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啓くとき・啓かれに行く場所

たまたま読んだ本が、「あ、これいま私が求めてたこと!」って
目をひらかれる時ってあるでしょ。
あれって、自分がわざわざ意味付けしていることもあるかもしれないんだけど、
そうやって偶然見つけたものって、なんだかありがたがっちゃうじゃん、人って。

私自身、人から聞いた話よりも、
本の一節から見つけた時、
美術館ではっとした時、
たまたま街中のキャッチコピーで涙した時、

そんな時に出会ったものは、どうしたって忘れられないんだよね。

そういう体験って、簡単には手放したくないし、
なんとなく人に勧めたいって思うんだけど、
よく考えてみると、
その誰かもまた「自分で啓いた時」に“別人“になるような体験が待ってるんだと思うのよ。


最近、子育ての相談を受けるのだけれど、
私は、インターネットに溢れてる情報や、
育児書のハウツーではそこにたどり着けないと思っていて。

そこがきっかけで辿り着ける人、もの、こと、全てを否定するわけじゃないんだけど、
大変な思いをした先にあるんじゃないかなんて、ちょっと時代錯誤?なことを思ったりする。

(なので、私のアドバイスなんかも話半分でいいと思うけど・・・)


大変な思いっていうのは、情報が厳重なところにある、とかそういう意味ではなくて、
すごく崖っぷちのところで手に入ることは、本当に手にする瞬間光ってるというか。

そのために、自分の方向性みたいなものが定まりそうな
そんな予感がする場所、っていうのがあるといいと思ってます。

私は、本屋さんと美術館なら、ここはなんか拠り所になるな、というところがあるのですが
いま考えているのは、「まちかどアトリエNeiro」がなんかこう、
一つの方向性を持った場所でありたいな、ということ。

ところで、「日置さん、結構変な人だよ」ってこの前言われました。
私はびっくりしたのですが、そこにいた方の一人が、「自分が正常だという証拠がない」と言っていました。
そういうことをちゃんと考える人が、いる場所なんですよ、Neiroって。

あぁいいな、嫌いじゃないな、って思ったのと、
でもちょっと「めんどいな」とも思いました 笑

いまアトリエの本棚に、少しだけ大人の本(子育てむけ)を置いているのですが、
あれってまぁいい本ではあるのですが、私にとっては、
頬を撫でる本というか。人畜無害な本です。

Neiroの本棚を変えるというか、
ブックイベントしたいな〜というのが最近の関心事。
啓く手段の一つとして、私のツールは積み木であったり本だったり。なのです。

ではまた〜

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