「反応」の自動販売機
書店になかった資料が図書館にあるらしいので、借りに行ったら閉鎖されていた。全くコ◯ナさんにも困ったものである(注意書き避け)。
今夜はこれから皆さんお待ちかねの沼田牧師とのトークなのだが、私のほうからお話ししたいことはだいたい決まっていて、以下の2つの過去エントリに述べてあるようなことである。
「インターネットから様々な『反応』を調達することで心の穴を埋めようとする行為は、一般にそう考えられているほどには有効なものではなく、結果的にはむしろ逆効果に終わることもしばしばなのではないか」という所感を私は懐いていて、ゆえに「その種の人たちは『かわいそう』なのだから、もっと融和的に接してあげるべきだ」といった意見には、基本的に賛同できない。上掲の記事にも述べたように、彼/女たちに対してウェブ上(のみ)で融和的に振る舞うことは、むしろ世界の不幸の総量を増やす結果に繋がりがちであるように思われるからである。
ただし、これはもちろんその種の人たちとの「関係」がインターネット内だけで完結してしまう場合の話であって、そこから発展して「対面」することになるか、あるいは少なくとも音声を通じて直接に対話をするような人間関係が生じるならば、事態の性質は変わってくる。おそらくはそうなった時に初めて、彼/女たちが自身の苦しみを開示する対象は、まさに「人間」になるからである。
このように書くと、「何を言っているのか。ウェブ上で苦しみをテクストで開示する相手だって、人間であるに決まっているではないか」と思う人は多いかもしれないが、私は(「人間」という言葉の定義にもよるが)そこには微妙な差異があるんじゃないかと個人的には考えている。
とはいえ、このあたりはまさに「微妙」な話になってくるので、これ以上はツイキャスの中で可能であれば言及するということにしたい。おそらく、沼田牧師はこういうことを(実際のウェブと「リアル」の人間関係に基づきつつ)よく考えていらっしゃる方だと思うので、私も遠足前夜の子供のような気分になっており、いまからお話しするのがとても楽しみなのである。
(※このあとに文章はありません。)
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