高校時代の自分

今回は高校時代について綴ります。

これまでの小学生時代と中学生時代の記事の続編なのでご興味あれば読んでいただきスキを押していただけると嬉しいです!

さて、高校時代の話をしていきたいと思います。
石川県の星稜高校に入学した私は、中学時代との大きな二つの違いに楽しみを感じていました。それは①校則の緩和②部活動のレベルです。

校則の緩和

これは星稜中学と星稜高校で大きな違いがありました。
当時の星稜中学では、携帯電話は持つことが禁止や眉毛を剃ったらダメなど様々な厳しいルールがありました。(今はどうなっているか分かりません。)そこから星稜高校に入学すると携帯電話が持てることや眉毛を剃っていいなどルールの緩和がありました。そしてサッカー部も坊主なく髪の毛を生やすことができました。笑
このような校則の緩和があったので学生生活がすごく楽しみでした。
実際に3年間の学生生活を振り返るとイベントの規模(星稜祭)、甲子園の応援、有名人の学校訪問(本田圭佑選手など)星稜高校だからこそ実現できるものがたくさんあり、すごく充実した学校生活を送ることができました。

中学と高校の圧倒的違い

星稜高校のサッカー部は、当時3学年で150人ほど在籍しており県内出身の選手と県外の選手がほぼ半分の割合で構成されていて、北海道から沖縄まで幅広く集まり、もちろんJリーグの下部組織出身もいました。
レベルが中学とは大きく違う。中学の時に全国大会優勝をして自信を持っていたが、上には上がいると肌で痛感しました。
一年時はAチームに全く関われずCチームで過ごす日々。同期でAチームに関わっていた選手もいた中、それを見て自分と比較して腐る瞬間もあった。(むしろ腐ってた。)2年になっても変わらずCチームから上がれず、サッカーを楽しめなくなっていた時期もありました。
2年の冬、新チーム始動の時にトップチームに関われない不甲斐なさにやっとこのままじゃダメだと気付かされ、今までは先輩がすごいからメンバーに絡めないのはしょうがないと逃げていました。一つ上の先輩たちは中学時代と同じで高校サッカー選手権で全国大会優勝を成し遂げていました。(私は中学時代は試合に出ていたが高校はスタンドで応援。)
そして自分の代になりこのままでは試合に出れないという危機感を感じ、その先のキャリア(プロや大学)の選択肢の幅が狭くなると思った時には、すでに一歩遅れていて夏の時期に大学の選定する選択肢がすごく少なかったので、結果的に3年で試合に絡めて、インターハイと最後の選手権ではスタメンで出場し、選手権では準決勝まで勝ち上がり埼玉スタジアムでプレーできたことは誇りです。
高校の3年間は人生の分かれ道だと26歳になって振り返ると思います。

大学は三重県の大学に行くことが決まったので、その話はまた今度します。

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