記事一覧
「勝った言葉」はバカにできない
「ツイッターなどで多くの支持を受けやすく、それゆえネット上の言論空間では支配的であるように思われる意見」について、「これはあまりにも酷すぎるのではないか」ということを言うと、しばしばそれを聞いた人から、「いや、これは単にツイッターの人たちが偏っているだけで、『現実世界』ではそんなことはないですよ」と言われることがある。なるほど、言いたいことはわかるのだが、私はそのご意見に関しては、かなり妥当性は
もっとみる自覚のない権力者たち
現代日本で猖獗を極めている、いわゆる「お気持ち」問題については、「人間がやたらと公の場でお気持ちを訴えるのがよくない」という筋で批判を行う人もいるようだけれども、私はこれには賛成しない。別に誰だって、そうすることで他人に実害を及ぼさないかぎり、たとえば公開のツイッターアカウントで自分の気持ちを訴える自由はある。それは、存分にやっていただいたらいいと思う。
もっとみるDon't think, feel thoroughly
私は昔から、自己認識としては直観優位の人間で、少なくとも人生の実践的な側面に関しては、形式的な意味での論理や知識のことをあまり当てにしないタイプだと思っているのだけれども、なぜか世の中の人は、そんな私のことをしばしば「論理中心」の人間だと思うらしい。
この不思議な事態について考えてみた時に、いつも思い出すのは夏目漱石の『道草』の一節だ。主人公の健三が、細君(妻)と交わす会話である。
godisnowhere
KN牧師と久しぶりにツイキャスで対談。牧師の教会サイトを尋ねると、タブに "godisnowhere"というサイト名が表示されるのが昔から気になっていたのだが、それについて訊いてみたところ、
もっとみるたぶん別のものに頼っている
このエントリを書いているノートパソコンを購入して以来、ずっと酷使してきたマウスのホイールが効かなくなり、ページのスクロールが不便で不便で困っている。これがいわゆる、「いなくなって初めて、大切な存在であったことに気づく」というやつなのだろう。さっそく、代わりを買ってこなくてはならない。
もっとみる巻き込まれても感じられない
「傍目八目」という言葉があるが、これは本当によく言ったもので、第三者として外側から眺めていれば、問題の構造や手っ取り早い解決策が次々と頭に浮かんでくるものの、いざ自分が当事者として問題に巻き込まれてみると、案外そうしたものは思いつかず、また第三者からいくら教示されても、その適切な解決策を実行する気になれなかったりする。「状況に当事者として没頭する(そこにはまり込む)」ということが、その状況を正確
もっとみる人間には責任が取れないこと
知人が自転車に乗っていて転倒し、骨折してしばらく起き上がれない状態だったのだが、街中で何人もの人が横を通ったにもかかわらず、5~10分ほど誰にも声をかけてもらえなかった、というエピソードを記した noteを読んで、なかなかつらいものを感じてしまった。現代ニッポンは厳しいなあ。
この話は KN牧師との対談ツイキャスでも言及して、まあまあショックだった旨を述べたのだが、そこでも言い添えておいたと
わかる人にはわかる抽象
私はわりとツイッターでは「わかりにくい」文章を書くほうで、それで「もっとわかりやすく書け」とか「具体的に書け」といった要望をしばしばいただくことがあるのだが、これについては自分でも意識的にそうしていることなので、今後もとくに変えるつもりはないのである。
もっとみるNow or Never
タイムラインを賑わしているニュースを見て、かつてよく訊かれることのあった質問を思い出した。その質問とは、「ドラッグで『神秘体験』をしたとしたら、それは悟りになるんですか」というアレである。
もっとみる