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まずは明らかな制度的差別から

 なんだかSNSで(選択的)夫婦別姓が話題になる定期イベントを観測したので、私もいつものアレをやっておこう。この問題に関する私のスタンスは下掲のエントリにまとめてあるとおりで、これは何年も前から一貫して変わっていない。

 このパートナー制度の導入という提案は、いま確認したかぎりでは遅くとも2013年にはツイッター上での言及を私は開始しており、それ以降、機会があるたびに何度もしつこく述べ続けている。最初にウェブ上でこのことを言いはじめたのがいつであったのかは覚えていないが、「リアル」のほうではフェミニストや女性学者の方々と議論をしたりそのテクストを読んだりすること等を通じて、2007~8年くらいには、おそらく同様のことを考えはじめていたはずだ。

 ただ、この提案に対する(選択的)夫婦別姓賛成派の人たち(以下、「賛成派」とする)の反応は、私にとっては残念なことながら、総じて鈍いものである。「賛成派」の方々にはわりと「活動的」な人たちが多く含まれていて、私よりもずっとフォロワーの少ない人でも「反対」の論陣を張ったりしようものなら、それを目ざとく見つけ出して、控えめに表現しても相当に攻撃的な引用RTを集団的につけるような振る舞いがしばしば観察されるのだけど、私のこの提案は、幸か不幸かそうした行為の標的になったことはない。二人の人間の全くフェアで平等な契約としてのパートナー制度の導入という提案に対しては、彼/女たちはただ「しーん」としている。もちろん、これはひとえに私の不徳の致すところであろうと考えるから、今後も「よりリベラルな形で選択肢を増やすだけ」であるところのパートナー制度の導入に関しては、飽かず繰り返し述べてゆきたいと思うところだ。

 とはいえ、何度でも何年でもしつこく言う、ということはやはり大切で、「活動的」な「賛成派」の方々が「しーん」としていることには変わりがないものの、それ以外の人たちで、「こういうパートナー制度の導入はよいのではないか」と賛同してくださる方々が徐々に増えてきているのはたいへん嬉しいことである。個人にできることは当然ながら微々たるものであるが、今後も人間同士の結びつきがよりリベラルな形で制度的に保障されるように、諦めることなく小さな声でも上げ続けることを志してゆきたい。

 ところで、今回の(選択的)夫婦別姓に関する定期イベントは、どうやら丸川男女共同参画担当相に関する報道がきっかけらしいが、これもよくわからない話だと思う。

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