経歴

この記事は、自分のこれまでの経歴に迫る、まじめでつまらない文章です。
書いていて何度も眠くなったので、読むのはもっと眠くなると思いますのでご注意ください。

経歴

僕は小さい頃からものづくりが好きで、レゴや厚紙で工作をするのが好きでした。公園に連れて行っても、広場でみんなで鬼ごっこをせずに、水道の近くに水路を作って遊んでいたみたいです。

大学生の頃にたまたまプログラミングの授業があり「コストゼロでものづくりができる!」と、Webの世界にハマっていきました。

サイバーエージェントに入社してからも「新規事業立ち上げ」に全振りしていたので、おそらくここ十数年の新入社員の中では、1番たくさん新規責任者をやらせてもらったと思います。
これは、裏を返すと「1番失敗した」ということであり、誇れないことでもあります。
でもさらに裏を返すと「失敗しても次のチャンスを与えたい人だった」という誇れることでもあります。

それはさておき、これまでにやってきたことを、時系列で長ったらしく書いていきます。

学生時代

カジュアルアプリ「妄想電話」 / プロデューサー・開発
アプリ無料ランキング1位 / 300万ダウンロード以上。

着想から開発・リリース・プロモーションまで1人で行いました。
1人で作ったアプリがテレビのゴールデン番組で紹介されたり、ハロプロ版・AKB48版などIP展開もすることになり、クリエイターエコノミー時代の先駆けを体験できました。

入社1年目

ソーシャルゲーム「あそんでHuggPet」 / フロントエンジニア
ペット育成のソーシャルゲーム

技術力をつけて3年で辞める計画だったので、エンジニアとして新卒入社し、Javascriptでフロント開発をしました。

入社2年目

ソーシャルゲーム「ペコロッジ」 / 事業責任者
どうぶつの森」のようなクラフト系ゲーム

社長から「プロデューサーに転向しない?」と言ってもらい、主席エンジニアやデザイナー・優秀な若手エンジニアとドリームチームで、ブラウザゲームを作る機会をもらいました。

主席エンジニアの名村さんという方は伝説的に凄くて、企画構想からデザイン設計、裏側の技術設計まで全て主導するのを間近で見て、置物にならないよう必死に食らいつきました。
名村さんの構想を体現しきれず、撤退しました。

入社3〜4年目

「Ameba Native Game Studio」/ 事業部長
Amebaのネイティブゲーム事業部 / 100人規模

ブラウザゲーム戦略から、ネイティブゲーム戦略に変更されるタイミングで抜擢してもらいました。
4〜5プロジェクトの事業部で、各タイトルがグロースしていくためのセンターピンの発見や、ボトムアップのフレームワーク(目標・KPI設計・計画・企画)の構築、事業部内の人材の適材適所を実施しました。

若手の勢いで押し切ってやっていたので、今考えると恐ろしいです。

スマホゲーム「ウチの姫さまがいちばんカワイイ」 / プロデューサー
美少女×ピンボールゲーム / AppStore売上ランキング最高4位

このゲームは初代プロデューサーの元でリリースされ、売上がふるわず、撤退寸前でした。しかしユーザーとして可能性を感じ、見えたビジョンを実現するゲームデザイン再設計と、デジタル広告運用に力を入れて、App StoreセールスランキングTOP5までチェック字成長しました。

入社5年目

カジュアルゲーム「もやしびと」 / プロデューサー
もやし育成ゲーム / 300万ダウンロード、累計売上6000万
はじめしゃちょー版など、IP展開

カジュアルアプリを量産していくコンテンツ事業部が作られ、総合プロデューサーとして任命され、複数作っていたアプリの1つです。
会社の、港区女子みたいなブランドもの好きの先輩が「もやし好きなんだよね」と言っていたのが印象に残っていたところから着想しました。

数ヶ月で、社長が動画に力を入れていく戦略(後のABEMA)に切り替え、コンテンツ事業部は解散し、このゲームは子会社に引き継ぎました。

リアルタイムSNS「QIQI」/ プロデューサー
リアルタイムにYouTubeの動画を同期して見ながらチャットができる二次元メタバースアプリ

サイバーエージェントの動画戦略の中で作ったアプリです。
振り切ったものを作ろうとしたのは良かったですが、リアルタイムコミュニティは集客が重要なのにその計画が一切なく、ビジネス力の無さが露呈しました。
リリース後すぐに、役員からライブ配信事業へのピボットを提案され、それを飲みました。

入社6〜9年目

ライブ配信「AMESTAGE」/ 子会社社長
配信者とファンがクイズやベッティングなどのコーナー機能で、双方向な配信ができるサービス

SHOWROOMの競合として作られたライブ配信の子会社の社長に抜擢してもらいました。
当時、ライブ配信をするタレントは稀で、その理由の1つが「話すことが無い」で、それを解決するプロダクトを作りました。

しかし、ライブ配信のように「配信者」と「視聴者」がいるような、「プラットフォーム型」のビジネスはかなり奥深く、配信者の獲得戦略を確立できず撤退しました。

一方で、それをやりきったSHOWROOMや17LIVEを横目に見て、ただのモノづくりでは無い「ビジネス」の必要性を痛感しました。

ライブ配信「FRESH!」「OPENREC」/ プロデューサー・ディレクター
ライブ配信事業の経験を元に、1年ほど、他の大型プロジェクトにジョインしました(30〜50人)

「エンジニア」が優秀で強いチームだったので、エンジニアへの論理的な説明力が磨かれました。
同時に、論理性の対局にある「営業チーム」のマネジメントも経験し、フォーマット設計や、案件実行サポート組織の立て付けなどもしました。

「エンジニア」と「営業」が共存する事業は一枚岩になる難易度が高く、だいたいお互いをディスり合いがちです。チームマネジメントについてとても考えさせられました(この時は答えは出ていない)

入社10年目

Bilibili向けVTuber / プロデューサー
中国配信プラットフォーム「Bilibili」日本人VTuber売上1位・2位

中国のオタクコンテンツ市場を狙った事業です。中国のVTuberファンとQQで交流し研究した結果、「ゲーム好き」ということと「変態と言われると喜ぶ」ということが分かり、中の人の発掘と、配信のプロデュースをしました。
ゲーム実況×変態需要の企画力で伸ばせたのは良かったのですが、会社でやる事業規模にできず撤退しました。(個人VTuberとしてキーエンスの平均年収以上稼いでいる)

入社11年目

マーケティングSaaS / プロデューサー
Twitterを使ったマーケティングツール

既にあったツールの改良企画・開発ディレクションをして、マーケティングチームで運用していけるようにマニュアルや業務フローを整備しました。

入社11〜12年目

芸能事務所との共同アイドル事業 / プロデューサー
オンラインで活動するアイドル

コロナ禍でアイドルがリアルイベントをしづらくなった時期に、オンラインで、プロセスエコノミーでファンを獲得する試みをしました。
事務所との共同事業として良い関係を築く立て付けができず、撤退しました。マネジメントスタイルの幅を広げる機会になりました。

大手企業との共同エンタメ事業(上市前)/ 経営企画室サポート
(※情報非公開)

新規立ち上げのタイミングで、事業計画の作成・マーケティング調査をしました。

大手企業との共同ゲーム事業(上市前)/ 経営企画室サポート
グローバル配信する大型IPスマホゲーム

共同マーケティングチームのマネジメント、100人規模の開発組織でのワークフローの整備をしました。

身についたスキル

実現力

どんなWebサービスでも作れます。
フワッとした構想でも、コンセプトを言語化して企画書を作成し、構造を可視化して設計書に落としこめます。

マネジメント力

多様な人のいるチームを動かせます。
リーダーの考えをチームに理解してもらうための「可視化」をして、目標達成のフレームワークで進捗させていきます。

事業設計力

戦略立案・ビジネスモデル構築・事業計画作成をします。



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