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高度に知的であることは、実はとっても「かっこいい」はずだった

「最近の意識高めの高校生が Youtubeのインフルエンサーに影響を受けているぞ! 要警戒!」という話を見かけて、ゆくりなく自分の昔のことを思い出してしまった。私も高校生の頃に立花隆さんとか河合隼雄さんとかの本を読んで、いまの私くらいの年齢のインテリさんなどに、「そんなものを読んで知的なつもりになってはいけない」などと言われたものである。河合隼雄さんはもちろんだが、立花隆さんも先日亡くなっており、「知の巨人」ということで追悼記事がずいぶん出たりしていたから、いまの高校生が立花隆さんの書かれたものを読んでも、かつての私のような言われ方は、きっとしないだろうとは思うけれど。

 立花さんや河合さんに関する一般的な評価はとりあえず措くとして(私はお二人とも、現在でもとても好きである)、私は中高生くらいの年齢層の人たちが、自分に理解できる範囲で知的だと感じられるものに触れること自体は止められないし、また止めるべきでもないと思う。むしろ問題は、彼/女たちが「その先」を見てみたくなるような動機づけを、大人の社会が提供しているかどうかということだろう。

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