」という単語を使って自分の状態を説明した。彼は何事もなく自分を受け入れてくれた。「おまえ良い経験してんな。オレも負けてられないな」という想定外の言葉まで残して。きっと何気なく発した言葉だったのだろうと思う。いま尋ねても覚えてはいまい。でもこの言葉はその後何年も、僕の心を芯から暖めてくれた。ここで得た自信は、その次の一歩を踏み出す勇気ときっかけを与えてくれたように思う。
友人とのスキーという目的は達せられたが、途中の記憶がなくなるという怖さはなくなることがなかった。次の診察で医師に顛末を話し、薬を変更してもらった。あるべきはずの記憶がすっぽり抜け落ちる怖さは、薄くはなったが今でも残っている。薬の飲み方には注意しましょう。ほんとに。
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