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神皇正統記起稿之地

つくば市の小田城跡のすぐそばにある。

北畠親房は、東国奪還を狙って伊勢から出帆したが、途中暴風雨にあい常陸国の小田城に入る。南朝の重臣であった北畠親房を迎えた小田城は、関東の南朝方の一大拠点となったという。

親房は、1339年、この地で足利軍と対峙しながら『神皇正統記』を書き始めたという。

小田城には歴史広場の案内所があって関連の展示がされている。発掘調査の成果の展示が主なものだが、「鎌倉殿の13人」の1人となる八田知家から始まる小田城主たちの歴史を、ここで知ることができる。

大河ドラマに合わせて動画を作ったことも知った。なんでも調べ直すと発見があるものだ。

なお、江戸時代の著作などで引用されることはあったが、『神皇正統記』という書物自体が広く知られるようになったのは、徳川末期の後期水戸学を経由してからだそうである。明治二十年代以降、漢文訓読調の文語文を学ぶ意味もあって、国語の教科書に用いられることで、古典として再発見されていったのだという(苅部直『日本思想史への道案内』pp.66-67)


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