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「輪廻を前提とした往生」のこと

 昨日のエントリでは「浄土教信仰はインドの輪廻転生の考え方からすればあり得ないものであり、その起源は中国にある」などというトンデモ説(もちろん、単なる完全な大間違いである)が書いてある「宗教学者」の著作に言及した。あまりに酷い誤りというか、むしろデマと表現したくなるような記述であったから、こちらの文章のテンションも、相当に上がり気味になっていたかもしれない。

 ただ、落ち着いてから改めて考え直してみると、同種の誤解は、日本ではわりと広範囲に流布しているものかもしれないと思いもした。仏教というかインド文化圏の発想についてそれなりに学んでいれば、浄土往生というのがまさに輪廻のシステムを前提とすることで成立するものなのであり、「浄土教信仰はインドの輪廻転生の考え方からすればあり得ない」などという理解こそが「あり得ない」のだということは直ちにわかるはずである。だが、どうも我が国では往生という事態と輪廻という構造とが相互に全く関連のない別事であると思いなしてしまう方々が、仏教について多少は知っているはずの人たちの中にも、なぜかけっこういるらしいのだ。

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