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しゃかいかダイアログ 2020.2.23:ワークショップログ

社会課題で対話(ダイアログ)する

だから
しゃかいかダイアログ

社会課題に興味や関心がある
社会課題を学んでみたい
社会課題について人の話が聞きたい

だけど

よく知らないし
どこに行けばよいかも分からない

そんな方に参加してほしい対話型のワークショップです。


とはいえ、ひとことで「社会課題」といっても
まちづくり・教育・環境・福祉・医療……
テーマは多様で幅も広いもの

多彩で広範な社会課題というジャンルを横断かつ越境して記事にしているウェブ・ジャーナルがあります。

それがリディラバ・ジャーナルです。

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フードロス、障害者雇用、難民、緩和ケア、万引き依存、ドメスティックバイオレンス、外国人技能実習制度、カミングアウトとアウティング、不登校、、、

様々な特集記事がリディラバジャーナルには組まれています。多様で複雑な社会課題への第一歩に最適なメディアです。

リディラバジャーナルの記事を読んで
社会課題について対話するのが
このワークショップ。


2020年2月23日に東京都文京区にある株式会社リディラバのオフィスの一角をお借りして、しゃかいかダイアログを開催しました!

世間はコロナウイルスのニュースに溢れているご時世。少人数での開催となりましたが、開催してみればワイワイと和やかな場で、開催する意義はあったなと再確認できました。

さて、集まっていただいた参加者はみなバラバラの背景をもった4人。この4人で、数多あるリディラバジャーナルの特集のなかから、今日この場でみんなで読む特集をひとつ決めます。

この場に集まった人が、この場で読みたい記事を選ぶというプロセスを大事にしています。リディラバの掲げる「無関心の打破」というテーマにもつながるところですが、自分が知りもしなかったテーマを知ってしまうというのも、事前に読む特集を決めない醍醐味だと思うので。

きょうは参加者のおひとりが長くフランスで働いていた経験のある方ということで、移民問題に関心があるという話から、徐々に外国人がテーマの特集へと絞られていきました。

最後に選ばれたのは「外国ルーツのこども」


読む特集が決まれば集中して読みます。

全員で同じ記事を同じ時間で読む。

課題について何も知らなくてもここで読むから問題なし。

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45分もあれば一通り読み終えることができます。

ひと口に日本で暮らす外国ルーツの子どもといっても、労働者として来日した外国人が日本で産んだ子どもの場合もあれば、外国に生まれてある程度成長してから親から日本に呼ばれた場合もあり、何歳の時に日本に来たかによって、教育や福祉のサービスも変わっていくという複雑な課題なのだということが記事を読むことで分かってきます。

日本語が不自由なために学力をのばすことができなかったり、いじめにあってしまったり、中学校程度の学力を得ることも難しく、高校の中退も日本人の7倍も多いという現実。学校の教師、日本語支援のNPO団体、私設で夜間中学を開講されている方、多様なプレイヤーが、この課題に関わっていることとかも。


さて、読んでみた感想を全員でシェアをする時間です。

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「複数の国籍の子ども、その文化的な背景をすべて把握することを、学校の先生に期待するのは重いし、教師の教育も足りてない」

「学校の教師、NPOの人、支援者、個々のプレイヤーは目の前の課題に懸命に向きあっていても、全体でどうしたらいいという大きな絵がないから、個々で孤立した仕事になってしまっている」

「日本の文化や伝統に他国の人をこれだけの数受けいれてきた歴史や知識がないから、その教育って誰がやっていくのだろう」

「言語の問題を乗り越えていくのにスポーツや音楽みたいなものがきっかけになるかもしれない」

などなど

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言葉でのシェアを終えたところで、LEGO®SERIOUS PLAY®のメソッドを使いながら、LEGO®のブロックを活用しての対話へ。ブロックを用いることで経験を自分ごとに落としこんでいきます。

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記事を読むことと読んだ記事の内容で対話をすることは言語を中心とした対話です。明確に言葉になった経験を共有するのに長けています。その代わりに、ときに論争的なりすぎたり、ときに批評的になりすぎたりして、自分事にならないこともあります。

反対にLEGO®のブロックはモヤモヤと言葉にならないけど、たしかに胸の内にあることを形にすることに長けています。そして、自分のなかからでてきた感覚がベースになっているからこそ自分ごとにしやすいという利点があります。

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意識化して表現する言語と無意識にあるものを表現するブロック。どちらにも得手不得手があって、それを混ぜあわせることに価値があると考えています。

「社会課題」のようなテーマは、あまり問題が大きすぎると、評論家のようになって、社会や国の制度を悪く言って終わってしまうことにもなりがちです。社会課題について学んだ経験を明日の自分の行動へと落としこむには、自分サイズに落としこむプロセスがやはり必要です。

というわけで、ブロックなのです。


皆さんのできあがったブロックはこちら。

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外国ルーツの子どもが置かれた環境は、先の道筋がとても細くなっている。足元のブロックが黄色いのは、いまここだけは見えているけど、でも両足は乗っていない、不安定な状況。自分はもっとアンテナ高くして、この社会に外国ルーツの子どもがいることや、その問題にもっと感度高くいたい。

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多様な子どもたちで溢れた社会になってほしい。それが自由な社会だと思う。日本人は外国由来のものを日本風にアレンジする力にたけているから、外国人という存在も、もしかしたら受け入れて新しい日本の文化を作っていけるかもしれない。そんな希望を思いたい。

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外国ルーツの子どもという社会課題についてはじめて学んだけれど、思ったより壁が高い。これは子どもと大人の関係なんだけど、その間に高い壁がある。壁が水色なのは冷たさ。だけど、いつかこの壁が崩れて互いにサッカーができるような関係ができるかもしれない。だから、この大人は壁に顔を向けて向こう側を見ようとしている。


たしかに少人数での開催でしたが真摯で熱い対話ができたと思います。まさにシリアスファン。

振り返って思うのは、日本で生まれ育って成長した外国ルーツの子どもたちが、将来やってみたい夢やキャリアの姿って描けているのかなということです。

「人手不足だから」と既存のビジネスを維持して回すため、その場しのぎで外国人に働きにきてもらったはいいけれど、来てもらって、未来どんな社会の形がよいのか、それを誰も描いていない。共有もされない。だから、現場で個々のプレイヤーたちが目の前の問題にローンバトルを強いられて疲弊していく。

同じように、では、外国ルーツの子どもたちが日本で描ける将来の夢、その大きな絵って、存在しているのだろうかと。

日本の子どもでさえ、日本の未来に夢が持てないなんて言われている昨今、ましてや外国ルーツの子どもが日本での未来に何を見られるのだろうと思えてしかたありません。

これって、日本人だから、外国人だから、関係ないことなのかもしれませんね。


【了】

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