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行事食との生き方

先日はひな祭り。
子供の頃から、この日はチラシと吸い物食べて生きてきたのでアナゴと胡瓜の混ぜ寿司に手毬麩の吸い物メインに献立構成して食べてました。
いや、椎茸とか煮た奴を混ぜ込むチラシで生きてきたんだけど、作り方習ってないので自己流でアナゴくんと胡瓜で作ってるんですが。

ひな祭りに限らず、行事の時ってなんとなく「これを食べる」な風習がある場合、乗っかって献立考えるの楽しようというより『ケジメ』として作る感覚の方が強い部分ちょっとある。
冬至みたいに「あー!南瓜忘れとった!」みたいな事もありはしますけども。
恵方巻きに関しては、子供の頃は無かったから献立楽にする手段なんですが、1980年代に流れてたラジオで恵方巻きの話の投稿があったの異様に覚えてるから、やっぱり地域差でしょうなあと。

とはいえ、12/31の大晦日に必ず年越し蕎麦を食べるわけでも無いしな。
子供の頃は食べてたんですが、元々蕎麦よりうどん派なのと、蕎麦は蕎麦屋で食べたい→大晦日の蕎麦屋激混みの印象、から晩ごはんにうどん作って年越し蕎麦の代わりに…ってしてるんですよね。大人なってからは年越し蕎麦食べたの、たまたま蕎麦屋連れて行ってもらった一回だけじゃないかなあ。
でも、気は心。とでも言うのか、うどんでも節目のケジメをつけてる気分は味わえるんですよ。これが。太さや素材は違えど麺類啜る事に変わりはないからかね。

誕生日とクリスマスも、決まりはないけどなんとなくご馳走振りなもの作ろうと思ったりするし、この2つは行事と思ってないけど節目にはなるからかなあ。
食べたい物しか作らないけど、皿数ひとつ増やすとかするだけでもなんとなく普段の食卓とやっぱり変わる。
『ハレの日』と『ケの日』ってそういう事かね。

しかし、行事食で異様に記憶が薄いのが端午の節句なんよね。
ちまきと柏餅以外思い出せない。もっとも、柏餅はうちは特に作ってなかったけど。
食じゃ無いが菖蒲湯は記憶にあるけど、晩ごはんに食べてたものが思い出せねえ。オカンが男兄弟いないから端午の節句の料理は習ってなかったのか、それとも、ちまき柏餅菖蒲湯以外の風習が元々無いのか?はて。

昔、仕事で初節句(ひな祭り)のお祝いの席を用意した事あるけど、店のセオリーで赤飯用意したのは自分の中では『芸がねえなあ』と思ってしまった事は秘密である。
初節句だからこそ、ちらし寿司と蛤の吸い物出してあげたかった。大変だけどさ。

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