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振り返ると笑えてくる人生。そして不妊治療のはじまり。

私の人生を振り返ってみようと思って
記録もかねてこのノートはじめてみたけど・・・・

なんておもしろい人生なんでしょうかね。
その当時はでも一生懸命で何も間違えてないと思ってた。(いまでも間違えてるとは思わないけど笑えてくる)

そして正直一度バツがついたバツイチというわたしは、もう結婚はしたくなかった。なんか、ちょっと遊べる人がいればいいかなーくらいの感じだった。忘れられないというか、それくらい傷ついたのが癒えてなかったのかな。

でも、どうしても子どもがほしかった。
ほしいってただの欲みたいに感じるけど、私の一つの夢だった。
愛ってなんだろうって。愛というものを経験してみたかった。
あれだけ恋愛依存症だったのに、男女に(他人に)愛はめばえないって高校生の頃から思ってた。

でも、初潮が小学4年生のころからあり、ずっと不順できてて、
病院に行くたびに「こどもはできない」「こどもはできにくい」
とどの先生にも言われてきた。

なので、今回結婚をするときにだした条件は「どうしてもこどもがほしい」だった。

結婚してすぐに病院にいって調べた。
多嚢胞性卵巣症候群で、脳みその指令がうまくいかず、排卵をしないみたい。
1年ほどクロミッドという薬を処方されたけどわたしの卵巣はちっとも反応せず。。
もうこれ以上は、体外受精か、卵巣に穴をあける手術をするしかない。
と先生にいわれたので、ほかの先生の意見も聞きたくて、転院することにした。
てか不妊治療の病院ってなんであんなに待たせるのかね?
予約の意味って知ってます?てくらい平気で待たせる。
3時間待ちなんてあたりまえ。何度まだですかって聞きに行ったか。
何時間かかるかわからないから、仕事も休まないといけないし。
そうゆう制度をなんとかしてほしい。切実に。

そして転院してから(この病院もめちゃくちゃ時間かかる)
1年もクロミッド飲んでたら子宮頚管粘液がなくなって子宮内膜も薄くなります。と言われ、案の定、子宮頚管粘液がまったくなくて、自然妊娠ができなくなりました。

タイミング方法、フーナーテスト、と繰り返したけど、子宮頚管粘液がないから子宮まで(おたまじゃくし)とどかないねえ‥‥といわれてせめて人工授精をしないと・・といわれてばかり。

でも人工授精ってなんかこわいなーって思ってたけど、ちょうど2人目不妊で悩んでた友人が人工授精をするってことで、なんだか勇気づけられて、私も挑戦してみることにしました。




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