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「觚」は觚ではなく、そして「リベラル」はリベラルではない

「能力と才能によって評価が決まる自由な社会である以上は脱落者の包摂は不可能なので、そうした包摂を望むならアンチリベラルになるしかない」といった話を見かけたのだが、それはメリトクラシーの問題であって、これを「アンチリベラル」に接続してしまうと、かえって照準はズレてしまうのではないかと思うなどした。もちろん、「リベラル」が形成する社会こそがメリトクラシーを促進・助長しているのだという趣旨ではあろうが、実際のところリベラリズムは個人の自由を重視する様々な政治思想の中においては、いわゆる「弱者の包摂」に関して相当に配慮しており、むしろ(ロールズなどの言説を参照するかぎりにおいては)「自由と包摂」の調停こそが、正しくリベラリズムの核心ではないのかと思われるからである。

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