井戸に射し込む光のように

 今夜はまもなく、沼田牧師こゆるぎ岬さんとの鼎談キャスである。互いにそれぞれの人と二人で話したことはあるのだが、この三人の組み合わせで鼎談するのは初めてなので、どんなことになるやら楽しみだ。

 沼田牧師とよくお話しするのは、私のよく言う「マクロの規律とミクロのケア」に関するトピックが多い。もちろん、聖職者が本業の方であるから、キリスト教や仏教といった宗教および哲学にまつわる形而上学的な問題を論じつつ、それが私たちの人生における具体的な苦しみや困難と、どのように接続されるのかを語ってゆくわけである。沼田牧師は、悩みを抱える人々と実際に面談して話を聞く営みを長く続けておられるから、何よりも「眼前のこの人の苦しみ」を重視して、それに可能なかぎり寄り添おうとする方だ。他方で私は、そのように「眼前のこの人」に対して「ミクロのケア」を行うことは大切だと理解しつつ、同時に各人の苦しみを生み出している構造についても一定の目配りは必要だと考えており、ゆえに社会問題に関する議論としては、「マクロの規律」を語ることは重要だと思っている。ただ、牧師としてはそのように両者を截然と分ける態度そのものについて、違和感を懐かれているところもあるようだ。

 こゆるぎ岬さんからは、映像や漫画などのコンテンツに関する批評や、そうでなければ子育てや家族についての経験に基づいた考え方など、どちらかと言えば感性的で、生活実感に根差した話をしていただくことが多い。文学や思想についても見識のある方なのだけど、それについて「アカデミックに」論じるよりは、作品を通じて人生の地平を広げ、そうすることで豊饒になった日常から、また新たなコンテンツの受容の仕方を開拓するような、生と表現との相互交渉を大切にされているように個人的には感じている。私は平均的な人に比べれば、おそらく「生活」に対する興味はずいぶん薄いほうなので、そのことも陰陽に作用してか、先日は「体育館裏」に呼び出されて、「現実教」に関する多方面からの有益なツッコミをいただいた。

 お二人とも、それぞれの仕事や家庭において悲喜こもごもの努力をされながら、そのように生々しくざらついた現場で、それでも井戸の底に一瞬射し込む陽光のように垣間見える、形而上の煌きを常に忘れずにいる方々である。私がよく言う「心に襞がある」というのは、一つにはそういう人たちのことなのであって、個人的にはこうした方々とお話しする時間がいちばん楽しい。

 今回はこゆるぎ岬さんからのご提案で鼎談をすることになったので、おそらく私の発言は比較的少なめで、お二人のトークの司会のような役回りになりそうである。コメントされる方々の様々な悩みも取り上げながら共に考えてゆきたいということで、そういうことであれば、なおさら沼田&こゆるぎさんの独擅場ということになるだろう。

 私としては、「たまに話を抽象的にする役割」を担う程度で、今回はお相手の二人に存分に語っていただきたいと思っている。視聴者の皆様もコメントを通じて、この楽しい会にご参加いただければ幸いである。


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