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昭和30年代~40年代に山形新聞に連載された高山樗牛の伝記(工藤恒治著)について

昭和30年代から40年代にかけて、山形新聞に連載されていた工藤恒治の高山樗牛についての連載がある。

工藤は、1940年代に『文豪高山樗牛』という、樗牛研究必携の一冊を出している。ご覧いただければわかるのだが、高山樗牛の何月何日の行動までをあらゆる資料から網羅した、凄まじい本である。

こちらはクレス出版の花澤哲文編『高山樗牛研究資料集成』にも入っているのだが、その工藤が、戦後にまた新聞に連載していた高山樗牛伝ということになる。

しかもこの樗牛伝は2種類ある。

  • 昭和36年3月15日~4月12日 高山樗牛(全5回) ※筆名は工藤ではなく藤ノ木純の筆名

  • 昭和43年5月16日~昭和44年1月25日 高山樗牛ー如何なる星の下に―(全182回)

なんとなく『文豪高山樗牛』を連載用にリライトしたものなのではないかという予断があったのだが、とんでもない。一方ではネットがない時代であるがゆえに、調べたらわかりそうなことも、あるいはできなかったかと思われる箇所もあるが(例えば樗牛が熱海で泊まっていた旅館は今やっているのかどうかは、ネットがあればすぐであろうが、山形で熱海の電話帳を引くのは難しいだろう)それを補って余りある新資料が随所にみられる。坪谷善四郎や桑木厳翼、里子夫人など関係者への聞き取りは、この記事だけのものでもあろう(坪谷善四郎の談話はほぼ同じものが『文豪高山樗牛』に載っていた)。
さらには初期文章について『樗牛全集』の編者の解題の誤りも考証・指摘している。



工藤自身が収集した資料と注記されているものも多い。戦後になってからも工藤が熱心に高山樗牛顕彰活動を行なっていたことが知られるのである。

著者は鶴岡出身。第一回樗牛賞の受賞者にして樗牛会会長。教員として国語教育に関わりながら、戦前期から熱心な郷土教育運動にも関わっていた人物なのである。

たぶん、最近の樗牛研究で、この連載まで目を通して書かれたものは見当たらないと思う。
同じく精力的な樗牛研究の成果としては小野寺凡氏のものがあるが、これも雑誌論文で、単行本にはなっていない(クレス出版の『高山樗牛研究資料集成』では花澤氏が採録している)

これらの成果も踏まえた上で今後の樗牛伝は書かれなければならない。

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