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朱に交わりてなお青翳る 田中摩美々

久々に推敲せずに文章を綴る。

念願叶って田中摩美々のパープル・ミラージュtrue endを見たので、感想を書きたいと思ったのだが、推敲をしないのは、その方が生の感想に近いような気がしたから。読み返して悲惨なことになっていると思うので修正はするが、土台としては思いのままに書き殴ったものがある。

当然これ以降、パープル・ミラージュのネタバレが連発する。他の摩美々のカードの内容なども出す。ネタバレを回避したい人は引き返してほしい。自分としても初見の楽しみを奪いたくない。


さて、パープル・ミラージュでは摩美々の親との過去が明かされるということが事前に聞かされていた。正確には不覚にも目に入ってしまっただけど。
全然違くない? というのが第一印象だ。


摩美々が親と微妙な関係にあるのは最初から、それこそWINGの決勝敗退ですでに明言されてると言ってもいい。朝コミュでも親に言及されており、また、先んじてリリースされている[闇鍋上等]も親との関係を前提にして読むべきコミュだ。
もう少しだけ、簡単にでも整理してみた方がいいのかもしれない。

・みんなとご飯に行って楽しそうと聞き、喜ぶ親。(朝コミュ15)
・昔楽器を習っていた(共通コミュ あまのじゃく)
・小さい頃から甘やかされて育ってきた。何をやっても褒められてきた。それのせいか、何かをやりたいと思うこともなかった(共通コミュ その瞳が目指す場所)

それからプロデュースカードからの引用も少し。

家族でもないのに、なんでそこまで……?
(裏腹あまのじゃく 摩美々・夜明け前)
……ずっと昔から おとぎ話は信じていない 冬の街灯りはただ、この重さを連れてくる ⏤⏤プレゼントなんていらないから……
(闇鍋上等 マシ マシ)

決勝敗退コミュがやはり決定的だが、そしてそれが多くの人を摩美々沼に落ちるきっかけでもあると思うのだが、親から甘やかされており、怒られることがなかったという経験が、摩美々の性格形成の核となっている。そのことは本人の口から語られるのからも分かるように、摩美々も自覚的である。
自分に向き合ってもらえないという感覚が強かったのだろう。だが、そのことを恨めしく思っているわけでもなさそうだ。朝コミュの「親も嬉しそうにしてた」という言葉からは中立的な態度を感じ取れるし、摩美々を必死に探すプロデューサーに対して言う「家族でもないのに、なんでそこまで」は家族であっても個々の事情があるのだから、子供が優先されることはないという諦めのようなものを感じる。
楽器を習っていたことや爬虫類を飼えるというところから推測するのは強引だが、家庭の生活水準が高い可能性がある。そこからの連想ゲームになるが、親は高収入に見合うだけの忙しい人なのではないだろうか。摩美々は自分の暮らしぶりが良いことも、親が忙しいのも、その中でプレゼントなどで喜ばせようという努力も分かるから責め立てる気にはなれないが、だからといってわだかまりが晴れることもない。

引用した闇鍋上等の冒頭箇所に唐突に出てくる「プレゼント」はさすがに親からのプレゼントだろう。では、プレゼントなんていらないなら一体何を求めているのかと言えば、「まみみをみつけて」欲しいということだろう。悪い子を演じるのはそのせいだ。
今気づいたが、裏腹あまのじゃくの思い出アピール名である「まみみをみつけて」がひらがな表記のまみみになってるのは幼少期からの思いだからなのかもしれない。思い出Lv5になると「[悪い子]まみみをみつけて」になるのが、またたまらん。

以上見たように、摩美々の人格形成には親との関係が根深く関わってくるのだが、その中核には親に向き合ってもらえなかったことがあるのは間違いない。その重要な根拠の多くが共通コミュにあるように、このことは初期から明かされている。
ここで本題のパープル・ミラージュtrue endで、親との関係がどう語られるかというと、

⏤⏤摩美々ちゃん。私、これから出かけてくるから 留守番、頼んだわね。
……うん、わかった ……⏤⏤あのね。
私……髪、染めたんだ
まぁ、そうなの 似合ってるわ
------中略------
(……ママにとっては 黒も紫も、変わらない)

(パープル・ミラージュ true end )

かなり奇抜な色にしたにも関わらず、髪を染めたと伝えるまで気付いてもらえず、「似合ってるわ」とあっさりした反応をされたのだから相当堪える。これが後に、見て見ぬ振りをされたと語る思い出の代表例なのだろう。
しかし、親との関係に関して、ここにどれほどの新情報があるのだろうか。
ネグレクトではないが、自分の用事のために摩美々に目が届かない親と、それに反抗するわけでもなく、仕方ないと諦めている摩美々。これまで見てきた通りの構図だ。ここで新たに親子関係が書かれていると見るのは無理がある。たしかに、今まで間接話法だったのが直接話法になったくらいの違いはあり、口調などが読み取れるようになったけれども、それも関係性が明瞭化したくらいの働きしかなさそうだ。(とは言っても、情報として新しくないだけで、具体的な場面を見せられると心に訴えるものは大きい)

パープル・ミラージュの主題はそこじゃない。
自分の色を獲得する過程こそが主題だ。あらかじめまとめておけば、過去の誰にも見つけてもらえなかった時期に形成してきた自分を昇華する形で、自分の色を獲得した話になっている。

ここから本格的にネタバレする。

まずは話の構成を確認してみよう。「それは透明な自分に、初めて色がついた瞬間だった」から始まり摩美々の過去が語られ、「⏤⏤……透明…………」の独語の直後に、突然、プロデューサーとの出会いの場面に移り変わり、「⏤⏤透明な自分に初めて色がついた瞬間」「それは電撃的に それでいて絶対的に」と続く。
ここから、透明な自分とは過去の摩美々であり、色がついた瞬間がプロデューサーとの出会いであると整理できる。

透明な自分

透明という語が使われるのは、奇抜な色に髪を染めたのにも関わらず誰も彼もが角が立たない言い方で褒めてきたからだ。真正面から向き合ってもらえないということだ。クリティカルなのはもちろん母親の反応だが、これは先に見た。同様に重要なのは同級生の反応だ。「綺麗な髪色だね」「すごく似合ってると思う」など明らかに動揺を隠しながら褒めている。突然同級生が紫色に染めてきたのだから、どのような心境の変化があったのかとか、なぜその色にしたのかとか、本心ではもっと気になっていることがあるはずなのに、極めて形式的な返答となっている。やや誇張すれば、摩美々との親密なコミュニケーションの拒絶とも言えるだろう。

以前、摩美々について述べたこのツイートの、友達に全く期待しない田中摩美々のルーツはこのあたりにあるように思う。自分に共感的に寄り添ってくれる友達も親もいなかった思春期を送ってきた摩美々のことを思うと泣けてくる。

(ちょっと脱線。中学校で髪を染めるのが許されるのは、公立では許されなさそう。しかも染めた髪色を18才現在までキープしているのだから、私立の相当自由な校風の中高一貫校に通っている可能性はないか。知っている範囲では、髪色まで自由に認める校風の学校はかなり優秀なところであるように思う。生活水準の高さからして、中学受験に大成功した可能性も見過ごせない)

以上見てきたように「透明」とは、誰にも見てもらえなかったことを指すが、髪を染めて自分の色を主張した結果、透明さを再確認するはめになった残酷さたるや凄まじい。ショッキングなのでそちらに気をとられてしまうが、摩美々が紫を自分の色にしたこの経緯が見事と言わざるを得ない。

赤よりも青く、青よりも赤く
誰にも捕まらない 複雑な、パープル⏤⏤

紫は赤と青とを混ぜて作る色だ。ここで秀逸なのはあらかじめ赤い背景で「私の色なんて、誰にも決めつけさせない」 青い背景で「私は……憂鬱なんかじゃない」とそれぞれに付せられた独白。赤の前には例の同級生の反応があり、取り繕うことでみんなと同じ色に馴染むことへの反感が見て取れる。他方で青色は、母親に見つけてもらえないことを受けての孤独を吐露している。
パープルは赤青どちらでもないのではなく、どちらでもあるというのが極めて重要なポイントだ。そして、誰にも捕まらないという言葉には、誰にも同調してやらないが、それゆえ捕まえてもらえない、見つけてほしさとそのために自分を売ることはしたくない葛藤が現れている。そうした思いが込められた摩美々の紫色だが、

(……ママにとっては 黒も紫も変わらない)
(⏤⏤それじゃあ 私は何色…………?)
……あ
紫色……流れちゃってる
⏤⏤……透明…………

目立たない黒、影と同じ色の黒、他のみんなと同じ髪色の黒。それらと紫は何も変わらない。自分の主張した色が何の変哲もない色に収まってしまうのならば、自分らしさなんか無いのかもしれない。自分が自分であるがゆえの特別さが無視され、せっかくの紫色が流れてしまい、自分が何にもなれず誰にも認められない事実が突きつけられる。そんななか、

俺と一緒にトップアイドルを目指してみませんか?
新しい世界が見られると思うんです!
⏤⏤透明な自分に初めて色がついた瞬間

摩美々の蜃気楼

プロデューサーが摩美々を見つけたのはそのパンキッシュな格好のゆえであり、派手な髪色のゆえである。それを他の誰でもない自分の価値として認めてくれたのだ。それまで透明だった自分に初めてついた色は、他ならぬ自分が主張してきた紫色であるというこの事実!
実際のところ、透明は色の名前ではない。向こう側が透けていることを指すのであり、色が無いことは文字通り無色と言われる。例えば塩素の気体が黄緑色透明と言われるように、透明にも色がついている。色がついているが、掴み所がないのが透明の意味するところだ。
それが『田中摩美々の蜃気楼』

……いや、いいコピーだと思ってさ
撮影を見てた担当の方が、前の案から変えてくれたんだ
誰にも掴めない、捕まらない……
そんな摩美々の魅力が詰まってるよなって

摩美々の掴み所のない透明さは、善かれ悪しかれこれまでの時間が培ってきたもので、それが「魅力」へと転じている。しかし、それはアイドルとしての田中摩美々が出せる魅力なのであって、プライベートな摩美々はもっと人間味のある具体的な存在であることをプロデューサーは知っている。まみみをみつけた、のはプロデューサーだから。摩美々の紫は蜃気楼のように実体のない幻惑的な魅力を出せるけれども、それは微妙な色合いから成る複雑な紫となった人間・田中摩美々に由来する。

髪を染めたと嘘をつく摩美々に対して「えっ、紫とは違う色にってことか……? 気付かないはずはないと思うんだが……」の回答は1000000点でもう、好きすぎる。千尋が豚さんたちの中にお父さんもお母さんもいないと看破したくらい完璧な答え。

この笑顔が見られて幸せだよ……


海の端っこ

ところでパープル・ミラージュのコミュには一見すると不思議な箇所がいくつかある。最後に少し書いておきたい。
一つにはラーメン屋に行くくだり。ラーメン屋は闇鍋上等を受けて「一緒にあったかいラーメンば食べて、ちょっと特別な話」をする場所としての重要性があるのだが、パープル・ミラージュの文脈全体に馴染まない話の印象があった。もう一つ、挙げておきたいのはその次のコミュでの「海の端っこ」という言葉。

これらは全てtrue endの最後を確認してみると、新たな意味が浮き出てくる。

私は、誰にも捕まらない 複雑なパープル
⏤⏤うだるような夏の暑さと
裏腹な夜の言葉が混ざり合う
複雑な⏤⏤

ラーメン屋に行く話は「サムシング・レッド・ホット」、海の端っこを探す話は「ウ・ラ・ハ・ラ・ブルー」、それぞれが上の独白ときれいに対応している。摩美々の紫は最初から紫なのではなく、赤と青との混交で生まれ、それゆえいつも同じ色相コードで指定できるようなものではない複雑な色合いを帯びる紫なのである。色が変化するという点ではカメレオンを飼っているのも象徴的だ。

赤については暑さと熱さがかかっていると気づくと、MISTY GIRLでも「内に秘めたる熱さを出してくれると思うぞ!」と言われているように、摩美々の色を構成する特色となっていることがわかる。MMMirageで、禁止されるほど「燃えてくる」と言われてたのもこれか。また、暑さという点ではMISTYや爬虫類っぽさや亜熱帯に映えることが関連して、蜃気楼としての魅力を醸し出すのを助けている。のかも。少なくとも親和性は高い。

続いて青について。ブルーは憂鬱とか気持ちが沈んでいるという意味をも持つように、「ウ・ラ・ハ・ラ・ブルー」でも悲しげな雰囲気を纏っている。(一つ考えた解釈として・の数がブルーのときの方が多いのは割合として青が多いからというのがあるが、我ながら強引。だが、赤よりも青の方が下地な気がしている。まだうまく言えないけれど)
「ウ・ラ・ハ・ラ・ブルー」でなぜか摩美々が気にしている「海の端っこ」とは一体何なのか? これを水平線のことだと考えてみた。海は手前は透明だけれども奥に行くほど透明さは分からなくなり、自らの色を持つ。基本的に青いが、朝夕には赤くなり、夜には深い青になる。時に赤くなり青へと変遷する重層的な色合いに自分を重ねたのではないだろうか。海が青かったり赤かったり見えるけれども、その場所に行ったところで青や赤の色がついているわけではない。ではどこまで行けばいいのだろうか。どこが色を見て取れる端っこなのだろうか。もちろんそんな場所はない。だけれども、掴み難いものを少し掴んでみたくなったのかもしれない。摩美々の根底には捕まえてもらえなかった寂しさや不安が巣食っていて、こうしてたまに確証を求めたくなることがあるのだろう。個人的な小さい頃の話だが、鬼ごっこをしていてずっと鬼に遭遇しないと、ひょっとしたら鬼ごっこはもう終わってしまったのではないか、という不安に襲われた記憶があるが、摩美々の不安はこのようなものなのかもしれない。そうした不安に襲われても大丈夫なのは、追いかけてきてくれるプロデューサーがいるからで、安心して誰にも捕まらない自分でいられるわけだ。たまらなく愛おしいぜ。


おまけ
アンティーカには海のモチーフがたくさん出てくる。咲耶は海が一番好きだと言っているし、もし他のメンバーも摩美々と同様、海に自らを重ねているのなら、すごく通りがいいのだがどうだろう。感謝祭でもアンティーカが海を進むと言われているので、深みの予感がかなりある。

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