星の道のその先へ

「もうちっとだけ休むんじゃ」のつもりだったのが、ついつい 8, 9, 10月と、三ヶ月ものあいださぼり続けることになってしまった。光陰は矢の如くして、少年老い易く学成り難し。とかく時の流れとは恐ろしい。そんなわけで、皆様どうもお久しぶりです。

 インターネットでのアウトプットをしばらく休止にしていたのは、何よりも(いわゆる)リアルが多忙になってしまったからなのだけど、アウトプットをしないでいるとインプットのほうにも消極的になるもので、ツイッターなどのSNSに関しても、アプリを開く機会自体が激減するような生活になっていた。これまでちょいちょい言ってきたことだが、ツイッターというのは面白くて、ひとたび見たり投稿したりしはじめると、ほとんど無限に続けていられるのだが、他方で見ない期間がしばらく続くと、ほんの数日で気にならなくなるどころか、心の底からどうでもよくなってしまうのである。

 そして、そんなふうにしばらく距離をとったあとで気まぐれにSNS等のアプリを開いたりしてみると、ちょっとした「ショック」を受けることもある。大昔になぜだかそんな気になって、5日間(120時間)の断食断水をやってみたことがあるのだが、当時の私はその期間が満了した直後に飲むために、あらかじめスポーツドリンクを冷蔵庫に入れておいた。断食後にいきなり固形物はとらないほうがよいということは知っていたから、いきなり普通の食事などはできないけれども、せめて味がついていて栄養分もある飲料を摂取することにしたほうが、120時間後の私の身体は嬉しいだろうと思ったからである。

 しかし案に相違して、無事に断食断水を終えた私が冷蔵庫からスポーツドリンク(アクエリアスだかポカリスエットだか、他の何かだったかは忘れてしまった)を取り出して飲もうとしてみると、これがほとんど飲めなかったのである。「スポーツドリンクが飲めないってなんだ。意味不明だ」と思われる方もいるかもしれないが、私だってそう思った。だが、実際のところドリンクを飲み込もうとすると喉が痛くて痛くて仕方ないのである。その飲料の味を形成している糖分や塩分が喉の粘膜を刺激して、けっこうガチめの痛みを私に感じさせていたわけだ。真水は普通に飲むことができたから、せっかく用意したスポーツドリンクは残念ながらお蔵入りということにして、しばらくは水だけ飲んでいたような記憶がある。

 なんでこんな話をいきなりしたかというと、もちろん、SNS等を久しぶりに目にした時にも、同様の反応が起こることがあるということを言いたかったわけである。病気等の不可抗力があるわけでもないのに自ら 120時間の断食断水をするような人は少ないだろうが、いわゆる「SNS断ち」をやる人はしばしばいるらしいので、これについては共感していただける読者の方々もいるかもしれない。なんというか、それまで普通に感受していて、不快な刺激どころか、むしろ楽しいとさえ感じていた認知について、「おいおい俺はこんなものを毎日のように摂取していたのか」と、理解していたつもりではあったがやはり改めての実感として、ガガンと愕然としてしまうということがあるのだ。

 とはいえ言うまでもないことだが、スポーツドリンクが適時適量を守りさえすれば飲んでも身体に悪いわけではないように、SNS等だって、適度に使えば必ずしも有害なものではなく、しばしば有益なものですら(当然)あるだろう。スポーツドリンク程度の刺激で痛むような喉であれば、むしろそのほうが異常な状態なのだといえるのかもしれないし、実際のところスポーツドリンクもSNSも、再開した数日後には当初の苦痛など忘れてしまうし、むしろ美味しい楽しいとすら感じられるようになる。だからここまでの話は当然ながら、「SNSは有害なのだ! 君たちはそれに気づいていないのだ!」などと、なぜか他のウェブサービスは使いながら訴えてみせるようなことを意図しているわけではもちろんない。

 ただ、私自身の個人的な思いとしては、「いまの自分にこの刺激はとりあえず不要だな」と、うっすら感じられてきているというのが実際のところではある。ここしばらく己の本務に注力していて、それに一定の手応えを覚えているという事情もあり、「余計なことに割くエネルギー」は、私にとってますます煩わしいものになりつつもある。

 私は既に星の道を切り広げる仕事を一つ公にしていて、それはそういう作品の性質上当然のこととして、一般に人が何かを「評価」するという際に依拠する基準、あるいは世の人々の「世界」の外枠を、それとは知られぬままに画しているヴィジョン自体の背中をそっと押し、その変容を促すものであるから、正しい理解が一定程度広がるには、少なくとも20年ほどの時間がかかるだろうと、その公開の当初からずっと考えていた。そして、ことは実際にその予想のとおりに、基本的には進みつつある。

 公刊から20年であれば、いまからは15年だが、その時間を私は同じ場所に留まったままでいればよいわけでは当然なくて、もっともっと先へと歩みを進めていなければならない。とりあえず行くべき方向に獣道はうっすらと見えてきたような気はするのだけど、その先にあるものの姿はまだ明確には視界に入ってきていないし、そこへとたどり着くまでにどのくらいの時間がかかるのかもわからない。そういう現状を鑑みた場合、やはり余事については物理的にも心理的にも、できるかぎりコストをかけるべきではないなあと、とくに最近ははっきりと思うようになった。

 とはいえもちろん、世の中の様々なことについて言いたいことがなくなったわけではないし、どうやら適切に距離を確保することに成功したらしい仏教や瞑想実践の領域に関しても、だからこそ自由に見解を示しておきたいことはたくさんある。そして、これらは実際のところ上にいう余事ではない。思考し言葉を紡ぐことは私の本務そのものなのだから、それが余事であるはずがない。余事というのは、そのアウトプットから派生する、ある種の文脈のほうであって、私が極力避けたいのはそのハレーションだ。

 そんなわけで(といわれても、どんなわけだかわからないかもしれないけれど)、以前からその傾向はあったけれど、今後の私のアウトプットは、基本的には noteとツイキャスの限定公開部分に肝心なところを述べることとして、全体公開のところでは、ふわっとしたポエム的なアレでやってゆく方針にするつもりである。Youtubeなんかも、ちょっと色々と使い方を考えたいところではあるのだけど、まあそれはおいおいということで。

 ひとまず noteに関しては、上のマガジン(↑)に今月の記事をまとめ、購読者は有料部分も全て読んでいただけるという、従来の形式にて更新を再開します。もちろん、ツイキャス録画のパスについても、従来どおりに公開します。更新頻度については、noteエントリは月に20回以上は必ず更新するということで、だいたい平日朝には基本的に更新があるものとお考えいただければ。週末に関しては、キャスの予定等との兼ね合いで、更新もランダムになるでしょう。そのようなことで、再び今日から、どうぞよろしくお願いいたします。


※以下のマガジン有料エリアには、今月配信するツイキャス放送(録画)の視聴パスを記載しています。このパスで視聴可能な動画URLは、配信があるたびに、順次以下に追記してゆく予定です。

沼田牧師との対談(強者の責任、親切の必然性など)-1
沼田牧師との対談(現代の他者との関わり、横の関係の志向)-2
沼田牧師との対談(自己開示の性差、性嫌悪を生み出す構造など)-3
そんなバチェロレッテに釣られクマー!!!
コラボ告知、バチェラー推し女子の話とか
成長しつつある「彼」との対談
瞑想の「境地」について語ることについて。あとネット保守とか。

 11月のツイキャス(録画)視聴パスが記されているのは本エントリのみであり、今月の他のエントリには有料部分にもパスの記載はございませんのでご注意くださいませ。

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2020年11月のエントリをまとめたもの。記事の有料部分は全て読める上、踏み込んだ内容を語るツイキャス放送の視聴パスも入ったお得なセットです!

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