ミシンとの出会い。
こんにちは。neige+の猪俣です。
早速ですが、今日は私のミシンとの出会いを文章に残してみたいと思います。
どんな経緯で今に至るのか、少しずつ伝えていきたいなと思います
【ミシンとの出会い】
ミシンに一番最初に触れたのは5歳の時でした。今でもまだその時のことが映像として比較的鮮明に記憶に残っています。
キッチンのテーブルに大きなミシンを載せて何かをしている母親の姿をみていたら
「ミシンやってみる?」
そんな感じで声かけられたんだと思います。よっぽど興味ぶかけにみていたのでしょう
母親がその時何を作っていたのかは全く記憶に残っていないのに、大きなミシンの存在だけが鮮明に記憶に残っています。
その時作ったのは、使い古したタオルで作った雑巾でした
当時幼稚園生だった私は、その雑巾を先生にプレゼントしました。作り方を教えてもらって、ドキドキしながらミシンをしたのが最初のミシンに触れたきっかけです。
そういえば書きながら気がついたことがあります。ミシンはフットコントローラーだったはずなのに私はどうやって作ったんだろうか?幼い足は届いていたのかな?
ミシンも今のようなコンピューターではななく、針も剥き出しで、本当だったら危ないので子どもにはなかなか手に触れることができない代物でした。
当時の私はこの動く機械に興味津々で、そして自分で作ったという達成感の記憶が鮮明すぎて、肝心な雑巾を先生にあげた映像記憶はすっかり抜け落ちております。
ミシンはエンジ色の大きなプラスチックのケースに入っていて、刺繍の板なども入っていたので当時としてはかなり高級なものだったんじゃないかなと思います。下糸は今の職業用ミシンと同じ縦に入れるタイプでした。その経験があったからか、家庭用ミシンから職業用ミシンに変わってからも比較的スムーズに切り替えられた気がします
次のミシンの記憶は、母親が通販で買ってくれた電動ミシンです。当時ラジオショッピングでラジカセなど買っていたから、多分TVではなかったと思います。今と同じように厚地縫いができるを謳い文句にしたシンプルなミシンだったのかと思います
そのミシンは、母親のバカでかいミシンの半分くらいの大きさで、それこそ今の電動ミシンとほとんど変わらないサイズ
それでもミシンがあるだけで作ることを想像するのが楽しくて、毎週末図書館通いをする父親について、当時からいろんな手芸本を借りて手作りを楽しむ毎日でした。ただ、このミシン、糸調子がすぐに悪くなるので本当に使いにくかった記憶しかありません。それでも使えるだけありがたいと重宝しておりました
図書館通いもしながら、ミシン以外にも刺繍を覚えてはひたすらチェーンステッチでちくちくとテーブルクロスに大きなキャンバスを描いてみたり、フェルトを手縫いでちくちくしながら小物作りをしてみたり、編み物を教えてもらったら、どんどん先細りするマフラーをひたすら編んでみたり・・・
編み物は自分で作れるのが楽しくて6年生の頃には自分でセーターを編むようにもなっていました。でも、あまりに夢中になりすぎて、学校に持っていって棒針で編んでいたら先生に危ないから持ってきちゃいけないと怒られてしまいました。
そんな作ることが好きだった私ですから、家庭科でミシンが始まると、あっという間に課題を仕上げてしまい、授業中他のことをしていたのか、成績はいつも「2」
しかもこれが高校2年生まで続くんです。
自分で言うのもなんですが、作品としてはよくできてるはずなのに成績が悪いのがいつも謎でした。でも自分が講師という立場になって、この成績の悪さの原因が理解できました。当然です。教えてもらうという立場になっていない生徒でしたから
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当時、ミシンを使って作っていたのは主に洋服でしたが、カーテンやカバーといった大物もよく作りました。
洋服は手芸屋さんでパジャマやワンピースの型紙を買い、自分で作ったものを着て使えるということで、作っている間もずっと心がワクワクしっぱなし。
ある日、早く仕上がることに夢中になっててミシンを出しっぱなしにして学校に行ったら、帰宅して部屋に行くとミシンがない!!?
なんと母親に取り上げられてしまいました・・・
ミシンの周りに針を出しっぱなしにしていたことで酷く怒られました。
全部捨てたから!
って言われましたが倹約家の母がそんなことをするまいと、探して見つけ出した時はホッとしました
それでもしばらく使えなくなってしまったのですが、再び再開したのは高校生の頃。家庭科ではワンピース作りをしていました。当時気に入っていたでニム調の生地です
結婚してもしばらく持っていたのですが今は流石に処分してしまいました。高校2年生の頃には、好きな男の子と花火大会に行く約束をしていて、その日のためにスカートを作っていたこともありました。結局ドタキャンされて叶わなかったのですが(振られたってやつです)
ブログでも当時のこと書いてる記事がありました
私自身はほとんど着た記憶はないのですが、娘が着てくれたからそれで満足
そんな作ること大好き人間だったのに進路を決めるときには、英文科を専攻しました。
家政科という道も勧められたのですが、趣味は趣味であり続けたいとの思いからその道を選択肢にすることはありませんでした。
好きなことを学ぶと今まで好きで続けていたことが「型にはまる」ことで楽しめなくなる気がしたんです
でも今はその時その選択をした自分を褒めてあげたい。
もちろん好きなことを極めるために「学ぶ」という選択肢は、今自分の娘を見ていて大切な過程と思うこともあり、どんな未来になるのか、自分が経験しなかったことを娘が見せてくれるようで頼もしくもあります
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学生時代一番最後に記憶している手作り作品はトートバッグです。お店で売ってるものと同じものを作ろうと無謀にもチャレンジしました。インド綿のトートバッグが流行っていた頃があったはず
知識もないのにインド綿という厚みのある生地で作ったので、針は何度も折れるし、糸調子で終わってしまうなんてこともしょっちゅうで、かなり苦戦しましたが達成感はかなりのものでした。
それなのにあんまり使った記憶がないのです・・・ 何年か前に母親がそのバッグを使ってくれてるのをみてちょっと恥ずかしくなりましたけど
今はなんでも安く手に入りやすくなりましたが、当時はそんなお店もなく、お小遣いの中でやりくりしなくてはいけないので、お店でいいなぁっと思ったら、自然とどんなふうに作られてるのか構造を見るのが癖になっていました。
その癖?は今も残ってる気がします
今日は私のミシンとの最初の出会いのお話でした。
皆様は何をきっかけにミシンに出会いましたか?
最後までお読みくださりありがとうございました
2021/2/8
ヴォーグ学園講師 猪俣友紀
note : neige+手作りのある暮らし
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