3rd Single『yoake』について -カオスな世界に必要なもの-

画像1

2021年4月7日、緊急事態宣言発令からちょうど丸一年。
僕らは3rd single『yoake』をリリースした。リリースから2週間経ったこのタイミングで、曲に込めた思いについて語っていこうと思う。


”あなたが連れ去った痛みなら、ぼくも背負うさ”


どれだけ時間が経って、見た目が変わって、環境が変わって、世界が変わっても、例え罪を犯しても、変わらない愛を向けてくれる人がいる。痛みを背負ってくれる人がいる。

その愛に立ち返り、今こそ大切な人と救いの手を取り合おう。yoakeはそんなメッセージをこめて書いた曲だ。

さて、ぼくがこの曲を書くにあたっての、時代背景との関係と個人的な思想について少し触れようと思う。


”誰もが死と隣り合わせ”


この一年でそんなことを感じるようになった。

もちろん、ウィルスによる身体的な害もそうだが、精神的な要素が大きい。わかりやすい話、特にこの一年で散見された芸能人の自殺もそう。ウェイトは人それぞれとして、影響は否定できない。ぼくの身の回りでも実感を強めるような出来事がいくつかあったりした。

ぼくは元々、人間の脆さを人一倍感じるタイプだが、このコロナ時代においてはそんな脆さを一層感じるようになったのだ。


文明開化の代償(『J.A.M』 1st EP”CREDO”より) 

しょうもない魔法にはかからない(『カーニバル』 1st EP”CREDO”より)


コロナより前の時代からすでに、世界はカオスだった。

時代が進歩するにつれ、人が生き辛くなっていく様を感じた。あらゆる邪念に覆い尽くされ、人と人が純粋に接することが難しくなってきたと。ぼく自身、その当事者だったかもしれない。十分にカオスな世界で、生きづらさを痛感していた。

ある意味、コロナ時代の到来は、元々カオスだった世界を”わかりやすくカオスな世界”に変えただけなのかもしれない。

だから、この時代が逆にチャンスであると感じることもあった。ここまでわかりやすくぶっ飛んだ世界で、ぼくらがヘラヘラとしょうもない邪念に向き合っている場合ではない状況を迎えたということだ。

前述した通り、ぼくは人が死に近づく感覚さえ覚えたわけだが、極端な話、承認欲求の補充に駆け回った人々が、今や安全欲求とかそんな低い基準の欲求さえ満たせていないのではないか、とか。

そんなスケールの欲求を満たしてくれるものは、その辺の適当な何かじゃ到底担えない。

yoakeは、こんな思想から始まり、”あなたを救う、本当に大切なものは何か(あなたが救うべきものは何か)”という問いに立ち返ることになる。

この後は、”ぼくが迎えたyoake”と題し、yoakeのリリースがもつ意味を、個人的なエピソードを中心に綴ろうと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?