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もしもものまねについて寝る前に考えてみた

ものまね番組ありますよね。
ものまねは発信者と視聴者(私)の間に共通の知識(真似されてる人)があることで成立します。ものまね見て似てるな、すごいなと思えるということは、それに反応している他の人々と芸を介して真似されてる人の特徴という感覚を共有できてるんだなあ〜というところに面白みを感じます。

ところで、ものまね番組に出てくる「もしも〜さんが別人の〇〇を歌ったら」的なやつ(これを「もしもものまね」と呼ぶことにします)にずっとなんか違和感があったのですが、違和感の正体を考えてみます。

ちなみに、もしもものまね自体は嫌いではなく、YouTubeで見たりもしますが、ものまねを銘打ってる番組に混ざってくることに違和感がありました。

この手の番組は、大体審査員が点つけたり、観覧客が投票したり、何かしら芸として対戦する形式になっていることが多いです。
1人100点10人合計で1000点、とか。
100人の投票も点数化するとか。

比べる以上はルールが必要になってきます。
ものまねを謳っている限りは、「より本物に似ていること」が勝利条件であるべきに思います。
つまり、本人が100点でいかにその100点に近づけられるか、というゲーム。ユーザー目線では減点方式の採点になります。

ところがもしもものまねには、100点満点を定義する「本物」が存在しません。もしもものまねは、本人の特徴を抽出、再構築する、別の芸じゃないかと思うのです。
「あ、今のところ〜さんっぽい」と思わせるポイントをどれだけ別の歌の中に入れられるか、というゲームです。ユーザー目線では、どちらかというと加点方式の採点になります。

このルールの違いが違和感の正体でした。これをどっちが似てますか、と戦わせるのは、写実画家と抽象画家はどっちがうまいリンゴ描けるか、みたいな、そもそもルールが違う戦いになってしまっているのです。

番組の構成都合とかは素人なので置いておくとして、フェアなゲーム、という観点でやるとしたら、もしもものまねコーナーを別に作って全員同じ曲を歌い、似てると思ったポイントで加点を積み上げていく、とか、
曲は自由だけど真似する人は共通の人を比べる、
という感じでしょうか。

別の視点で、加点方式のゲームは減点方式のゲームに比べて、より点数のためのテクニックが重視され、点取りゲームになります。
存在する本物に似せる減点方式のものまねは、とにかく似るように鍛錬をして、結果100点に近づく、という構造になりますが、
加点方式のもしもものまねは、特徴を誇張して、特徴が出るフレーズをなるべく多い曲をと、本物に似るというよりは、加点ポイントをなるべく増やすことが戦術になります。(本物が存在しないので当然)
ということろからも、もともとのテーマである「似ている」をつきつめる減点方式の通常ものまねの方が好みです。

ということで違和感の正体は、減点方式の採点のゲームの中に加点方式のものが紛れ込んでおり、フェアじゃない対戦が行われていることでした。

ゲームデザインに関しても、今やらせようとしている体験が、減点方式なのか加点方式なのか、という視点は気にしておいてもいいかもなあ、と思ったのでした。

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