![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/46503126/rectangle_large_type_2_79d25c4d91c3db161a16c61f41a8fc9a.jpeg?width=800)
Photo by
sasakicoffee
誰かにとって傷になることを、それでも敢えて口にするのであれば
二月はあと二日残っているが、この先は土日のみなので、本稿でnoteエントリの更新は終了である。できれば朝更新のペースを作ってゆきたいところだったのだが、今月はなんだかんだとバタバタし過ぎて無理であった。来月こそはなんとかしたい()
そんなわけで、ここ数日はSNSなどもほとんど見ない生活を送っていたのだが、昨日たまたまツイッターを開いてみると相変わらずの治安の悪さで、ついこんなツイートをしてしまった。
ツイッターを見るたびに、カント先生の「およそ語るべきことは全て真実でなければならないが、真実であれば全て語らなければならないなどという義務はない」という言葉を思い出すタピねえ🐱
— ニー仏 (@neetbuddhist) February 25, 2021
「現実」教徒が多数派を占める言論空間では、「自分がいかに現実を見ているか(その認識に最も忠実であるか)」ということが、当然ながら権力闘争の主題となる。「君にはこの現実が見えていないようだが、私にはここまで見えているのだ」ということをアピールすることがこの戦いに勝利するための道なのだから、「現実であれば全て語らなければならない」ということが、そういう場では規範になるわけだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?