見出し画像

子供に「終わり」を見せてほしい

『ワンピース』が期間限定で60巻まで無料公開になっているというので、久しぶりにと軽い気持ちで覗いてみたら、そのままついつい読み耽ってしまった。いまジャンプ漫画で世の話題をさらっているものは他にも色々とあるけれど、これは作中のキャラで言えばまさに「白ひげ」のような地位にある作品で、現在でも少年漫画について「王」や「横綱」に当たるものはどれかと考えたなら、やはりいちばんに挙げるべき作品の一つだろうなあと思わされてしまう。

 とはいえ、私自身はジャンプ漫画一般についてかなりご無沙汰の状態なので、最近の名作についても比較できるほどは知らないから、上のような評価をする資格自体を、そもそも喪失しているかもしれない。『ワンピース』に関しても、再読前の記憶にあったのは空島編の途中くらいまでで、「なんかゴムだから効かないみたいな理屈で勝ってた気がする」というくらいの印象しか残っていなかった。改めて読み返してみると、ガレーラカンパニーのことは目にしたら思い出すことができて、アクア・ラグナと海列車くらいまでのシーンにはかすかに覚えがあるような気もしたから、おそらく2005年あたりまでは、何かしらの形で原作にふれていたのだろう。

 その後はもちろんミャンマー等に行ったりなどして、ジャンプ漫画からはずいぶん距離のある生活になってしまったのだが、それでも『ワンピース』の名前はインターネットなどで目にすることがたびたびあって、率直なところを言えば、「まだ終わっていないのか」という、感嘆と呆れの相半ばするような気持ちで望見していた。

 そんなこんなで『ワンピース』に関しては、「まあ時代を代表する名作であることに間違いはないし、いつか完結したら読んでみよう」などと最近は思っていた。ただ、どうもいつまで経っても終わる気配がなさそうだし、ひょっとしたらもう読む機会もないかもしれないと思っていたところ、今回の無料公開でたまたま再読する機会を得たわけである。結論的には、このタイミングで読み返すことができて本当によかったと思う。

 内容的によかったところを簡潔に言うならば、やはり少年ジャンプの標語である「友情・努力・勝利」を「きっちりやりきっている」ところである。主人公が仲間と出会い、友情を育み、強大な敵と遭遇して努力し、そして勝利を掴み取って成長する、というのは言わずと知れた少年漫画の王道中の王道ストーリーだが、ほとんどの作品が基本的にはこれをやろうとする以上、過去を踏まえた同時代の無数の同種の試みの中で、群を抜いて「名作」の域に達するのは至難の業だ。

 少年漫画は成年向けのそれと違って、「リアリティ」とか「生々しさ」の要素はさほどに求められないし、その意味では「細けえこと」に拘泥しなくても構わない(むしろそのほうがよい)のだけど、では雑でよいのかと言えばそんなことは(もちろん)なくて、むしろ「作品内リアリティ」は破綻のないよう緻密に組み上げ、そうすることでストーリーに「説得力」を持たせなければ、あんがい敏感な少年読者たちから「細けえことはいいんだよ!」と、快哉の嘆賞を勝ち取ることなどとてもできない。

 たとえば、私は自分がジャンプ漫画を読む少年だった頃から、「味方は敵から致命的っぽい攻撃を受けても不死鳥のように何度も立ち上がるのに、敵は復活した味方からフィニッシュホールドを食らうと完全に倒れてしまう」という現象(伝われ)が好きではなかったのだが、『ワンピース』でもこれはものすごくたくさんあった。この漫画の斬撃は全体的にそうなのだが、とくにゾロとか、何度も相手から血しぶきを上げて斬られてるのに、そのたびに普通に立ち上がりやがり、他方で何やら気合を入れ直した彼が技の名前を叫びつつ敵を斬ると、相手は倒れてそのまま動かなくなるのである。

 こういうのを見ると(繰り返すが子供の頃から)私は「うーむ」と思ってしまうタイプなのだが、まあジャンプ漫画にはたいていあるこの種の現象が「気になったまま」になるかどうかが、私にとっては少年漫画の名作と凡作の分かれ道である。そういう意味では『ワンピース』は確実に名作で、何度も「現象」を見せられて、そのたびに「うーむ」とは思うのだが、それでも最後には「細けえことはいいんだよ!」と言わざるを得なくなってしまったのだから、これは完全に私の負けというやつだ。そこはひとえに、作者さんの構成とストーリーテリングの妙、そして何より画力の高さによるところであろう。

 そんな感じで、基本的には素晴らしいエンターテイメントを体験させてもらったと思っているのだが、とりあえず60巻で頂上戦争編が一区切りつくところまでを読んでみて、それで「だいたい半分くらい」という話も耳にした上で考えてみると、我儘に過ぎるとは思いつつ、ちょっと残念に感じるところもないではない。

 あの頂上戦争編の盛り上がりは、それまで十数年かけて緻密なストーリーを語ってきて、それでようやく到達できるものだということがよくよくわかるだけに、「少年漫画」としてそれはアリなのか、ということも思ったりするのである。あの『ドラゴンボール』でさえ、伝説の「もうちっとだけ続くんじゃ」から、ずいぶん長くやっていたような印象があるけれども、それでも42巻で終わっているわけで、『ワンピース』の60巻、だいたい13年くらいの時間というのは、少年が「少年」でなくなってしまうには十分な時間である。しかも、本作はそこからさらに倍以上の時間が(おそらくは)完結までにかかるわけで、なんというか「少年漫画ってそういうもんかなあ」というお気持ちは禁じ得ないところがあった。

 もちろん、『ワンピース』はもう「そういうもの」なので、このまま最後まできっちり描ききってほしいし、(まさに「白ひげ」のように)「王」の背中を見せて終わってほしい。きっとこの作品は、子供の頃からそれを読んでいたかつての少年たちが、最新刊を自分の子供と一緒に読むような、そんな「国民漫画」に既になっているのだろうから。

 ただ、それはそれとして、少年の入り口に読みはじめて、まだ「少年」が終わらないうちに「完結」までをきっちり見せてくれるような少年漫画の名作も、多く同時に存在してほしいものだと思う。とくに近年は、「名作」の気配が出てきた作品はすぐに長期連載化してしまう傾向が顕著だけれども、「いつまでも読みたい」と心から願うほど素晴らしい作品が、それでも「終わり」を迎えるという経験を「少年」のうちに繰り返ししておくことは、大人になってもそれを「いつまでも読める」という経験をするのと同じか、あるいはひょっとしたらそれ以上に、素敵なことなんじゃないかと思うからである。


(※以下は、購読者向けのコメント。私がいちばん感動したシーンのこと)

ここから先は

893字
この記事のみ ¥ 200

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?