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器 いとおかし

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長く漆器作りをしていますが、器は中の物を大切に守るものです。そして、食文化の豊かな海から、器は誕生してきたのだろうと思います。
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#私の仕事

大藏のご先祖は…(上)

             (上は祖父の挽いた薄造りの椀木地) このタイトルは不正確です。より正しくは、「小椋(おぐら)、大藏のご先祖は木地師」です。(とはいえ、この名字の方で現在まで木地師をしているのは、ごく少数かと思います。) 小椋か大藏か? 江戸末期頃まで 、木地師といえばおおよそ姓は小椋か大藏でした。それは、惟喬(これたか)親王がロクロを使った木地作りを、そこの村人や家臣(=小椋、大藏)たちに伝えたという伝承があるからです。この伝承に関しては、次回詳しくお話ししま

大藏のご先祖は…(下)

惟喬親王の伝承も高祖父の資料も、出所は滋賀県東近江市(旧永源寺町)です。ここは木地師と深い繋がりがあります。 惟喬(これたか)親王伝説 旧 永源寺町は琵琶湖の南東に位置し、山深いところです。伝説によると、天皇の長子でありながら皇位を継げなかった惟喬親王は、この地に隠棲されたそうです。そして、里人や家臣(小椋、大蔵)たちに木地作りを教えたとされています。それで、ここが木地師発祥の地の地とされるのです。 そして、惟喬親王伝説にちなんだ神社やお寺など、町内にいくつか残っていま

続.糸魚川の木地屋+α

「 山に生きた日々 」表紙のイラストより/写真が語る大所木地屋の暮らし 糸魚川の木地屋の暮らしぶりは今の時代には珍しくて、どうしても続編が書きたくなりました。また、かつて木曽の祖父母から聞いた話を思い出したので、併せて書いてみます。少しですが、理解が進むよう産地問屋についても触れていきます。参考資料は以下です。 木地屋会報第2集 山に生きた日々 写真が語る大所木地屋の暮らし        編集.発行 新潟県糸魚川市木地屋会  平成12年 木地屋の一年大正11年(1922

料理は発見…これも食育?

5月5日は子供の日、これにちなみ我が家のささやかな食育の話です。 2005年(平成17年)に食育基本法が制定されました。食育により国民の健全な心身を養い、豊かな人間性を育むことを目的としているそうです。なじみの薄い言葉のようですが、明治のころから「食育」ということが言われ始めたそうです。 自分が子供を育てている時は、生活に追われがちでそんな考えもなく、かなり雑だったと記憶しています。けれど、まぁお椀はそこそこの器を使わせてきたかと思います。日本料理は目で食べると言いますか