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本当は「現実的」でない話もしたいのに

 スマホが Wi-Fiの電波を拾わなくなってしまったので、さすがにそろそろ買い換え時のようである。東南アジアの高温多湿環境での雑な使用に耐え、転居も終えて少し余裕ができたタイミングで壊れてくれたあたり、なかなか空気を読んでくれている。私が使ってきた電化製品にはこういうことがとても多くて、ひょっとしたらモノたちからはちょっと愛されているんじゃないかと密かに思う。

 一昨日にはこんなツイートをしたけれども、オンラインの哲学カフェをやってみたい/参加してみたいというのは本当のところであって、まだ設備や環境が整えきれていないので果たせてはいないものの、そうした準備ができ次第、どこか適当なところに参加して様子を見てみたいと思っている。残念ながらリアルでの哲学カフェにも私は参加した経験がまだないので、いきなりファシリテーションを試みるのはちょっと時期尚早だろう。

哲学カフェとは街中のカフェなど誰もが自由に出入りできる場所で、飲み物を片手に参加者同士で特定のテーマについて話し合う営みです。1992年にフランス・パリのカフェで偶然生まれ、その後世界中に広がっていきました。

哲学カフェに決まった定義があるわけではありません。共通するのは、進行役がいて、テーマを設け、その場にいる人たちが話して聞いて考えるというシンプルなつくりです。

 参加したことがないのだから実際のところはよくわかっていないのだが、私のイメージしている哲学カフェというのは上掲のようなものである。リアルであれオンラインであれ、一定の数の人々が集まって、そこで何かしらのテーマを設けて、自由に思うところを語り合う。その内容が「学術的」であったり、「専門知」に裏付けられた「高度な」ものである必要はとくにない。むしろ稚拙な思いつきであったり、「なんとなく」の感想や印象であったりしても、とにかく本人が考えたり感じたりしているところを、それぞれが可能なかぎり、他人に伝わるような形で言葉にして、そこから互いが互いを攻撃するためでなく、見解をシェアし合うことで各々が自身の認知している「世界」の限界を押し広げるために、いわゆる「議論」というよりも語感としては「対話」に近い形で、柔軟な多方向の意見交換を進めてゆく。実際にこれがどのくらい理想的にやれるかは別としても、そのような試みを定期的にやってゆくことは、とても素敵なことだと思う。

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