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絵本と出会うものがたり えんちょと マンモスがいるようちえん

『せいめいのれきし 地球上にせいめいがうまれたときから いままでのおはなし』 
バージニア・リー・バートン 文・絵
いしい ももこ訳 (1964年)

 私たち家族を、その幼稚園と結びつけてくれたのは、えんちょこと園長と、絵本の部屋。そして『せいめいのれきし』(バートン)という絵本だったように思います。

 数年前の夏の終わり。私たち家族は都内の共働き生活から、私が専業主婦になる生活へとスイッチして、海と山のある街に引っ越し、幼稚園探しを始めました。本当は、ゆっくり4月から2年保育の予定でした。

     激務で残業ばかりの毎日。「僕はママのお腹に戻りたい。そうしたら、ずーっとママと一緒にいられるでしょう?」息子に言われるほど寂しい思いをさせて仕事を辞めたので、どこか孤独の影があるように思えるこの子を、大切に育ててあげたいと感じていました。引っ越しが片付いて、ゆっくり準備して、ご近所の散歩をし、海で砂を掘って波打ち際で遊んだり、どんぐり集めて歌ったり。二人で過ごすゆったりとした時間を満喫しよう。寂しくさせた時期を埋めるように、思い切りこの子と遊んであげよう。
 ところが、ずっとそばにいると息子は元気いっぱい。「ママ。お願いがあるんだけど。」今度は、お友だちと遊びたいと息子は言い出したのです。近所の小さい公園、工作、絵本、歌、おもちゃ。ママと二人じゃ物足りない。保育園の時みたいに、みんなで。子どもがたーくさんいるところで、遊びたい。毎日、毎日、お友だち、お友だち。でも、もう秋。来年度の入園願書を、来月には取りに行くような、そんな時期なのです。そのうち、あきらめるかな~?なんてたかをくくって、さあ楽しい毎日にしてあげよう!と『ぐりとぐら』を読んで、親子で沢山の卵を割って、フライパンでカステラを焼いた日。さすがに喜んでくれると思ったのに、「ぐりとぐらは沢山のお友だちと一緒にカステラを食べたんだよ! 僕はお友だちと一緒に遊びたい…(泣)」。これはもう、途中入園させてくれる幼稚園を探すしかないと覚悟しました。
    調べて、いいなあ、と思う幼稚園がひとつ。通園には遠いけど、子どもたちの遊ぶ姿や保育の視点が良くて、ホームページをみれば見るほど、気になってしょうがない。せっかくだ。せっかく仕事辞めたんだし、という呪文がちょっとかかる。もう見学には行くしかないと決めました。


    幼稚園を訪れた日。私たち親子は雨に濡れる園庭を眺めながら、静かに感動していました。園庭の輪郭は様々な植栽の緑でふちどられ、子どもたちがイメージして古い材木で釘打ちした造形物が、美しく雨に濡れています。大きな滑り台や、象のようなかたまり、板を平均台のように渡してサークルを作っているような箇所もあります。秋の雨は細かくても長々と降り続き、造形物のまわりにも大きな水たまりができています。子どもたちがお部屋で遊ぶざわめきや、話し声が遠くから聞こえてきます。歌っている部屋もありました。「世界じゅーうの子どもたちーが」以前の保育園で歌っていた歌に、ほっと懐かしい気持ちになりました。
 絵本の部屋に案内されて、その蔵書の素晴らしさに夫婦共々驚嘆しました。えんちょと呼ばれています、という少し風変わりでジーンズ姿の園長先生…そんなに簡単に えんちょとは呼び難いのですが、園長先生と呼ばれるのは、すごくお嫌みたいです…と夫は熱く語り始めていて、それを傍らで聞きながら私は絵本の部屋にうっとりしていました。古いけれど管理のいい書庫の香り。蔵書はわからないものも多くてわくわくします。知っている好きな本もあり、少しほっとします。低い本棚には絵本作家順に、科学ものや昔ばなしは種類別に。子どもたちが触れやすそうに、でもぎっしりと並べられていました。本棚の上からは日差しが柔らかく入り、きっと天気がいい日であっても、ちょうどいい薄明かりです。木のベンチと大きなテーブルはお父さんたちの手作りで、しかも形は素の木そのままの姿をいかしているんです、との温かい説明でした。
 幼稚園を一巡して気がつくのは、子どもたちの瞳がキラキラしていること。子どもたちは、何にもしばられていなくて、わくわくしている。泣いていて大きな子に手を引かれてる子もいます。手にちぎれた紙切れを持って配っている子もいます。廊下に寝そべって、転がって、コロコロしてる横を上手にすり抜けて、頭にひらひら無造作な布切れを巻いて走り抜ける子たちがいます。誰かなあとこっちを見て、笑いかけ近づいて話しかけてくる子もいます。まるで、もぎたてみたいだ、と感じました。大人からの強い指示や顔色に従って生きていなければ、子どもというものはこんなにも無邪気で、可愛いのだと感じました。
 息子は幼稚園についてからは、まわりの子どもたちの様子に心を奪われたり、遊びに入り込んだりして過ごしていました。そして、絵本の部屋に入ると程なく、子どもたちが絵本を借りられるという大人の話を聞いたか聞かずか、一冊の絵本を手にして、この絵本、お家に連れて帰って読みたいと言い出しました。それは、バートンの『せいめいのれきし』でした。
    地球が太陽系で誕生し、バートンの故郷アメリカ合衆国が成り立つまでの地球と生命の歴史について描かれた、壮大で深遠なテーマの絵本、大人でさえ読み応えのあるこの絵本。年少さんにわかるはずもない、と思いました。「この本は、こうちゃんにはむずかしいんじゃない?」と息子に伝えました。でも、息子は、くせっ毛の髪の頭を揺って両目にはもう涙を浮かべて、いやいやをしてききません。大きな黄色い表紙の絵本を両手につかんで離しません。もう、困ったなあ、とどう説明しようか頭を巡らせていると、えんちょが言いました。
「わかる、わからないではないんです。絵本とは出会うものです。今日、この絵本と出会ったのには、子どもなりの理由があります。いつでも、ついでの時にお持ちくださればけっこうです」

 素晴らしいお言葉に感激しながらも、幼稚園から自宅まで電車を乗り継げば1時間。簡単に返しには来られませんし、入園を正直迷っていました。この幼稚園の魅力は圧倒的ですが、通園の大変さ。せっかく、のんびり子育てライフを満喫するはずが。でも、また頭によぎるあの呪文。せっかく、仕事辞めたんだから。でも、せっかく辞めたのに。
    ですから、絵本をお借りすることに躊躇しました。
でも、えんちょは、長男のことを理解しているかのようで、これは子どものために言ってくれているということが伝わってきて、ありがたくそのご厚意に甘えることにしました。大好きな作家さんの絵本が沢山ある中で、難解そうな絵本を借りたがる息子の思いは不思議で、私は困惑していました。
 この幼稚園はいい。でも…。迷う一番の理由は息子でした。園で一緒に工作をしました。でも、上手く作ろうとしてすすり泣きです。泣きながら、私に一部手伝わせて凝ったギター。毛糸で弦も作ったので、近くにいた男の子がすげー、と言ってくれたけど、しくしく悔し泣きして作ったんだと思うと不安でした。一方、この子たちの楽しそうな様子はどうでしょう、出来栄えなど気にせず、生き生きとした素材そのままのものを夢中でつくっているんです。部屋に貼ってある力強い筆の運びの絵が、迷う私に大丈夫? と問いかけてくるようです。うちの子に、この幼稚園は合うのかな? まずは、お返事は先延ばしで、帰ってからよく考えることになりました。

 はたして、帰宅後『せいめいのれきし』を読んできかせても、息子がそのまま聞いて理解できるわけではなく、私は簡単に説明をしながらバートンの絵本をめくりました。地球の絵の上のリボンには年代が書き込まれ、地球が宇宙の太陽系に誕生し、生命が誕生していった様子が描かれています。海の中の動植物が陸にあがり、進化をとげていきます。恐竜やマンモスが現れて、人間が誕生します。でも、その辺りから急速に息子のストーリーへの興味は失せ、白人にアメリカ大陸が発見された辺りからは、私に何となく読み終えられるだけになりました。
    でも息子は、また繰り返し言ってきます。ぼくは、あの幼稚園でお友だちと遊びたい。お友だちと遊びたいんだ。あの幼稚園がいいんだ。
 
 大きくて重いバートンの絵本をやっとお返しできたのは、次の体験の初日。迷う私の様子と、通園の心配をして下さった幼稚園側の提案で、私達親子は3日間、幼稚園生活を体験することになりました。
    体験に通いながら、私はずっと迷っていました。マンモスと呼ばれている主任保育者は、えんちょの奥さま。ベテラン感漂うマンモスの足元には、常に小さな子どもがひとりかふたりついて歩いていて、こちらを見ると必ずよってくれて、息子と私にご挨拶してくれる。そして私には、「遠いですよね、大変ですよね」としか、おっしゃらない。不安げな顔で、いつもよりおとなしい息子。この幼稚園がいい、という言葉と行動が一致しないので私は不安でした。帰り道は、二人とも疲れてへとへと。仕上げは、肉体労働です。バスで寝てしまった息子を抱えて登る自宅までの坂道。
    でも、3日目。まとわりついていた息子の姿が、いつのまにか見当たらない。笑い声が響いている方に行ってみると、保育者と楽しそうにしている息子の姿を見つけました。保育者が、嬉しそうに私を手招いています。息子が遊びに没頭して、何かに紙の切れ端を入れて、話しかけているようでした。「今、こうちゃんと一緒に、ぶーちゃんにご飯をあげているんです。このぶーちゃん、こうちゃんが作ったんですよ。」保育者が、愛おしそうに抱きかかえている小ぶりのダンボール箱。ぶ、ぶーちゃん?目玉のような丸が二つ、ダンボール箱のフタのところに描きなぐられているだけ。それが、ぶーちゃんのようです。ぶーちゃんに次々紙切れ…ではなく、ご飯をあげて優しく話しかけ、撫でる息子。楽しそうに応じる保育者。最初は面食らっていた私も、その楽しそうな様子に、ダンボールが何となく、ぶーちゃんに見えてきました。嬉しそうな息子の表情と様子にホッとして、思い切り息子と遊ぶことができた後、二階のベランダから親子で園庭を眺めながら、この子はもう、大丈夫だと感じました。そして私はこの幼稚園にこの子を連れて来たい、この幼稚園に一緒に通いたいと決めていました。晴れ晴れとした気持ちで職員室に寄ると、マンモスに「あのー。いつから幼稚園に来られますか?」と聞かれました。お見通しです。
    こうして、この幼稚園に日々通うこととなりました。

 『せいめいのれきし』を借りたがったことには意味がある。
    この幼稚園でまた遊びたかったから。
    ママ、僕をこの幼稚園に連れて来て。
    そういうことだったんだろうけれど、なぜこの絵本だったのか。偶然手に取っただけ? えんちょの仰るように、子どもが手に取った縁のようなものを感じて、何となく、バートンやセンダックが並ぶ本棚の辺りは、私にとって気になる片隅になりました。無理に答え合わせをしようとは思わず、『〜だったのかな』と想いを巡らせては、このご縁を楽しもう。新しい世界を知りたかったのかな。黄色い絵本の背表紙が、なんとなく気になったのかな。いや、ただの気まぐれ?
   入園後、息子はその絵本を借りてきませんでした。
 
 次男が生まれて入園したのをきっかけに、改めて絵本の部屋でこの絵本を借りました。小6になった長男と『せいめいのれきし』を開きました。絵本の素晴らしさに親子共々、感じ入ってしまい、絵本の隅々に作家のなみなみならぬ工夫があることに驚かされました。
 「これを選んだことは覚えてないし、分からんだろ? って思うけど、今、僕この本好きだわ。こういうの前から興味はあったのかもね」
入園の話には、「全然、覚えてない。」「えんちょ、いいこと言うね。名言だね。」と。「へー。ママってぶーちゃんのこと、そんなふうに感じてたんだね。」と会話が弾みました。改訂版が発売されたのを書店で見かけると、このタイミングに迷わずうちの本棚に迎えました。

    一緒に読もうね、から数日経って、私はもう一度バートンをめくりました。そして、今だから私はこの絵本を感じられるようになったのだと、知りました。説明の多い科学絵本、歴史絵本だと思ってこの絵本をめくると、知ること、覚えることとして絵本を読み進めることになります。それでも間違いではないでしょうし、むしろ、そのように読まれているのかも知れません。
 でも、自然あふれるこの街に引っ越し、幼稚園、絵本の部屋と出会って10年。えんちょの絵本の会に参加し、子ども達と絵本にふれ、自分も育児しながら生活を楽しみ過ごしている、その生き方の変化で、この絵本の中に息づく自然の素晴らしさ、生命のたくましさや不思議さ、季節の移ろいの美しさに胸を打たれている自分を発見しました。
 この絵本は、舞台に見立てる様に描かれ、構成されていて、目次もプロローグ、1幕1場~と続きます。舞台袖に指揮をするような姿で立つ人物に導かれ、地球の誕生、地球内部の断面や、表面の溶岩が迫力をもって描かれているプロローグ4場。5幕7場には新月の夜空いっぱいに星が広がり、作者が宇宙の星に感じる悠久の時の流れについて説明がなされます。その星空のもとに住む家の中で時を刻む鳩時計の挿絵が隣のページに描かれ、一日の終わりと始まりという身近な時間についての文章が添えられています。星空の美しさとあいまって、作者の時空のとらえ方の深さや広がりが、絵本を開く者の胸にも伝わってくるのです。
 「せいめいのれきし」が地球という大きな家について描かれているだけでなく、バートン一家の歴史についても触れられていることに初めて私は気がつきました。5幕1場です。古い果樹園と草地と森を買って、小さな家と画室を建てたバートンは、リンゴを育て、羊を飼い、木を植えて、子育てをしています。その姿が、自分たち家族に重なってみえた時、この本との出会いをくれた息子への愛しさと、幼稚園の仲間と出会えたことは息子からの贈り物だったのではないかという思いが、同時にこみ上げてきました。
    えんちょの言葉がもう一度よみがえります。
「わかる、わからないではないんです。絵本とは出会うものです。今日、この絵本と出会ったのには、子どもなりの理由があります。」       
    
気がついたんです。この絵本に出会っていたのは、息子だけではなかった、私も出会っていたんだと。そして、今ここにいる自分は、あの日の自分とちゃんと繋がっていて、そしてこのように感じられる毎日を過ごしているのだと。

 その後、少しして、また絵本の会に集い、私がこの絵本を取り出すと、「ああ、あの時初めて借りていったのは、この絵本でしたね。」とえんちょがおっしゃいました。息子が借りた最初の本がこの本だった、ということを7年も覚えていて下さったこと。子どもひとりひとりも絵本のことも、ちゃんと愛情深く心に入れている。ここに、温かな人が抱く、育ちゆく人々を想う ものがたりがあります。


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