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久しぶりの「生活」モード

 そろそろやるやると言っていた新生活への移行がとうとう現実的な話になったので、週末はニトリなどの家具屋をぐるぐるしていた。自分の思いどおりにデザインしてよい一定のスペースがあって、そこにイチから机とか椅子とか、ワードローブとかコンベクションオーブンとかを置いてゆくというのは、なんだか想像していたよりもずいぶん楽しくて、下見だけのつもりだったのに、ずいぶん時間を使ってしまった。

 かつて塩野七生さんが「知識人というのは豪奢であることは求めなくても、快適であることならば求める人種だ」ということを書いていたけれど、たしかに私は(自分が「知識人」であるかどうかはよくわからないにせよ)そういうタイプで、いわゆる「贅沢」みたいなことには心底からまるで興味がないのだけど、毎日の生活から不快な要素をできるだけ取り除くことにはとても関心がある。だから、正直なところ食事などは毎日同じものでも全く構わないと思っているし、あまり時間をかけて食べるものを考えたりすることは少ないのだけど、他方で一日の大半の時間をそこで過ごすことになる、机や椅子を選ぶような場合には、ひたすらインターネットで商品を見比べたり、家具屋をぐるぐる回ったりして、慎重の上にも慎重を期して選択することになるわけだ。

 したがって、机と椅子を選ぶためにぐるぐるするなら私にとってはいわゆる「平常運転」であるのだけど、今回はそれに加えてレンジ台とか収納用品とか、そういうものを探すためにもけっこう時間をかけてしまい、さらにそれがまあまあ楽しかったのだから、これは私としてはなかなか珍しいことである。ひょっとしたら、これが世の中で言われる「生活を楽しむ」ということなのかもしれない(違うかもしれない)。

 ただ、そのように「生活を楽しむ」ことには個人的なデメリットもあって、私は生活の細かいところを享楽するために色々と考えたり作業をしたりしていると、それが脳のリソースをずいぶん食ってしまうから、いわゆる「形而上学的」というか、私の言葉で言えば「この世のことではないこと」について、あまり思考が向かなくなってしまう。「この世のこと」で十分に楽しくなってしまっているから、「それ以外のこと」について、強度のある言葉と論理で思索を進めるために必要な熱が、どこかに行ってしまうわけだ。

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