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姉崎正治の教え

先生はよく、こういうことを言つておられたのを思い出します。それは、いま言葉通りには覚えていないのでありますが、学者の業績というものは、それを年代にしたがつてリストをつくつた時、そこに大きな空白というものがあつてはいけない。もし空白があつても、それは、ここでは何をしていたという説明ができるものでなくてはならない。そういう意味の言葉でありました。そういうことを、先生は、たびたび口にせられたように覚えております。
画家の世界には、いちどパレット・ナイフを錆びさせたものは、到底、一流の画家にはなれないという言葉があるそうでありますが、おなじことは、学者の世界においても考えられることでありまして、コツコツと、その研究の成果をつんでゆくよりほかに、決して近道などというもののない学者の仕事というものは、自然、その業績の上にも、空白のきれ目というものがあつてはならない。そういうことを、先生はいつたと思うのであります

増谷文雄「姉崎正治の業績」『宗教研究』通号 147(1956年10月)p.17

宗教学者・姉崎正治の教えである。
自戒を込めて。

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