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二十歳のころの詩 2篇

 当時のぼくは大岡信や田村隆一や谷川俊太郎や安東次男訳のエリュアールの詩ばかり読んでいて、自分でも同人誌にへたくそな詩を書いていた。今読み返しても、彼らの影響をもろに受けながら、まるで独り立ちしていない頼りない言葉がページの上でくだを巻いている。今さら再掲するのは、先日亡くなった大岡信さんの追憶のためでもある。ぼくの言葉の、たぶん半分近くは、大岡信さんでできている。  そして、あのころのぼくは、名前に「夏」という季節を持つ女性にすごく苦しい恋をしていて、いつもいつもいじけてい

    • ぼくのかんがえた『沈黙』について

      『沈黙』とは「声」をめぐる映画です。正確に言うなら、ここでいう「声」とは「神の声」のことであり、この視点から見れば、この映画は二種類の「神の声」を取り違えてしまうことによる悲劇であると言うことができます。二種類の「神の声」とは、「踏み絵を強制されたロドリゴが聴く神の声」と、もうひとつは「十字架に架けられたモキチが息も絶え絶えに歌う讃美歌」です。 踏み絵を強制されたロドリゴが聞く神の声は、世界のあまりの残酷さの中で狂気に陥っていくロドリゴの幻聴なんですね。つまり、神は最初から

      • 自分の中の他者あるいは自分との物語の共有について

        昔書いた文章。 2006/05/03 どうしてそんなことを覚えているのか自分でも不思議な記憶の断片というものがある。別に印象に残るような要素は何もないのに、ときどきよみがえってくる情景。フロイト流に言えば、意識の表層で抑圧しているおそらくは性的な何かがそこに隠されている、ということになるのだろうが、自分でいくら分析してみてもそれが何かは結局わからない。 高校1年生の夏休み。ぼくは金沢から能登に向かって初めての一人旅をしようとしていて、その出発の数日前だったことは間違いな

      二十歳のころの詩 2篇