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自由はつらいよ

犬井ヒロシさんの爆笑ネタを観ていて

お笑い芸人の犬井ヒロシさん。私はあまりお笑いには詳しくないのですが、犬井さんのネタは印象が強く、今でもよく思い出します。

そんな犬井さんのネタの締めくくりには、お馴染みのあのセリフがとびだします。

「自由だーーー!」

私は最初それを観たとき、なにか複雑な気持ちになりました。

もちろん「自由」を一概に否定しているわけではありません。ただ「自由にやっていい」と言われると、なにか変な気持ちになるのです。

 本当に「自由」は安全なのか

「自分に正直に生きなさい」

そのように諭してくる大人がいます。これは「自分の気持ちに正直に、やりたいようにやりなさい」、つまり「自由にやりなさい」という意味だと解釈されがちです。

たしかにこう言われると気持ちが楽になります。「さあ、クヨクヨせずにやるか!」と思えることでしょう。迷いに陥り、自信を失いかけている人には効果的なアドバイスかもしれません。

しかし、世の中で凶悪犯罪を起こすのは、たいていが「自分に正直な人」です。彼らは自由であるゆえに、どんな悪にも手を染めてしまうのです。

また「自由でいいよ」と言われると、逆になにもできなくなってしまいませんか?

学校の先生を思い出してください。私の頃は厳しい先生ばかりでした。今でこそ体罰が問題になりますが、昔は竹刀をもった先生がビシバシ指導する、なんてことが当たり前だったのです。

度が過ぎる体罰は私も反対ですが、厳しい先生は尊いと思います。生徒に自由を与えすぎると、生徒が成長できないからです。先生たちはそれをわかっていたから厳しかったのでしょう。

受験勉強を自宅でおこなう、いわゆる「宅浪生」は成績を伸ばすのが難しいようです。自由に時間を使っていいことで、自分自身への厳しさを失ってしまう。私は予備校で浪人していましたが、それは正解でした。「宅浪していたら」と思うとぞっとします。

自由に練習できる部活は、いざ試合をさせてもなかなか勝てません。それも当然です。学校の部活レベルなら基本の習得が要になるからです。そして、基本を習得するためには、苦しい反復練習をする以外にない。それゆえ自由に練習をさせても上達するのは難しいのです。部活は楽しくやるか、それともトップを目指して厳しくやるか、最初に決めるといいかもしれません。

「自由」には、このような負の側面があります。だから、完全に自由な状態にはきっぱり「NO」と言うことも大切です。自由にさせても人間は伸びない。むしろ自由は人を甘やかし、ダメにしてしまう危険な存在なのです。

ルールに沿って生きる

危険な「自由」との戦い方はただひとつ、ルールをもつことだと思います。ルールとは、社会規範的なものからはじまり、「これだけは絶対に破らない」といった自分との約束も含みます。

「ルール」というと堅苦しいですが、それはみずからを守る偉大な武器です。

たとえば仕事を例にとって説明します。

サラリーマンの場合、マイルールをいかに守れるかが重要です。仕事のはじめに予定を立てて、しっかりと時間管理をする。もしくは、TODOリストでのタスク管理。いずれにしてもみずからの責任を果たすためのルールです。

またフリーランスの場合は、それ以上にルールが必要になるといいます。「フリーランス」という自由な言葉とは裏腹に、ルールづくりが明暗を分ける。なぜなら一定時間勤務することで収入を得るサラリーマンとは違い、仕事をしなければ収入が入らないからです。

「自由とはブレーキを踏める人にしかもてない」

なにかの本にそう書かれていました。

車であったら、たとえ優れたエンジンがあっても、それを制御できなければ意味がないでしょう。エンジンが「情熱」なら、ブレーキとは「理性」です。そして理性とは、ほかでもなく「好き勝手にはできない」という自制心です。やりたい放題では、結局自分の首を絞めるだけです。

「自由」という言葉はたしかに魅力的です。しかしそこに「ルール」があったらなおいいでしょう。

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