声に出して読みたい辛辣な日本語
『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』
何度も何度もこの文章を読み返している。
『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』清田隆之(扶桑社)は一般男性と十把一絡にされてしまいがちな男性たちのインタビューを元に構成された本。20代から40代の男性たちの性や生活、仕事に関する考えなどが記されている。
学歴、スペック、コンプレックス、家族観やジェンダー観など、ジェネレーションの違いというのは感じない。いつの時代の男性も抱えていたモヤモヤが語られているように感じるし、また一般男性と括られているが、本の中に不倫で失墜した人気芸人のインタビューが紛れ込んでいても、フラットな視点で受け入れられるだろう。
「ジェンダー規範の影響もあり、女の人って面と向かっては男を否定しないと思うんですよ。特に後輩とかは「すごいですね」「へぇ〜」とか言ってその場を収めようみたいなことが非常に多いはずなのに、男はそれを自分が肯定された、受け入れられたと捉えてしまうことが多い。でも、実態としては単に面倒くさいから褒めているだけですよね。」
こういうシーンは会社でよく見かける。男性女性問わずだと思うが、上司が振ってきた微妙な話題に対してどう対処すればよいのか困るのだ。私は「あっはい。そうですかー」で聞き流すことが多いのだが。女性は男性の先輩や上司を立てていることも多い。男性はそれを勘違いし、またいつもの調子で女性に話しかけてしまう。
私は誰かに聞かれない限りは、基本的に会社ではプライベートのことを話したりしない、結婚してからは特に。仕事に関しても、自分の成果をひけらかしたりはしないように、心がけている。とにかく後輩に気を遣われている感が恐ろしく怖いのだ。なので先回りしてこちらが気を遣う。
家では、自分を見誤ることはない。妻からも、二人の娘からも辛辣な言葉を投げつけられる。だから、こちらも素でいられるのかもしれない。
『エイリアンは黙らない』
「かわいいとか、おっぱい大きいとか、エロいことが好きそうとか、そういうふうに見ること自体が失礼だし、女性を同じ人間として扱っていないことにつながるんだなって。」
女性を性的な感じでやたら見る。例えば、かわいすぎるナントカ(最近あまり聞かなくなったが…)だとか、オリンピック開催前に綺麗な女性アスリートの特集が雑誌で組まれたり。スポーツ選手に関するメディアでの扱いなどは、選手自身が発信することで、これから更に改善されていくのだろうけど、男性の視線は時に犯罪的ですらある。チョーヒカル的に言うと見る側の心が「はしたない」のだ。
『エイリアンは黙らない』チョーヒカル(晶文社)。作者のチョーヒカルは日本生まれの中国人アーティスト。そして1983年生まれ。本の冒頭に「サブカルクソ野郎」と言うワンフレーズが出てきて、それを見ただけで、この本は最後まで読み切ろうと心に決めた。
本の出版が2022年なので20代に書かれたエッセイがまとめられたものだろう。それぞれのエピソードが書かれた順に収められているのかどうかはわからないが、はじめは自分の容姿へのネガティブな考えや酷い扱いをした彼氏、周囲への呪詛の言葉の連続だったが、アメリカへの留学を経て、本の後半になると、
と記されるなど、チョーヒカルの成長というか成熟が垣間見えて嬉しくなる。
「男性のヒエラルキー主義やマウンティング志向は元から苦手で、以前であればそこに少しは適応しなきゃっていう気持ちがあったんですが、今はそれも皆無になりました。それまで男が社会的なマジョリティで女がマイノリティだなんんて考えたことなかったんですが、これは例えば人種の問題よりわかりづらいというか、あらゆるところに男女差別が染みついている社会なんだなってことが段々と身に染みてきた。」
例えば国会議員の女性議員の比率が低い、ということに関して、今後女性議員の比率を上げるための数値目標を設けるかどうか、と言うことすら遅々として決められない。
反対派の国会議員が唱える「男性女性問わず能力のある人が国会議員になるべきだ」という言葉にすら暗に女性の能力は国会議員になるのに不足している、というニュアンスを含んでいる可能性もある。
地元の運動会やお祭りにちょこちょこ顔を出す市会議員や国会議員を見ても、そもそも議員の仕事のやり方自体が古臭くて、若い人がやるのに適していないのではないかと感じる。休みの日に選挙区のイベントに出掛けて、見ず知らずの人に挨拶して回るなんて、あまりそそられない業務だ。
『妻のパンチライン』
「男性って会社と自分の結びつきが強いというか、組織の中で承認されることにすごくこだわるじゃないですか。だから誰が何をしたとか、誰が誰に評価されたとか、常に人事とか出世とか実績の話ばかりしている。」
『妻のパンチライン』@wifeisking(幻冬舎)は、夫がTwitterにアップした夫婦生活に関する妻の金言をまとめた本だ。ことあるごとに妻が子育てをビジネスに例えてくれていて、男性にも響きやすのではないかと思う。
私自身も仕事が忙しかった週の土曜日は、疲れている上に、(しがない田舎の中小企業のサラリーマンであっても)仕事の余韻が残ったりしていて、何かをしていても、ぼんやりと仕事のことを考えていたりもする。夜『さんまのお笑い向上委員会』を見て、やっとリセットできる感じなのだが。
ただ家事や子育てに休業日はないわけで、疲れていることを言い訳に、土曜日の家事の手を緩めるわけにはいかない。そもそも国会議員にしても、会社員にしても、「家庭にコミットしないやつ全員ダサい説」。ヘビーな説だ。
女性に対する視線に関してもそうだが、結局は相手に対する思いやりであったり想像力が必要なのだ。
妻の分析が秀逸なので、ついつい引用を連投してしまったが、よくできた妻にいつまでも甘えていては駄目だろうし、会社の女性たちの気遣いに甘えていても駄目なのだ。
会社の仕事も家事や子育てもチームで動くものだと言うことを忘れてはいけない。自分のことだけ済ませればいいわけではなく、自分以外にも人がいる、と言うことに関して想像力を働かせる。
その想像力の補完するのに『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』も『エイリアンは黙らない』も手助けになるだろう。
男性にだってコンプレックスはあるだろうし、それが元で心を塞いでしまうこともある。国籍が中国人と言うだけで、心無い言葉をかけられることだってある。
一時ゆとり世代をやたら悪様にいう風潮があった時期があったが、それも少し落ち着いた。ゆとり世代が新社会人になる時期が過ぎ去ったからであろうか。
私が社会人になったばかりの職場は、女性社員が上司に自らプロレス技をかけてもらったり、職場の先輩から唐突に下ネタぶくみの挨拶をされたりした。そういう時代だったのか、それとも自分の働いていた職場が特殊だったのか、判然としない。いや変わった会社だな、と同僚と話し合っていたのだが、そう言うことが許された時代でもあったのだろう。
ついつい世代やジェネレーションという言葉で、年齢層による線引きをおこないがちだが、若い世代の個性の数は、若い世代の人口分あると考えておくべきなのだろう。
ジェネレーションの違いと言うよりも環境の変化に、年老いた男闘呼たちがついていけない、ということだけなのだ。
いつも読んでるあの漫画のタイトルがパッと思い出せない、といった加齢による思考や身体的な衰えといったものもあるだろうし、単純に新しいものに興味が湧かないということもあるのだろう。そこには長年培った仕事観やライフスタイルを大幅に揺るがしたくない、という億劫さもあるのだろうし、如何せん体力が続かないのだ。若さが欲しい。
今月の本
『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』清田隆之(扶桑社)
『エイリアンは黙らない』チョーヒカル(晶文社)
『妻のパンチライン』@wifeisking(幻冬舎)