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「政軍関係」とは何か。-シリーズ《〇〇とは何か》Ⅱ

明けましておめでとうございます。シリーズ第二回は、筆者の専門分野である「政軍関係」とは何かについてざっくりと紹介してみました。

ひとりでも多くの方に、政軍関係について考えるきっかけを提供することができれば幸いです。

政軍関係前史

リベラル・デモクラシー(liberal democracy:自由民主主義)が広く浸透した現代の国際社会において、「もっとも古くかつ、困難な問題の一つは、シビリアンの権限と軍事力との正しい関係をどのように規律するかの問題である」といわれます(Louis Sumith, American democracy and military power : a study of civil control of the military power in the United States. 1951.)。

政軍関係(civil-military relations)という視角から過去の歴史や事象にアプローチするという研究の進め方そのものは、第二次世界大戦以後に出現した新たな研究手法です。

政軍関係という術語が定着したのは、戦後のアメリカにおいてのことでした。そのような定着のさきがけを為したのが、ハンチントン(S. P. Huntington)の大著"The soldier and the state : the theory and politics of civil-military relations."(『軍人と国家』)です。

サミュエル・P・ハンチントン教授=Wikipediaより

ところで、「政軍関係」とは「シビル・ミリタリー・リレーションズ」の邦訳です。「ミリタリー」が軍隊を指すのは当然としても、政軍関係についての理論的考察が開始された当初、「シビル」側のアクターとして想定されたのは、いかなる存在だったのでしょうか。

ハンチントンは、「シビル」を定義づけるにあたり、まず、「ミリタリー」は何かを考察するのを出発点としてこれを明らかにし、「ミリタリー」から控除された残余物、すなわち「非軍事的なるもの(no military)」を「シビル」としました。ここから、邦訳を「民軍関係」とすべきとの議論が生じました。

しかし、「ノー・ミリタリー」、すなわち市民社会全体は、そのまま全体が軍と向かい合うのではなく、現実には政府や議会といった代表機構を通じて向かい合うことになります。したがって、やはり「シビル・ミリタリー・リレーションズ」は「政軍関係」と訳するのが適当であるといえます。

以上のことから、狭義の政軍関係において、「シビル」として位置づけられるべきは、実際に安全保障政策の形成に携わる人々、すなわち政策を立案・執行する「行政部」乃至、政策を審議・決定する「立法部」のいずれかであると考えられます。

付言すると、選挙を通じて国民の意思を制度的にも反映し得る議会(立法部)こそが、第一義的な「シビル」側のアクターといえるでしょう。

このことは、軍隊や戦争が政治学や歴史学、さらには社会学の学問領域で対象とされたのが、1950年代のドイツで登場した軍隊社会学(military sociology)からである、という学術史上の事実からも裏付けられます。

軍隊社会学の源流は、第一世界大戦期に主にドイツで登場した軍隊心理学(military psychology)です。心理学という言葉の通り、そこでは、軍隊内部の分析に重点が置かれていました。しかし、第一次大戦期から出現した総力戦と称する戦争形態では、圧倒的規模での戦争への動員が不可避となり、必然的に社会と軍隊との関係の捉え直しが要請されることになりました。そして、第二次大戦期から顕著となった軍隊の大量動員と大量消耗に備える軍需工業の形成という課題克服のために、軍隊と社会の相互関連を論理化する研究が要請されたのです(纐纈厚『日本政治史研究の諸相 総力戦・植民地・政軍関係』)。

こうした要請から出現したのが、政軍関係研究であり、そこでは、政治と軍との相互関係が研究対象とされてきました。

政軍関係をめぐるトリレンマ

国家における政軍関係は、古くはプラトン(Πλάτων)の時代から議論されてきました。その際、焦点とされるのは専ら「政治と軍の関係(politico-military relations)」であり、近代立憲主義の生成にあっては、政軍関係をどのように規律するのかの問題、すなわちシビリアン・コントロール(civilian control)の問題がその根幹に位置していました。何故なら、「軍からの安全」は「権力からの安全」から不可分だったからです。

もう少し平易にいうと、「軍による安全(protection by the military)」と「軍からの安全(protection from the military)」をいかにして両立させるかが、政軍関係の基本的命題といえるでしょう。

以上のことは、政軍関係をめぐるジレンマとして政軍関係研究の根幹に位置してきましたが、忘れてはならない視点がもうひとつあります。それが、「政治からの安全(protection from politics)」です(五百旗頭薫「三つの安全を求めて--近代日本の政党政治と軍部」細谷雄一編『軍事と政治 日本の選択--歴史と世界の視座から』)。

政軍未分離の社会では、軍隊の指揮官と政治の指導者が一体化していました(主に貴族を想像するとわかりやすいでしょう)。したがって、軍の暴走や市民社会への圧迫を防ぐという意味での、「軍からの安全」は「権力からの安全」と不可分であると考えられました。

しかし、リベラル・デモクラシーの浸透した先進民主主義国家においては、政軍分離が進み、戦争等の軍事に対応する「軍による安全」と「軍からの安全」を両立させるためには、まず統制主体である政治が誤らないということが前提条件となりました。

政治が誤ると、「軍による安全」と「軍からの安全」のいずれか乃至両方を損ねることがあるので、そのことをより意識するために、「政治からの安全」を含めた三つの要素をもとに、安全保障の根幹たる政軍関係を規定する必要があるのです。

この、相矛盾することもある、「三つの安全」、すなわち政軍関係のトリレンマをいかにして並立させるかが、政軍関係研究における現代的な最重要課題であるといえるでしょう。

戦後日本と政軍関係

戦後の日本が採用したシビリアン・コントロールの制度構築は、戦前の経験、すなわち「軍による安全」の過剰な追求に対する反省から出発しました。 

それ故、「文官統制」型シビリアン・コントロール制度とよばれる日本に特有のシビリアン・コントロール制度は、戦後日本の強い軍事力アレルギーを背景として、「軍による安全」や「政治からの安全」を意識的に後景化させ、「軍からの安全」を主たる目的として運用されてきました。換言すると、軍事力が平和維持に果たす積極的な役割を忌避する傾向が戦後日本では続いてきたのです。

前稿「平和とは何か。」でも紹介したとおり、平和を具体化するには、理想主義・非軍事をひたすらに渇望する情念と、必要悪として武力の合理性を甘受する理性と、両面を視野に入れる必要があります。しかし、戦後日本においては、情念ばかりが優先し、理性が欠落したままの状態で事実上の軍隊である「自衛隊」が存在・運営されてきたのです。このような状況は、果たして正常といえるでしょうか。

着剣捧げ銃をする陸上自衛隊員=Wikipediaより

元朝日新聞主筆の船橋洋一は、政治学者シーラ・スミス(S. A. Smith)の「日本の軍隊の能力に問題があって、脅威に対応できず、お手上げとなってしまい、(アメリカに=筆者注)見捨てられるということはおそらくないであろう。そうではなくて、軍隊がいつ、どのようにして行動するのかをめぐる曖昧さこそが日本の脆弱性の核心である」との見解を引用した上で、「日本の安全保障のアキレス腱は、戦略ではなく統治(ステートクラフト)にある」と指摘しています(船橋洋一「はじめに 憲法改正の前になすべきこと--政軍関係のあり方の国民的合意を」『軍事と政治 日本の選択』)。

戦後日本においてシビリアン・コントロール制度の中核とされてきた文官統制システム、すなわち「参事官制度」と「統制補佐権」は、2015年までに一応の廃止をみています。他方、シビリアン・コントロールの正常化が実現したのかと問われると、ノーと答えざるを得ません。

依然として安全保障政策の意思決定過程における行政部の影響力は立法部を圧倒しており、シビリアン・コントロールの重要要素とされる「シビル優越(civil supremacy)」原則や「民主的統制(democratic control)」が完全に確立しているとは言い難い状況が続いています。

こうした現状を、どのように打開していくのかが今後の課題といえるでしょう。

シビリアン・コントロールとは何か、それをめぐる問題については稿を改めるとして、今回はここで筆を置くこととします。

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