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あいくれ、その旅の途中を

ライター:inkyo

 2020年3月15日。あいくれのワンマンライブ配信を自宅で見た。新型コロナウイルスによりイベントの自粛が要請されている今、多くのイベントが中止/延期となり、その代わりに配信が行われている。今はどの判断も苦しみの上にあり、代わりとする方法の是非も模索している状況だと思うから、全ての考えられた選択に敬意を持って受け取らなければ……、趣旨がずれるのでこれについてはまたどこかで。

 そして、あいくれに関してはかなり勇気を要する正解の(みんな正解ですが)選択をしたと個人的には思う。この状況でライブは残すところあと7回しかないからだ。あいくれは5月1日で活動を休止する。

【追記】書いているそばからライブが1つ延期に、あいくれは出演キャンセルとなった。見ることができるのはあと6回。ワンマンはあと2回のみ。いつライブができなくなるかわからない状況と思えば全然多い数ではない。配信をしたことはライブハウスに行かない選択肢を持たせてくれる思いやりのある決定でもあったと思う。

 このライブ配信を見ていたら改めてあいくれの話をしたくなった。数年前とは違って、今の私には書くという手段があるから。話そう。今回はあいくれの音楽の中でも繰り返し聴いてきた曲たちについて。私が話したいのは歌詞の好きな音楽のことばかりなので、再びそういう感じになってしまいます。例によって歌詞を確認できないものがあるので漢字の扱い方などご容赦を。それでは。

ミニアルバム『幸福論』

幸福論

 2013年発売のミニアルバムです。この頃のあいくれに偶然ライブで出会って、一目惚れしたのがはじまり。当時の音の出し方が今でも好きです。

 3曲目の“空費”では「あなたは海が青いなんて 見る全部信じてしまう」「あなたは自衛のため振るナイフに傷ついていたの」という歌詞から「もう声が出ないのです」「名前を呼びたい人がいるのに」と続く。そうではない気持ちもあるが、言葉の選び方から諦めが色濃く感じられる。5曲目”彼と世界”は「いい加減嫌になるよ あなたもこの世界も」、最後の“訪れる朝の空蝉”は「シンパシーはいらない」とサビで歌う。後者の「もうかえしてほしいよ 早く今日を終わろう」「眠って朝が来ても思い出すことなんてひとつもない」という歌詞も切れ味があるね。

 最近の曲と比べると、使っている言葉も音も“あいくれダークサイド”みたいな印象。音はかつてのベーシストの影響も大きいだろう。最初から音源の載せられない曲を紹介することになり大変申し訳ないのですが、とにかくこういう曲があったことを知っておいてください。『幸福論』より内省的な気はするけど、聴けるものの中では“リビルド”が一番近いかな。

 4曲目の”つま先立ち”が私的スーパーラブソングだったのですが、恥ずかしいので乗っている気持ちについては秘密にしておきます。この曲は音が明るくなくていい。次からは1曲ずつ話します。

水槽の中の魚

 この曲を聴いたときに友人のことを思い出しました。ひと口にこれって言えないほど色々なことを思った。愛は万能じゃない。悲しくて仕方ないけどそうなのです。

どれだけ愛しても あなたを救えないの
どれだけ愛しても 水の中は苦しい

 水の中だけど、外と変わらないように見えるけど、ガラスで隔てられていることは体が知っている。ぶつかってそれ以上進めない。でもその水槽を出て海を探すことができる。海じゃなくてもいい。君には足も声も、ハグをする腕もある。そのまま水槽で溺れないで。そこを出たくなったらいつでも呼んで。リズムがちょっと軽くて苦しい。

アイデンティティ

 ピアノが入っているのも嬉しくて、音だけでいうとこの曲があいくれの中で一番かも。彼らにとっても名刺のような曲だったのでは。このバンドがこの4人でいてくれてよかったと思った曲。この4人があいくれであったことは無くならないし、無くさない。メンバーが変わってからのあいくれも好きでいられて幸せです。

 私が生きていくうえで大事なワード、「誰も知り得ないわたしだけのもの」「たった一つの身体」が入っています。この曲を聴いてから明確になったことだと思う。口に出したらこの曲がいっそう大切になってしまって泣きそう。音楽は救ってくれないと話しておいて言うのですが、あいくれにはどの音楽よりも救われている。

黄色い朝を束ねよう

 ボーカルのゆきみさんがライブでこの曲へと入る前に「今日まで生きてくれてありがとう」って言うの。それが聴きたくてワンマンに行ったのかも、と思ったことがあったくらい私はこのMCが駄目で。明るい曲が始まっているというのに、自分でも驚くほど号泣してしまう。ゆきみさんの言葉って真っ直ぐに届くんだよね。他の誰でもなく私に。ようやく落ち着いてきたあたり、歌でも同じことを伝えられてもう一度ボロ泣きする。

 存在そのものを許すパワーがすごすぎて「や、やめてよ……」って気持ちに少しなるけど、ちゃんと受け取れている。だから泣いてしまう。そのあとバンドにも返すように同じことを思う。思ったけど伝える術がなかったからここに書いておくね。

 「武器や凶器を持たなくても 人が人を殺せる世界 悲しい世界」「それでもラブソングを歌いたい ぼくは生きていく」、異議なし!!!!

愛を注ぐ

 小唄さん、どかんとファズをぶつけるな。こめたにさん、シンバルばしゃーん!! じゃないよ。好きだ。この曲、全部です。気持ちの入ってない文字がひとつもないので歌詞を見てきて

 歌いだし、「窓枠の形に日向が落ちて」。窓の形をした日陰ができているのではなく、型取りされた日向が床に置かれている。「あー、まぶし」とだけ思う私には認識できないこと。実際にそれを見てなのか、想像上の部屋にいてなのかはわからない。とにかくその景色を見つめている人なのだろうな。

 穏やかに曲が進み、そのあいだ大事に言葉が歌われていく。そのあとには、これを伝えるためだったのだと言わんばかりに定義する。

小さな哀しみを重ねることを望んだ
それがただ一つのわたしの幸福論
あなたさえ失わず生きていけるならそれでいい
それだけでいい

 定義を終えたら「あなたさえ」と、祈るようなファルセットと後ろに引く楽器の音。アコギに代わる。また全員が入ってきて、「愛を、愛を」。そのあとのサビは祈り。信じているから祈れる。そうでしょう? あいくれは愛が足りない人のみならず、愛をあげられる人をも包んでしまう。

なんとなくの日常

 日常を愛しく思いたくなったらこの曲を聴いて、目の前のものを見つめれば大丈夫です。すごく好きな曲なんだけど言いたいことがあんまりない。そういう曲なんだよね(?)。

懐かしいと叫んでも
涙なんてもう出ないよ
この心も変わってしまった

 ここの歌詞をどう受け取ったか、話を聞きたいな。懐かしいものは懐かしいけど、いつまでも新鮮に涙する必要はないと思う。それに後ろめたさを感じる必要も。忘れたり変わったりしていくことこそ日常。

と或るここ

今、あなたとわたしの居るここが
世界の中心になる時を迎える
全てがあなたに味方をしたのさ
現にもうあなたはわたしと出会った
生きているうちに出会えて良かった
その苦しみをわたしと分け合える

 歌詞はこれだけです。情報量も少ない。たったこれだけのことを言うための曲。わたしと出会ったことこそ、あなたが全てを味方につけた根拠なのです。音楽だから言えること? そうかも。でも、いくら音楽だからといえ、この気持ちをストレートに伝えるのは難しいこと。「窓枠の形に日向が落ちて」と言うより、日常を見つめて拾う目線より、簡単で難しい。

 あいくれはどうやって曲作りをしているのだろう。最低限の言葉をこういう音で、構成で伝えることはどうやって決めたの。言葉を考えているのはゆきみさんだろうけど、この形をバンドでよしとできるのはすごいことではないですか?

 私はこの曲で全てを思い出せます。


あいくれ、その旅の途中を

 今と比べたら破壊的にも思えるような言葉を扱っていたあいくれが、こういうことを表現できるようになったことが愛しい。最後に紹介した3曲は曲順そのまま、配信されたワンマンでの最初の3曲だった。泣いた。

 あいくれは活動を止める。再びあいくれとして歩くために。「約束は到底役になど立たない」という自らの歌詞を裏切る瞬間が楽しみ。

 愛していると思うなら「愛している」と言って、相手がそのまま受け取ってくれるのがベストに決まっています。愛を伝える方法はたくさんあるが、「愛している」という言葉には愛しているという意味しか込められていないから。ただ、こうしてシンプルに伝える/受け取ることが難しいのは誰もがよく知っているでしょう。あいくれは音楽でそれができる。

 そのとき見たものを、聞いたものを、自分が感じたままに受け取る。大人になると感じたものを体の深くへ通す前にフィルターをかけたり、感じない(ことにする)ための鎧を着たりする技術を得る。でも、なるべく使わずにいたいと思う。我慢せず普通に喜んだり悲しんだりすることがどれだけ大事か。普通のことを普通に受け取り、心に波風を立たせることができる強さを望みます。そのためにあいくれ、傍にいてくれ。



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