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「現実」という祈り

 先日のエントリで「現実教」についてちょっと触れたけれども、私がこれを宗教のアナロジーで語るのは、一つには当該エントリに引用したツイートにあるとおり、そこでの「現実」が、「誰にとっても共通な単一のもの」として把握されており、そうしたものは実際には存在していないがために、この観念は超越的な性質を有することになるからである。

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